生物多様性研究・教育プロジェクト(研究と教育の原点を考える) Ⅲ. 四季折々の自然の風景と野鳥 2024‒No. 5:4月11日の里山(woodland)                    

2024年4月15日(月)

1.はじめに
 里山という単語を英訳するとwoodland になる。Woodlandは,ヨーロッパでもアメリカでも,林(woods)の中や周囲に民家が点在する土地のことを言うのだろう。ロシアや中国でもよく見かける。Woodlandは,人間の影響を強く受けた陸上生態系が存在する土地と一般化できる。地球の南半球と北半球の温帯から冷温帯の緯度に分布する。寒帯になると,人口が減少し,森林(主には針葉樹)の面積が相対的に増加するため,里山というイメージが乏しくなる。熱帯域においては,植物の成長速度が速く人間の影響がすぐにかき消されてしまうために,これまた里山というイメージは乏しくなる。

 里山という単語そのものは,江戸時代から文献に出てくるが,これを再評価して世に広めたのが,四手井綱英氏である。里山は,植物群系の分布と気候の単元には,欠かせない単語だと思うが,高等学校の生物Ⅱの教科書には見当たらない。「照葉樹林帯や夏緑樹林帯の中には,人間の影響が強く及んでいる場所があり,そのような土地のことを里山と呼ぶ」という程度の記述はあってもよい。

 なぜ里山は高等学校生物Ⅱの教科書には掲載されないのか?教科書の著者か,教科書検定委員に嫌われている可能性がある。英語のwoodlandには,文学的なニュアンスは少ないと思う。私は英語の原著論文を書いた時には,woodlandを普通に使用しており,その日本語訳が「里山」であっても大きな違和感はない。一方,人によっては里山と聞くと,一寸法師とか徒然草の世界に出てくる単語(用語)と思うかもしれない。視野の狭い科学観に基づく人たちは,文学,芸術学,あるいは農学の臭いが少しでも漂うと,途端に拒否反応を示すのかもしれない。

 里山と同じような臭いを持つ単語としては,照葉樹林と夏緑樹林がある。もともと照葉樹林は常緑広葉樹林,夏緑樹林は落葉広葉樹林と呼ばれてきた。ともに客観的でわかりやすい表現だった。一方,照葉樹林や夏緑樹林という単語は,農業の世界が頭にあって,そこから派生した主観的な概念のような気がする。照葉樹林も夏緑樹林も,イメージを優先して四手井一派が変更してしまったのだろうか?高校生物Ⅱの教科書では,両者がごちゃ混ぜになっている。

 さらに高校生物Ⅱの教科書を見ると,硬葉樹林と雨緑樹林という初めて聞く単語が出てくる。硬葉樹林は,冬に雨が多く夏の乾燥が激しい地域に形成される樹林のことを言い,雨緑樹林は雨季に葉が茂り,乾季に落葉する樹林のことを言うらしい。地球上の多くの樹林帯は,①から⑨の群系に分類されているが,⑦の硬葉樹林帯だけが,破線で囲まれ他の群系の上に置かれている。さらに「常緑広葉の硬葉樹林」も日本語として少し変である。基本的に常緑広葉樹林帯に属しているだろうから,そんなに細分する必要があるのだろうか?また,熱帯多雨林と照葉樹林の写真は同じに見える。ここも改善が必要だろう。

 日本とアメリカの教科書を比較すると,アメリカの教科書には笑える間違いが多い。例えば,カニ(十脚甲殻類)の足(歩脚)は6本である。よせばいいのにキリンの首の長さを木の高さとの関係で説明しようとしている。一方,日本の教科書の大きな特徴は,とにかく怖い雰囲気が漂っている。時代が遡るほど恐ろしい。例えば,中学校の教科書だったか,昭和の時代ですら生物の採集法に,女子中学生が空気銃を構えてスズメを狙っているモノクロ写真が載っていた記憶がある。(夢に出てきたのだったら申し訳ない。)日本の教科書で,カニの足の数を間違えて6本と書いたらただでは済まない。太平洋戦争中に軍艦の完成が3日遅れて切腹をした軍人がいた。6本と間違って書いた人は,似たような仕打ちを受けるだろう。なぜ怖いかというと,単語の背後に道徳教育や権威主義が見え隠れしているからである。    

 日本の社会の場合には,教科書の役割は自然科学の進歩を装って,本当は道徳教育を目標にしているのではないか?生物学の場合には,そのルーツは丘浅次郎にありそうだ。この思想的な偏向教育は,現在も東京大学理学部動物学教室で,脈々と受け継がれているように思われる。言いにくいことだが,中学にしても高校にしても,生物の教科書はうわべでは客観性を装っているが,権威主義的な思想の押し付けである。一方,最近は出版社ではなく,インターネットを通じて外の世界を見る文化が拡散した。思想的に偏向した教育からの脱却を促したという点で,人間の歴史に残る変革だと思う。物事の良し悪しは権威によって決められるのではなく,自分自身の思考によって決定する時代に入っている。

 中学や高校の生物教科書は,本当の著者がわからない。本当の著者を明らかにしたら,教科書検定を通らないのだろう。権威のある者を頭に置くという昔ながらのやり方が踏襲されている。こういう本は,クイズ番組に参加するときには大いに役立つ。

 著作の内容は無責任さの目立つアメリカの教科書の方が断然面白い。自然科学というのは,ある客観的な方法に基づいて観察や実験をした結果を提示し,それを過去の実験・観察例と照合し,自分の意見や仮説をパブリッシュするのが基本である。この点で日本の教科書は硬直化しているが,アメリカの教科書は柔軟性に富む。だから間違いも多い。アメリカ社会はそんな間違いに寛容であるが,日本の社会は小さな間違いにも厳しい仕置きがある。

 生物Ⅱの教科書の前半は,分子生物学の知見で埋め尽くされている。ほぼ事実の記述なので,その中に道徳や権威の入り込む余地は少なそうに見えるが,問題は事実の裏に張り付いている権威主義や道徳教育である。アメリカの教科書では,こんな考え方に基づけばこんな結論になるという書き方なのに対し,日本の教科書には,これが絶対だ,これを知らなければお前は日本人ではないという「裏」がある。

 高等学校の生物Ⅱの教科書に真剣に取り組んだ場合にも,大学入試センター試験の正解が8割を超える可能性は低いと思う。8割を超える成績を残せる受験生は,脳に何か異常なバイアス(基礎知識の修得を越えて,権威への服従的な感覚)がかかっている気がする。センター試験が基礎学力を見る試験ならば,8割正解ならば満点と考えてよい。それ以上取れる人たちは,その筋の宗教的学部を目指せばよい。

2.撮影と執筆の基本情報
<撮影> 三枝誠行・近澤峰男(生物多様性研究・教育プロジェクト)。<撮影機材> SONY RX10。<執筆> 三枝誠行。
<参考文献>
・石原勝利・庄野和彦・他13名(2010)新版生物Ⅱ(新訂版)。実教出版。
・Ferl, R.J., and R.A. Wallace (1996) Biology: The Realm of Life. Third Edition. HarperCollins College Publishers.
・Wikipedia: 丘浅次郎(https://ja.wikipedia.org/wiki/丘浅次郎)。

図 1.4 月 11 日の里山(巨瀬町)。中央にあるのは国道 313 号線。巨瀬町内を流れる有漢川沿いにはブッポウソウが多く飛来する。ブッポウソウは,中国地方の山地の間を流れる川に沿って移動しているかもしれない。

図 2.御崎神社の境内(巨瀬町)。桜(ソメイヨシノ?)が満開だった。巨瀬町には趣のある神社が多い。神社を訪れる人もほとんどいない。

図 3.尾原上公民館前の道路。道路の右にブッポウソウの巣箱(M-03)がある。ここはブッポウソウの観察には非常に良い場所だが,ブッポウソウの撮影をしたいという方々(カメラマン)には紹介できない。申し訳ないが,この場所は私と近澤峰男さんだけが利用できる。

図 4.尾原上公民館の脇に咲くソメイヨシノ。SONYRX10 では,風景や生物の写真がきれいに撮れる。以前この屋根にとまるキセキレイを撮影した。

図 5.「仏法僧」という名前の巣箱。この巣箱にも毎年ブッポウソウのペアが来ている。私がつける巣箱のすぐ近くにはいつもお墓があるのが面白い。

図 6.仏法僧の巣箱の近くにあったすみれの群落。名前はわからないが,4 月 11 日には沢山咲いていた。

図 7.里山の春,最盛期。中央の電柱には巣箱(N-01)が掛けられている。ここもブッポウソウのペアが毎年来ている。

図 8.上森牧場付近(井才?)にある休憩所。中国自然歩道にあるのだろうか?

図 9.井才にある中国自然歩道の案内図。私はこの場所はよく利用している。と言っても,車を止めて案内板を見る程度のことなのだが・・・。歩いてここまで来る人は見たことがない。ということは,この付近の中国自然歩道は利用されていないのだろう。そもそも木野山駅から徒歩で祇園寺まで行く小道(看板の黄土色で示した道)は,今もあるのだろうか?昔はこれでよかったが,今は車で移動する人ばかりになった。現代社会における人の移動手段の変化に対応して,案内板を改良する必要があるだろう。環境省なのか岡山県なのか,改善を検討してみてもよさそうだ。
 教科書もそうだが,組織の中の地位が上の者になると,私が何か言っても聞こうとしない。(下も同じか・・・)。大学も同様である。多くの日本人は他人から意見を言われることをすごく恐れている。官僚的な雰囲気の中で教育を受ける人が多いせいなのだろう。

図 10.照葉樹林の春。照葉樹林帯の代表種は,コナラヤアベマキ(クヌギ)である。見たらわかる通り,コナラもアベマキも冬には葉を落とす。

図 11.里山のお堂と庭園。高梁市川面町(かわもちょう)。たまにこんなところで休憩すると気持ちがリセットできる。

図 12.道端にあったつくしの胞子茎。スギナ Equisetum arvense は,シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物。スギナの栄養茎は,古生代の小葉類の形態を連想させる。シダ植物の中でも原始的な形態を維持する植物なのだろうか?「つくし」は和名なのだろうか?とすればカタカナ表記。

図 13.民家の庭先に咲いていた灌木の花(ハナズオウ?)。植物の花は接写か望遠で撮影すると,きれいに撮れる。

図 14.民家の庭先に咲いていたスモモ(?)の花。図 13 の赤と図 14 の白のコントラストが美しい。

図 15.里山の春。コバノミツバツツジ,ボケ(?)の花,レンギョウ,ソメイヨシノ。下草はきれいに刈り取ってある。

図 16.野鳥の産卵準備。左は,スズメによって運ばれたわら。わらがこれぐらいの量だとブッポウソウのいい産卵床になる。右は,シジュウカラによって運ばれた苔の上に積まれたわら。わらはスズメが運んだ。シジュウカラは完全に追い出されていると思う。

図 17.左は,まだどの野鳥にも使われていない巣箱。おがくずを敷いてある。右は,スズメが運んだわら。シジュウカラが苔を運んできたすぐ後にスズメが入ってシジュウカラを追い出した。4 月はシジュウカラの産卵を調べている。今年(2024)から研究スケジュールを変更した。よろしく。

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