生物多様性研究・教育プロジェクト(研究と教育の原点を考える) Ⅰ. サンゴ礁とサンゴ礁原 2024‒No. 1:西表島の東側の海岸

2024年1月4日(木)

1.Introduction
 地球の海底は,マグマが冷えて固まったプレートに覆われている。地球は自転をしているので,海底のプレートは均質な構造にはならず,多くのプレートに分裂するのだろう。そして,それぞれのプレートは,マグマの上を独自の方向に移動している。

 移動している多くのプレートのうち,琉球弧の成立には主に2つのプレートが関わっている。ひとつは,海面から頭を出しているユーラシア・プレート,もうひとつは海底を移動するフィリッピン海プレートである。図1には,ユーラシア・プレートが南東方向に動いていることを示す矢印があるが,実際には動きは緩慢だろう。

 一方,フィリッピン海プレートは,ユーラシア大陸の東の縁にもぐりこんでいる。フィリッピン海プレートの動きは早く,ユーラシア・プレートの下にもぐりこんだ反動で,ユーラシア・プレートは東側の縁が盛り上がるのだと思われる(図2)。盛り上がって大陸の縁は浅海となり,縁に沿って海面から頭を出した島々が形成された。それが現在の琉球列島である。

 琉球列島の中で,九州からトカラ列島の島々は,海底火山の噴火によってできたと考えられる。現在でも,薩摩硫黄島(標高704m)や諏訪之瀬島(標高796m)では活発な火山活動が見られる。

 なお,日本列島には,硫黄島が2つあることに注意していただきたい。ひとつは薩摩硫黄島(鹿児島県),もうひとつは東京都の硫黄島(標高112m)である。東京都の硫黄島は,太平洋戦争時の激戦地だった。こちらの硫黄島は自衛隊が管理していて,そう簡単には行けない。一方,薩摩硫黄島の方は鹿児島港から定期船「フェリーみしま」が就航している。鹿児島港発8:20,硫黄島着は13:00。帰りは次の日12:30発, 鹿児島港には19:40着。運賃は,2等船室で片道3,660円。いい島だと思う。船酔いは良い経験になる。

 琉球弧に話を戻すと,盛り上がった浅瀬の内側(大陸側)はフィリッピン海プレートのもぐりこみに引きずられ,海底が陥没した。それが現在の沖縄トラフである(図2と図4)。水深は,最も深いところで2,000mぐらいだろう。琉球弧は,東側は5,000mを超す深海(琉球海溝),西側は深さ2,000mの沖縄トラフの間に形成されている。

 琉球弧の東にはフィリッピン海プレートがユーラシア大陸プレートに潜り込んでいる。フィリッピン海プレートの移動に押されて,ユーラシア大陸の縁にある琉球弧自体も,少しずつ西側,あるいは北西側に移動している。石垣島や西表島を見ると,島は西側の海岸がactive margin,西側の海岸がpassive marginになっている。海岸の地形は,西側では絶壁が広がり,落石が頻繁に起きる。逆に,東側の海岸には広大な泥干潟ができ,サンゴ礁縁は陸から遠くに見える。

2.撮影と執筆の基本情報
<撮影と記事の執筆> 三枝誠行(生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。

3.参考文献
・離島航路の運航表(http://www.zephyr.justhpbs.jp/time_table.html)。かりゆし・平成丸の運航表もあり。
・P. Castro P. and M.E. Huber (2005) Marine Biology (Fifth edition). McGrawHill Higher Education, Boston.
・Nibakken, J.W. (2001) Marine Biology. An Ecological Approach. Benjamin Cummings, San Fransisco.
・気象庁「潮汐(ちょうせき)・海面水位のデータ」潮汐表・西表(IRIOMOE)。
・硫黄島(鹿児島県)(https://ja.wikipedia.org/wiki/硫黄島鹿児島県);硫黄島(東京都)https://ja.wikipedia.org/wiki/硫黄島東京都)

図 1.岩石圏プレート(lithospheric plate)の地球表層の境界線。日本列島の形成には 3 つのプレート(ユーラシア・プレート,太平洋プレート,およびフィリピン海プレート)が関係する。P. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biology, Figure 2.11 より転載。

図 2. 岩石圏プレートの移動。ユーラシア大陸にフィリッピン海プレートが潜り込み,その反動で大陸の縁が盛り上がって浅海になっている。トカラ列島は,海底火山の活動でマグマが海底から盛り上がって島を作ったが,奄美大島から台湾にかけての琉球弧は,フィリッピン海プレートのもぐりこみの反動で,ユーラシア・プレートの縁が盛り上がったのだろう。海底火山は琉球弧ではなく,西側の沖縄トラフの地下にある。
Lallemand, S. et al. (1999) から描き直す。
<参考文献>Lallemand, S., C.-S. Liu, S. Dominguez, P. Schnürle, J. Malavieille, and ACT Sci. Crew (1999) Trench-parallel stretching and folding of forearc
basins and lateral migration of the accretionary wedge in the southern Ryukyus: a case of strain partition caused by oblique convergence. Tectonics 18: 231-247.

図 3.トカラ列島の火山。左は横当島(休火山),右は諏訪之瀬島(現在活動中)。

図 4.琉球列島周辺の海洋深度。日本周辺図(国土地理院)を改変。
 シナ海は水深 100m 以内。沖縄トラフは,水深 1,000m から2,000m ほど。琉球弧の東側には琉球海溝があり,深さ 5,000m 以上の大深海が広がっている。
 琉球弧は,地質時代のいつごろからあったのか?琉球弧は,フィリッピン海プレートの潜り込みによって形成されたのだろうから,起源はフィリッピン海プレートが誕生した地質時代と関係するだろう。フィリッピン海プレートが出現したのは,5,000 万年ぐらい前,つまり新生代の古第三紀(始新世の初期)ではなかろうか?
 もちろんフィリッピン海プレートができたからと言って,すぐに今の石垣島や西表島が誕生した訳ではない。八重山諸島には,八重山層群と呼ぶ中新統(地層)が分布している。岩相の特徴ならびに推定される堆積当時の地理的位置からみて,この地層はユーラシア大陸東岸の沿岸浅海域で堆積したと考えてよい。
 その層準の地質年代は 14.91 Ma~13.53 Ma と推定される。(Ma or Mya は百万年の単位を示す Million years の略。) ユーラシア大陸の縁は,中生代からあったが,1,400 万年前に海底から隆起して,それ以降は海底に沈まず,海の上に頭を出し続けたということだろう。
<参考文献>小竹信宏・亀尾浩司・奈良正和(2013)沖縄県西表島の中部中新統西表層最上部の地質年代と堆積環境。地質学雑誌 119:701–713。

図 5.石垣港から西表島へ。八重山諸島に行く船は,すべて石垣港(離島ターミナル)から出港する。西表島に行くには,上原航路と大原航路の 2 つがあり,八重山観光フェリーと安栄観光の高速船(大原まで 40 分,上原まで 50 分)が運航している。どちらの会社で買っても同じ運賃だが,他の離島に行く船もあり,同時刻出港(共同運航)の時もある。出港する乗り場をよく確認することをお勧めする。高速船以外にも,フェリー・貨客船というのがある。貨客船は「かりゆし・平成丸」が運航しており,大原まで 110 分,上原まで 130 分かかる。石垣島と西表島の周辺には多くの島々があり,船から見る島々の景色は本当に美しい。「かりゆし」に乗れば,上原までは高速船の倍以上に時間がかかるが,島々の景色をゆっくりと堪能できる。また,西表島の北側の海では,長周期のうねりがよく見られる。海のエネルギー(地球のエネルギー)を感じながら,ちょっと船酔いも混じって,目的地にたどり着く,のは良い思い出になる。北回りの航路(上原航路)は,海が荒れているときには欠航になるが,北側の海から見る西表島の山々は圧巻だ。
 私が初めて西表島に行ったときには,第三幸八丸という 20 トン未満の木造船に乗った。石垣港から北回りで西表島の干立まで行った。4 時間以上はかかった気がする。長周期のうねりの上に乗れば亜熱帯の島々が一望でき,うねりの底に来れば,船は四方を巨大な波に囲まれた。これはいい経験だった。

図 6.西表島の東海岸と西海岸。白い破線で囲った範囲:右側が東海岸で左側が西海岸。石垣港から上原港まで 50 分,大原港まで 40 分。岡山空港から朝 8:30 発の那覇空港行きに乗れば,那覇空港を経由して新石垣空港には 13:10 に着く。空港からバスで 40 分。急げば 14:00 の船に乗れる。

図 7.大原航路。竹富島の近くを通過中(浅いところ)。天気は快晴,海は穏やかである。竹富島の海岸にはモクマオウとアダンが多く生えている。

図 8.黒島を通過中。水深 20m から 30m ぐらいか?高速船の船尾では激しい水しぶきが上がる。エンジン音もうるさい。高速船は,排水量 30 トンぐらいだろう。石垣港から大原港まで 45 分かかる。石垣–大原間は 31.4 km。高速船の速度は平均して 24 ノット,45 km/h ぐらいの感じがする。湾の外に出たら速度を上げるだろうから,最大 60 km/h ぐらいか・・・。風景を楽しみたければ,かりゆし・平成丸に乗船すればよい。大原港まで 120 分。

図 9.パナリ島近くを通過中。海はやや深く,水深 10m から 20m ぐらいだろうか・・・。島の中央に見えるのはリュウキュウマツの群落。

図 10.雨の大原航路。この日(図 3~図 5 とは別の年)は,途中で雷鳴がとどろきスコールになった。周囲がよく見えなくなったら,船は急にスピードを落とし,止まった。海の上を漂って,船が波に流されそうになるとまたエンジンを稼働させて位置を保った。30 分ぐらいしてから動き出した。

図 11.大原港に近づく高速船。正面に見えるのは西表島。空色の屋根の建物は,古見小学校の体育館だろう。西表島の山々は雄大なスケールだ。

図 12.西表島の東海岸。茶色い部分は泥の堆積を示す。東側の海岸は,構造的に泥が堆積しやすい地形であって,環境汚染ということではない。誤解なきよう・・・。仲間川は,仲間大橋より下流には泥の堆積は見られないが,橋より上のマングローブ(写真には写っていない)の堆積している。島の東
側では,生きているサンゴを見るためには,海岸から干潟を 1 km 歩かなければならない。特に古見のシイラ川河口では,半島に沿って 2 km 歩かないとサンゴは見られない。何度か試みた。しかし,半島の先に近づくころには潮が上げてくる。結局生きているサンゴは見られなかった。
 古見の海岸は,夜に行くと素晴らしい。満天の星が輝いて幻想的な雰囲気が漂う。ただし,海岸を離れて沖に向かって歩いてはいけない。すぐに方向がわからなくなるので,海岸に帰れなくなる。海岸に腰を下ろして空を見上げているのがよいが,手がかゆくなって懐中電灯を照らすと,とんでもない数のハマダラカがとまっていることがある。西表島では,かつてはハマダラカがものすごく多く,太平洋戦争中は多くの人たちがマラリアにかかって命を落とした(戦争マラリア)。東側の海岸沿いに豊原という集落がある。豊原の集落のはずれに「忘れ勿れ石」があり,戦時中に黒島から豊原に移住した住民の想いが,大きな岩の上に書き記されている。強制移住させられた人たちが,豊原のどのあたりに居を構えたのか,少し調べてみたが,場所はわからなかった。おそらく豊原の海岸沿いだろう。豊原と同様に,西表島には他の島から強制的に移住させられた人たちが住んだ集落がいくつかある。舟浮の西側にある網取や崎山がそうである。これらの集落は戦後に消滅したが,網取や崎山の自然環境は人が住むにはあまりにも厳しすぎる。

図 13.潮の干満と潮位の関係。海岸では平均 12.4 時間の周期で潮(tide)の干満(ebb and flow)がある。干潮(low tide)と満潮(high tide)が生じる原因は,地球上の海洋の任意の 1 点に作用する重力(向心力)と遠心力の差が,地球の自転にともなって,時間とともに少しずつ変化するためである。地球上の任意の 1 点が,月の一番近くに来た時には付近の海は満潮になり,最も遠くなった時(つまり裏側)には干潮になる。地球が自転して,任意の 1 点が月に対してもとの位置関係に戻るには,0.4 時間(24 分)余計にかかる。だから潮の干満の周期(interval)は,12.4 時間となる。(R. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biology, Figure 3.31 より転載)。

図 14.潮の干満と潮位の関係。潮(tide)の高さを潮位(amplitude)という。潮位は,地球の自転(rotation of the earth)に加えて,地球の公転(revolution)も関係して,潮の干満は 12.4 時間の周期に加えて,15 日間の周期(大潮と小潮)で変動している。さらに緯度や海岸の地形も大きく関係する。赤道周辺では「半日周潮」(a)の海岸が多いが,緯度が高くなるにつれて「混合半日周潮」(b)になる。さらに,潮の干満が 1 日 1回(日周潮)(c)になる海岸もある。(R. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biology (McGraw Hill), Figure 3.32 より転載)。

図 15.西表島における潮の干満と潮位(2024 年 5 月)。気象庁「潮位表」から転載。
地球上の多くの海岸では,平均 12.4 時間の周期で潮(tide)の干満(ebb and flow)がある。満潮と干潮の潮位(tidal amplitude)は,毎日同じ高さではなく,月の位相とともに毎日変化する。つまり,地球に対して,月と太陽の位置関係によって,地球上の海岸の潮位が影響を受ける。新月や満月の
ころは,大潮(spring tide)と言い,満潮(high tide)の潮位は最も高く,干潮(low tide)の潮位は最も低くなる。私たちの研究では,大潮の干潮時が重要である。しかも,潮位が 20 ㎝を割ると,リーフの縁(サンゴ礁縁)まで出られる海岸が多くなる。潮位が 20 ㎝より下がると,普段見られない面
白い海産生物がたくさん見られる。だから,南西諸島に行くときには,いつも潮汐表と相談して,潮位が 20 ㎝以下の大潮の時を選ぶ。
潮の干満に関してもう一つ大事なことがある。潮の干満の周期は,12.4 時間なので,地球上に任意の海岸では,一日ほぼ 2 回ずつの満潮と干潮が訪れる。干潮時の潮位は,季節によって大きく異なる。春から夏にかけては,夜の潮よりも昼間の潮の方がよく引く。図 15 をよく見るとわかるが,例えば 2024 年の 5 月には,潮位が 25 ㎝以下になるのは 5 月 21 日から 5 月 27 日の 1 週間,昼の 12 時から夕方の 16 時ごろである。

図 16.潮の干満と潮位の関係(秋から冬)。気象庁「潮位表」から転載。
大潮の干潮時の潮位は,秋から冬にかけては昼よりも夜の方がずっと低くなる。例えば,2023 年の 11 月下旬から 12 月上旬では,潮位が 25 ㎝より引くなる期間(interval)は,11 月 27 日から 12 月 2 日までの 6 日間である。この期間は,昼間の潮は 50 ㎝から 1m ぐらいまでなので,昼間に行ってもほとんど仕事にならない。
 一方,夜の潮は,一番よく引くのが 11 月 28 日・29 日・30 日の 3 日間で,-10 ㎝より低くなる。-10 ㎝というと,干潟の範囲が一挙に広がったような感じを受ける。ただし,11 月 28 日の干潮時は,夜中の 1 時ごろ。11 月 29 日は夜中の 1 時前。11 月 30 日は夜中の 2 時半ごろ。熱帯域の海産動物は夜行性(nocturnal)の種類が多く,干潟のタイドプールにはとんでもないお宝(例えばシマイセエビ)を見つけることがある。
 しかしながら,夜間の潮間帯の調査は大きな危険が付きまとう。海岸の近くに集落があるところは良いが,アカパナリや祖納の西側の海岸では,家々の明かりが見えない。前には,小浜島や鳩間島の明かりは見えるが,では後ろ(陸)はどこかというと,まったく方向がわからない。これは恐怖である。海岸に懐中電灯を 2~3 本つけておかないと帰れなくなる。潮が上げてきても,陸方向ではなく蛇行して流れていることが多い。

図 17.潮の干満と潮位の関係(南アメリカ大陸)。地球の表面には,数多くの大陸プレートがあり,それらが独立して思い思いの方向に動いている。南アメリカ大陸は,真西の方向に移動している。大陸移動の前面(太平洋側)は,active margin と呼ばれ,海岸の傾斜が(相対的に)急で,陸上から流れ込んだ泥は海岸に堆積しにくい。大西洋側の縁は passive margin と呼ばれ,沿岸はなだらかな斜面になっている。そのため,大陸棚には陸上から流入した泥が堆積しやすい構造になっている。
 琉球弧の深海には,ユーラシア大陸プレートの下にフィリッピン・プレートが潜り込んでいる。その反動で,ユーラシア大陸の縁(margin)が盛り上がり,海上に出た部分が琉球列島になっている。西表島の付近では,ユーラシア・プレートは北西方向に移動しているため,西表島の西側海岸はactive margin になり,東側の海岸は passive margin になる。大陸プレートの移動を考えなくても,単にフィリッピン・プレートのもぐりこみの反動で,島々に西低東高の傾斜ができていると考えてもよいだろう。(R. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biology, Figure 2・20 より転載)

図 18.西表島の東海岸(古見)。干潮時には広大な泥干潟が見られる。大潮の干潮時に行かなくても,干潮時であれば,毎日見られる。

図 19.東海岸の泥干潟(古見だったか?)。大潮の干潮時だとサンゴ礁縁のかなり近くまで干出するが,礁縁に着くまでに潮が上げてくる。

図 20.干潮時の後良川(シイラ川)の景観。泥干潟は部分的に軟泥層(ヘドロ)になっている。正面の被子植物はヒルギダマシ(ヒルギの 1 種)。

図 21.後良川の河口(橋より海側)。干潮時。川の水はタンニンが溶けて黒ずんでいる。川岸の両側に生えているのはヤエヤマヒルギ。

図 22.後良川の河口(橋より上流側)。干潮時と思う。ヤエヤマヒルギの群落。「高等学校生物Ⅱ」の教科書の写真は,ここで撮影された。

図 23.前良川(マイラ川)の河口。満潮時か?河口(estuary)だと,小潮の時でも,干潮時に干潟を歩けることが多い。ここは干潮時でも深く無理。

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