生物多様性研究・教育プロジェクト(研究と教育の原点を考える) Ⅰ. サンゴ礁とサンゴ礁原 2023‒No. 3:西表島の夏は4月から始まる。

1.Introduction
 昔は,大学の授業は2時間だった。いくら勉強熱心な大学生と言っても,さすがに2時間もじっと椅子に座って講義を聴くというのは苦痛だった。教員の方もよく承知していて,時間通りに講義室に現れる先生は多くなかったように思う。その一方で,20分ルールだか,30分ルールだかがあった。先生が30分も来なければ,学生は一方的に休講と判断した。そして,大学近くの喫茶店(お金がないときには学食か,大学内の控室)に行き,他愛もない議論に花を咲かせていたように思う。

 日本の教育制度では,新入生は入学後の2年間は,教養教育科目を履修する。大学によって多少異なるが,専門科目の履修とクサビ形になっている。日本の大学教育の特徴(負の遺産)は,特に理系の分野では,教養教育をバカにする教員が後を絶たないことだ。理系の教員は概して視野の狭い人たちが多く,自分の関係する専門科目の履修ばかり強く望んでいる。しかも,何かにつけて必修科目にしたがる。自分の都合しか考えず,自己中心的な人たちが多いのだろう。さては・・・,自分たちが過去に受講した教養教育科目から,あるいは教養教育の時代の経験からは,よほど得るものが少なかったと見える。

 そういうこともあるが,一番大きな問題は,中学や高校の間に受験勉強ばかりに専念した結果,視野が狭くなってしまったのではないか?視野が狭くなった原因はわかるとしても,ではその責任は誰がとるのかというと,これは難しい話になる。本人だけが問題ではない。しかし,学校教育(文部科学省)や親の方に責任を押し付けても解決する問題ではない。だから,学校教育にはいつも回顧願望が付きまとうのではないか?明治時代の修身教育は素晴らしかったとか,昭和初期のスパルタ教育は,国力の強化に大いに役立ったと・・・。

 昔は,田舎に住んでいると,町に出るまでにすごく時間がかかった。インターネットもない時代だから,都市という世界かよく理解できなかった。多くの大学は都市にある。大学に入学すると高等学校までの日常とは異次元の世界に接することができた。私の場合には,新宿,お茶の水,神田,茗荷谷という都市を経由して自宅と大学を往復できる生活は嬉しかった。

 にもかかわらず,実際に研究を始めたのは,下田(静岡県)の河口域,笠岡・廿日市(広島県)・甲殿川(高知県)の干潟であった。琉球列島も頻繁に訪れた。この4~5年は土佐湾(太平洋岸)の十脚甲殻類が対象である。研究場所はどこも都市とは無縁の世界である。

 さて,大学1年の終わりの春休み。1971年3月5日だったと思う。3,000トンぐらいの船で晴海ふ頭を出港した。1日目は,九州沿岸で日が暮れた。夕方まではデッキを飛び回っていた。しかし,夜には辛い船酔いが襲ってきて,2等船室で横になってじっと辛抱した。船は,2日目はトカラ列島から奄美大島や徳之島の付近を通過した。

 2日目も船酔いは続いたが,新鮮な空気を求めてデッキに出ると,海面すれすれに飛ぶ数多くのトビウオの姿を見ることができた。その時に,本州では味わうことのできない生暖かい風を感じた。

 3月7日は伊平屋島,伊是名島,伊江島,沖縄本島が見えてきて,昼頃に那覇港に着いたと思う。陸上に上がっても船酔いは残り,体は常に上下に,また左右に揺れ続けた。

 那覇には,船の都合で2日間滞在し,3月9日に1,000トンぐらいの船で那覇港か泊港を出たと思う。那覇までの船で体験した船酔いは終息し,太平洋の荒波にも耐えられた。9日の夜は天気がよく,明るい月光(0.3~0.5 luxぐらいか?)に照らされ,盛り上がっては消える海の荒波(10mほどの長周期のうねり)には感動さえ覚えた。

 石垣港に到着したのは3月10日の昼。寒くはなかったが,さすがに夏と言えるほど暑くはなかった。3月11日には,石垣島のバンナ岳のふもと(図1)で昆虫採集を行った。次の日,3月12日に第3幸八丸で西表島に渡ったと思う。第3幸八丸の行き先は,島の西側にある白浜だったが,途中干立(ほしだて)の浅瀬に船をつけてもらい,そこで船を降りた。

 1971年の春は,3月いっぱいは西表島にいたと思う。3月25日か26日までは干立の公民館に泊り,天気が良いときには白浜方面で採集した。また,裏内川を越えて上原や船浦にも行った。もちろん,乗り物はなく,すべて徒歩で往復した。

 3月中旬から下旬にかけては,天気の良い日は真夏の暑さになったが,雨が降ると冬に逆戻りの日々が続いた。3月26日だったかに島の横断を始めて,山中で確か2泊したと思う。3日後の3月29日だったか,古見を経由して暗くなってから大原に着いた。石垣島には1週間ほどいて,ヒッチハイクをしながら島を一周した。

 4月に入るともう寒い日はなく,石垣島では毎日真夏の暑さの中をひたすら歩き続けた記憶がある。

 南西諸島は,4月に入ると真夏になる。雨がしとしと降り,夜になっても気温が下がらない晩には,驚くほど多数の生物が出現する。西表島では3月と4月では,観察できる生物の種類や個体数に大きな違いがある。私は,西表島には4月以降に調査に行くことにしている。

2.撮影と執筆の基本情報
<撮影と記事の執筆> 三枝誠行(生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)
<撮影場所> 大富林道(西表島)。
<撮影時期> 2018年4月が多い。
<撮影機材> Casio Exilimと Pentax K–r。

3.参考文献
・神谷厚昭(2001)西表島の地形と地質-露頭の紹介を中心として。沖縄県立博物館(編集)「西表島総合調査報告書—自然・考古・歴史・民族・美術工芸」Pp. 3‒20。(https://okimu.jp/userfiles/files/page/museum/issue/report/11.pdf)
・木村政昭(1996)琉球弧の第四紀古地理。地学雑誌105: 259‒285.
・小島奎三・林匡夫(1969)原色日本昆虫生態図鑑(I)カミキリ編。保育社。
・小竹信宏・亀尾浩司・奈良正和(2013)沖縄県西表島の中部中新統西表層最上部の地質年代と堆積環境。地質学雑誌, 119: 701–713。
・京浜昆虫同好会(1973)新しい昆虫採集案内(Ⅲ)離島・沖縄採集地案内編。内田老鶴圃新社。
林野庁九州森林管理局・西表森林環境保全ふれあいセンター(編)西表島の植物誌。木本類(その1)。 (https://www.rinya.maff.go.jp/kyusyu/iriomote_fc/pdf/mokuhonnruino1.pdf)
・九州森林管理局(編)西表島の植物(木本類)。(https://www.rinya.maff.go.jp/kyusyu/iriomote_fc/syokubutu1.html)

図 1.1971 年 3 月 11 日に昆虫採集を行った場所(石垣島)。バンナ公園付近の道路沿いで採集。昔はバンナ公園入口の付近に狭い田んぼがあった。(今は道路が拡張されて田んぼは消滅。)田んぼの付近とバンナ岳に上がる道の途中までの範囲で採集した。リュウキュウアサギマダラ,タイワンキチョウ,ナミエシロチョウ,イシガケチョウ,アオスジアゲハはたくさんいたと思う。ツマベニチョウも見たかもしれないが,早くて捕れなかった。

図 2.大富林道(西表島)。国立公園内では昆虫を含めて生物の採集が一切禁じられていると言う人たちがいる。確かに,天然記念物は許可なくしては採集できない。一方,昆虫等であれば,国立公園内でも「普通地域」であれば,捕獲許可がなくても昆虫採集ができるのではないだろうか? ただし,普通地域であっても,乱獲はやめていただきたい。数年前からヤシガニも八重山諸島全域で採集禁止になっていると思われる。

図 3.大富林道。私が西表島で昆虫を集めたのは,2005 年よりも前のことである。現在,大富林道で昆虫採集ができるか,西表島の古見にある西表・野生生物保護センター(環境省)に問い合わせていただきたい(https://www.env.go.jp/nature/kisho/wildlifecenter/iriomote.html)。自然観察について注意することなど,たくさん教えてもらえると思う。天然記念物のオカヤドカリは採集禁止なので,竹富町の教育委員会を通じて(研究のための)捕獲許可を取ったが(2023 年 6 月),その時には野生生物保護センターに電話して,採集場所が普通地域に該当することを確認した。

図 4.大富林道の脇にある田んぼ(多分古くからある)。入口わかりづらい。田んぼの縁にある小道は,農薬散布が行われていなければ,伐採枝や伐採木にカミキリムシを始めとした甲虫類が多い。写真の感じだと,田んぼ以外に小道の上に農薬が散布されているので,甲虫類はほとんどいないと思う。

図 5.(左)アデクの花。すごく地味な花だが,カミキリムシには絶大な威力があるようだ。沖縄県農林水産部 森林資源研究センター 有用樹木要覧から転載(https://www.pref.okinawa.jp/site/norin/shinrinken/kikaku/yuyou-detail/adeku.html)。(右)ヤエヤマノボタンの花と吸蜜に訪れたミナミアオスジハナバチ。なぜか,ノボタンの花にはアオスジコバチが専売特許のように誘引される。右(ノボタンとハナバチ)は,私が撮影した。

図 6.林道の脇の伐採枝や伐採木の「叩き網」で採集されるカミキリムシ。標本は,1972 年 7 月に採集した。採集してから 50 年たっても,元の色や模様が残っている。1970 年ごろ,島の西側の白浜から,東側の大富をつなぐ林道(舗装道路)を作っていたようだ。ウシクムルは,その時に伐採されたと思う。この計画は中断し,島の北側に舗装道路が作られた。西表島の場合には,がけ崩れが激しく,島を横断する舗装道路は作れないと思う。

図 7.西表島のカミキリムシ(顕微鏡下で撮影)。種名はよく覚えていないが,上段左から,ムネモンアカネトラカミキリ,イツボシシロカミキリ,ワモンサビカミキリ,アナバネヒゲナガカミキリ,下段はコゲチャサビカミキリだったかな? ウシクムルは白浜から旧道を上がって行き,美多良(みたら)が見えるところで山の方に入る小道(横断道)がある。道沿いは伐採されていて,その時に採集したと思われる。ウシクムルから見た白浜の湾の景色は素晴らしかった。昆虫の標本は,まとめて写真に撮る(図 6)よりも,一匹ずつ写真にとる方(図 7)が,記憶がよみがえってきて,懐かしく感じられる。写真に撮った後は,残念ながら,引き取り手がいないので廃棄処分になる。

図 8.大富林道沿いにある亜熱帯植物展示林(図 3)の入り口。この道(散策路)を下ると仲間川に出ると思う。川に下る途中は,森林性のチョウや甲虫類を見ることができる。チョウでは,ヒメウラナミシジミ,コウトウシロシタセセリ,春ならば甲虫ではヤエヤマクビナガハンミョウがいる。

図 9.大富林道。亜熱帯植物展示林の入り口に車 3~4 台が駐車できるスペースがある。ここで車を降り,ゲート(車止め)の横を通って,大富林道を歩く。しばらくは,樹木の覆いかぶさらない道を歩く。このあたりの樹木は非常に生育が悪い。おそらく地層に栄養分がないのだろう。

図 10.大富林道。樹木の覆いかぶさらない暑い道の両側には,シダ類の他に,ギンネム,シャリンバイ,ヤブニッケイなどの低木が目立つ。他の場所ではタブ,スダジイ,オキナワウラジロガシとか高木が育つのに,ここは何十年たっても高木が育たない。西表島にはそんなところが何か所かかる。

図 11.大富林道(取水場付近)。この辺りはうっそうとした亜熱帯林になる。タブ,スダジイ,オキナワウラジロガシに混じって,ヒカゲヘゴも大きく成長している。林床には,イシガケチョウ,アゲハ類,シロチョウが多く,シロバナセンダングサにはキチョウやツマムラサキマダラもとまっている。

図 12.大富林道(図 11 の続き)。いつも大富林道は,自分の目の高さで撮影してきた。2018 年は,継竿(つぎざお)の先にカメラ(Casio Exilim)をつけて 4.5m の高さから林道を撮影した。自分の目線で見た時よりもだいぶ迫力が増したように思えるが,読者の皆さまはどう思われるだろうか?

図 13.大富林道(図 12 の続き)。林の上の方では,ナミエシロチョウがたくさん飛んでいる。時々ツマベニチョウの姿も見られるが,採集できるところまで降りてこない。林床にはイシガケチョウ,タイワンキチョウ,ツマムラサキマダラ,ヤエヤマウラナミジャノメ,アゲハ類がいる。

図 14.ヒカゲヘゴ。成長が早く,ハスノハギリやガジュマルという広葉樹の上に葉を広げられるのがすごい。以前には林道脇にダイオウシダ(?)があったが,道路拡張で伐採されてしまった。もし本当にダイオウシダであれば,天然記念物になってもよかったかもしれない。

図 15.自分の目の高さで撮影した大富林道の風景。晴れていれば,陽だまりにはたくさんのチョウが下りてくる。クワズイモやハスノハギリなどの葉の上には,多くのハチ類に混じって,春ならばヤエヤマクビナガハンミョウの姿を見ることができる。道の上には小さなシロスジハンミョウもいる。

図 16.大富林道(図 15 の続き)。林道の脇にはつる性の植物も多い。クワ(シマグワ)やクワズイモも見える。正面はシュロだろうか?ガジュマルやギンネム,アカメガシワ,パパイアなどが見られる。雨上がりであれば,アゲハ類,キチョウ,イシガケチョウが給水に来ている。

図 17.道路上で吸水しているミカドアゲハ。お尻をよく見ると,吸水するそばからおしっこをじゃんじゃん出しているのがわかるだろう。年によって大きく異なるが,西表島ではアオスジアゲハと並んでミカドアゲハは普通にみられるチョウだ。高知県にもいるようだが,個体数は少ないだろう。

図 18.道(大富林道)の上で吸水しているミカドアゲハ。幼虫の植草はオガタマノキとのこと。与えればタイサンボクも食べるらしいが,オガタマノキとタイサンボクでは,葉の厚さや硬さが大きく違うように思われる。オガタマノキは,西表島にはたくさんありそうだ。

図 19.シロバナセンダングサの花で吸蜜するオオスカシバ(Cephonodes hylas)。ハチドリ(鳥)と間違えられる。日本列島から東南アジアまで広く分布する。初めて西表島で見て感動した。しかし,東京に戻ってしばらくしてから,自宅の庭のホウセンカの花に来ているのを見て,また驚いた。

図 20.吸蜜するオオスカシバ。幼虫はクチナシの葉を食べているということで,都市部にも多い「ガ」(蛾)である。西表島で初めて見て感激した昆虫の中で,イシガケチョウ,ムラサキシジミ,ウラギンシジミ,ツマグロヒョウモン,ウラナミシジミは岡山市内でも見られた。しかも個体巣は多い。

図 21.ナナホシキンカメムシ。西表島のナナホシキンカメムシは,沖縄本島の亜種と比べて金属光沢が強い。でも,やはりカメムシはカメムシなので,手でつかむとカメムシ特有の臭いを発する。ハスノハギリの葉にはたくさん来ている。なお,ハスノハギリの実はとても面白い構造をしている。

図 22.スジグロカバマダラ。西表島ではカバマダラはほとんど見られないが,スジグロカバマダラは個体数が多い。よく似たチョウとしてメスアカムラサキのメスがいる。メスアカムラサキは最近はほとんど採集されていないかもしれない。

図 23.ツマムラサキマダラ(♀)。始めはグアムや台湾から台風に乗って八重山諸島にやってきて(日本語では迷蝶だが,該当する英語名称はない),冬を乗り切ることができれば,飛来した島に定着し,何世代も繰り返す。ツマムラサキマダラは,現在(2023)も西表島で繁殖していると思う。

図 24.ベニボシカミキリの成虫。もう 30 年も前になるが,7 月に大富林道の取水施設の前(図 12)を飛んでいた。昔は祖納の鉄塔に上がる小道の柵(木製)で採集されたが,現在は古見岳の登りにかかる前の平坦な原生林内で採集されている。県道脇の駐車場にはいつもレンタカーが止まっている。

図 25.ギランイヌビワの実。イヌビワの仲間は,実は細い枝の先からではなく,幹から生えてくる。幹に実をつける樹木は,熱帯では多い。中国の雲南省に行った時も,森林の中や人家の庭で幹に実をつけた樹木をたくさん見た。西表島では,ギランイヌビワの実はオオコウモリが食べにくる。

図 26. 仲間川展望台(図 3)から見る仲間川とマングローブ。地上から 4.5m の高さから撮影。遊覧船の船着き場は,まだ上流(右側)にある。川の両側はヒルギ林になっている。ここまで川をさかのぼると,メヒルギやオヒルギになる。手前の斜面にあるのはオオハマボウの群落。

図 27.ナミエシロチョウ(♀)。西表島ではナミエシロチョウは多い。かつてウシクムルの山道を歩いていた時,ナミエシロチョウの大群が山の斜面を吹雪のように舞い降りてきたのを見た。ナミエシロチョウやタイワンクロボシシジミは,森林でも多いが,人里にもたくさん飛んでいる。

図 28.ネッタイアカセセリ(?)。西表島にはセセリ類が多い。セセリの仲間はみな地味なので,一番派手そうなネッタイアカセセリを紹介した。森林の中には,クロセセリ,オオシロモンセセリ,コウトウシロシタセセリがいる。

図 29.ヤエヤマサナエトンボ(Asiagomphus yayeyamensis)。石垣島と西表島に生息。今年(2023)高梁市有漢町(岡山県)の道路上でよく似た種類を拾ったことがある。西表島では,トンボが他の種のトンボを捕って食べていた。夜はヘビが少し小さいヘビを飲み込んでいるところも見た。

図 30.リュウキュウアサギマダラ。初めて西表島に行ったとき(1971 年 3 月),干立の集落の入り口にあるフクギの並木道にたくさん飛んでいた。フクギは台風で倒れたり,伐採したりで,現在は少ししか残っていない。琉球列島の代表的なチョウと言えば,私はリュウキュウアサギマダラを推薦する。

図 31.マサキウラナミジャノメ。林床にいるジャノメチョウは,本種の他に,ヒメジャノメ,ヤエヤマウラナミジャノメがいる。ジャノメチョウではないが,夕方になればウスイロコノマチョウの姿を見かけることがある。シロオビヒカゲもよく見かける。

図 32.カンムリワシ。随分と白い個体だが,幼鳥なのだろうか?それとも老人か?カンムリワシは,西表島に電柱が立てられてから,いつも道路沿いの電線で見かけるようになった。人が近づいても,すぐには逃げ出さない個体が多い。人里に出てくる野鳥は,人なれしている。

図 33.竹富町立大原中学校。裏庭だと思う。大富にあるが,名称は大原中学校のようだ。夢を見ることは大事だが,夢をどのように実現するかが難しい。まわりのことは気にせずに,中学校では基礎学力をつけることを忘れないでほしい。基礎学力があれば,自分でものを考えられる。急がば回れ!

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