生物多様性研究・教育プロジェクト 四季折々の自然の風景と野鳥 2023–No. 10: イチリンソウとニリンソウと四角錐の墓

令和5年(2023)5月10日(火)

1.はじめに
 令和5年(2023)4月24日(月)は,吉備中央町から高梁市の有漢川(うかんがわ)周辺にある巣箱を見て回った。有漢川周辺には,標高400mから600m近くの山が連なっており,支流の川沿いには段々畑や田んぼが広がっている。山々の間には,背の高い橋脚があり,その上を岡山自動車道が走っている。現在4車線化の工事中であり,山を切り崩した土壌(残土)を運ぶダンプカーが頻繁に往来している。

 岡山自動車道の有漢川沿いには,県道332号がある。片側1車線の割と広い道路であるが,岡山自動車道をくぐって少し行くと,大型通行止めの道路標識がある。私はこのあたりのことを「有漢どん詰まり」呼んでいる。「どん詰まり」から先は,332号は急に道幅が狭くなり,曲がりくねった山道に入る。一応舗装はされているが,広い道とは異なったスリルがある。細い一本道を進んで行くと,真庭市栗原という所に出る。しかし,真庭市落合に行くなら,県道332号ではなく隣の県道312号をお勧めする。

 「有漢どん詰まり」には,ブッポウソウの巣箱がいくつかあり,今年(2023)は早くからブッポウソウの姿が見られた。誰かわからないが,太い電柱に設置した「フタ取れかけ巣箱」には,すでにメスが入って産卵床を整えていた。メスが巣箱を出て,20m先にある広葉樹の林にとまると,何匹かのブッポウソウが待っていたようだ。盛んに「グーグルグル・コール」を発しながら,ペアを確認し合っていた。「グーグルグル・コール」は,鳴き声だけでなく,互いに体を上に伸ばして頭を振る行動で,「俺(or あたい)」とペアになってくれ」という合図(sign)だと思う。我が家にいる「ぴよ吉」も,私が真似をして近づくと,盛んに「グーグルグル・コール」を発する。もちろん,私がぴよ吉とペアになることはない。向こう(ぴよ吉)が勝手にそう思っているだけの話である。

 今年(2023)はどこの地域でもブッポウソウの到着が遅れている。5月12日になっても巣箱の奪い合いで,グーグルグル・コールだけでなく,「ケー・ケケケケ」というような相手を強く威かくする(threatening)声はまだ聞こえてこない。私の予想では,5月15日(月)か16日(火)を過ぎたあたりから,聞こえるようになると思う。「ケー・ケケケケ」と言う威かく音は,激しいケンカの合図でもあり,2匹で壮絶な攻撃行動を繰り広げ,負けて傷を負った個体は落鳥し,治療の甲斐なく,4~5日もすれば死亡する。幸運にも傷を負わなかった個体は,すぐさまその場を去ってゆく。負けた方の個体の精神的ショックはいかばかりか,計り知れない。

<イチリンソウとニリンソウ>
「有漢どん詰まり」の動物相(fauna)と植物相(flora)は面白い。動物では7月に入ると,カブトムシやクワガタムシ(ミヤマクワガタとノコギリクワガタ)の頭をもいで,胸部と腹部を食べる鳥(多分)がいる。アオバズクではないかと思う。

 頭部だけ落ちているクワガタムシ(7月なので注意)の脇には,春(4月)になるとイチリンソウが咲く(図1と図2)。イチリンソウ(これは和名)の学名は,Anemone nikoensis Maxim.である。命名者は,破門草事件で登場するあのCarl Johann Maximowiczである。属(genus)の名称であるAnemoneの語源は,ギリシャ語の「風」を意味するようである。種名のnikoensisは,栃木県の日光(標本の採集場所)から取ったのだろう。

 4月26日(水)に吉備中央町と江与味の境にある山の斜面を下っている際,道の脇でヤマルリソウの群落を見つけた(図3,図4,および図5)。花(がく?)は,淡いブルーが多かったが,ピンク色も少数見受けられた。 
翌4月27日(木)は,和中から県道21号を通り,上野(吉備中央町)に行った。途中の沢沿いでニリンソウを見つけた。ニリンソウの学名はAnemone flaccida。Anemoneは風,flaccidaは柔軟とか柔らかいという意味のラテン語。「さわやかな風」と言う意味になるだろう。

<生物種の命名をめぐるトラブル>
 真核生物は,それぞれの種類に名前が付けられている。名前の付け方は,リンネ(1707-1778)が提唱した2命名法(binary nomenclature)に従っている。二命名法とは,最初に属(genus)の名称,次に種名(species)を併記してイタリックスで示す。種の命名は,該当する種の特徴を表す付与することが薦められる。標本の採集された地名(location)をつけることもよいだろう。その意味では,Anemone nikoensisA. flaccidaも十分に合格である。

 ところが,マニアの世界では採集者や命名者の名前を付ける習慣が横行している。矢田部良吉はトガクシソウに新属Yatabeaをパブリッシュしようとして,破門草事件を起こした。カンテンコケムシにAsajirellaと名付けた丘浅次郎の方は,コケムシを研究する者がいないので,Asajirellaは未だに残っているだろう。

 伊藤篤太郎(いとうとくたろう)の破門草事件にわかるように,学名に人名をつけると,命名した本人はご機嫌かもしれないが,採集した研究者やその種を使って系統学的研究をする者にとっては,著しく不快な感情が沸き起こる。学名は,記号(symbol)と同じだから気にするなと言ったところで,論文を書く方にとってはものすごく大きな精神的負担を感じる。学名に人名が入っていると,論文が,学名をつけた者の指導を受けて書かれたような感じになる。特に,学名をつけた者の学問や人柄を信じていない場合には,精神的負担はさらに大きくなる。経験した者でないと理解できない感覚である。

 私も,アナジャコと言う十脚甲殻類(decapod crustaceans)の系統学の分野で,今も伊藤篤太郎とよく似た問題に巻き込まれている。だから伊藤篤太郎の気持ちは痛いほどよくわかる。私個人は,伊藤篤太郎は,矢田部良吉に破門されて本当に良かったと思う。矢田部の提案を受け入れ,じっと辛抱して帝国大學理科大學に残ったとしても,スタッフとしての正式な身分は永久に与えられなかっただろう。

 伊藤篤太郎はよくあれだけのことを決断できたと思う。いざというときには,人に頼るのではなく,今まで培ってきた多くの知識をもとに,自分自身で判断を下す「勇気」が,新しい人生を切り開くのだと思う。本当の敵は身近にいる。何かあると,敵はさもうまそうな油揚げをぶら下げてくる。油揚げに飛びつくと,後は屈辱的な人生が待っている。体を張って敵に対峙する勇気が必要である。

<演繹的思考と帰納的思考の対立>
伊藤篤太郎や牧野富太郎の学問は,現在の古典分類学(taxonomy)と同じ方法を使っている。つまり,演繹的手法(deductive method)に基づいて生物を分類する(classify)ために,検証(verification)を必要としない。というか,してはならないといった方がよいだろう。演繹主義に憑りつかれた人々は,自分が「神」に近い存在であるという「幻覚」を持つのであろう。

 そういう者が,動物を分類し,最初に種(species)を記載した場合には,自分が全権を掌握したと思う。つまり,「権威者」であることを自覚する。そして,権威者には,微塵も異議を唱えることは許されない,と思うようになる。過去には,東京大学理学部の出身者の中に,そういう感じの者が多かった気がする。現在は,出身大学に限らず,自分の都合だけを考えて行動する者(主に管理者)は,みんな同じようなことを言っている。

 牧野富太郎は,演繹的手法(要するに直感)に基づいて植物を分類したが,記載した植物のスケッチは,きわめて精緻で現実感(客観性)に溢れている。過激な演繹主義,つまり宗教性は感じられない。伊藤篤太郎の方も,過激な演繹主義に憑りつかれている感じはしない。

 一方,松村任三の方は,帝国大學理科大學に植物形態学(plant morphology)という検証可能な学問を導入した。「検証可能」(verifiable)と言っても,100年以上前のことだから,オーギュスト・コントの提唱した実証主義(positivism)の思考に基づいた学問だったのだろう。行き過ぎた実証主義の例は,形態学,微細構造生物学,電気生理学などの分野でよくみられた。機能を考慮せず,現象のみを記載して終わる学問である。松村任三も,当時流行が始まった実証主義のとりこになってしまったのかもしれない。

 ・・・という訳で,伊藤篤太郎や牧野富太郎の演繹的思考は,松村任三の進める帰納的思考と真逆の方向にある。松村が,伊藤や牧野に嫌悪感を抱いたのは,必然的な歴史の流れだったと思う。伊藤篤太郎が帝国大學理科大學に残ったとしても,牧野富太郎と同様に,松村任三に早晩追い出されることは目に見えている。牧野富太郎のように在野の研究者になれば,迫害は受けず,牧野の人柄や絵の美しさを慕って多くの人々が集まってくるだろう。在野で生きる方が,断然精神的な負担は少なく,生きることの満足感が得られるに違いない。

 なお,私はリンネの提唱した2命名法(binominal nomenclature)自体が悪いと言っている訳ではない。それを利用して自分の功名心を満たそうとする者を批判している。もうひとつ,破門草事件や,松村任三と伊藤篤太郎・牧野富太郎との不仲の原因に関しては,Wikipediaの記述と私の見解には隔たりがあることを付記しておきたい。
研究のことを書きだすと,次から次に頭の中に文章が湧いてきて,記事はどんどん長くなる。この記事を読まれる方がいれば,大変申し訳なく思う。もっと簡潔に,かつ正確に書ける能力があればよいが,・・・と後悔する。

<四角錐の墓>
 話は元に戻って,4月下旬に何度か有漢町と川井町(ともに高梁市)では,民家の軒先できれいな花がたくさん咲いていた。花の名前に関しては,可能な限りインターネットで調べてみたが,見逃してしまった種類も多い(図9から図11)。川井町では,石垣の上で日向ぼっこをしているシマヘビ(Elaphe quadrivirgata)に出会った(図12)。

 生物多様性研究・教育プロジェクトの設置するブッポウソウの巣箱(nestbox)は,意図してつけた訳ではないが,巣箱の近くにお墓や神社があることが多い。私がブッポウソウの観察に行くことは,電柱の近くにある墓参りに行くことと同じ意味を持つかもしれない。

 図13と図14は,高梁市川井町にあるブッポウソウの観察場所を示している。巣箱(J-05)は中央の電柱に添加されている。ブッポウソウは田んぼの縁に立っているスギの立ち枯れの枝にとまり,巣箱との間を往復する。ブッポウソウは撮影位置から少しだけ上を見上げる形になる。場所は,下記の理由にて公開していない。時々記事を配信するので,そちらを見て楽しんでいただきたい。電柱の近くには清流ビオトープ(図15)も見られた。

 高梁市有漢町や川井町の特徴として,墓石のてっぺんが四角錐になった墓があることだ(図16から図19)。四角錐の墓は,太平洋戦争で徴兵され,現地で戦死された方々を埋葬している。実際には四角錐の墓には,お骨は入っていないだろう。

 図16のお墓の碑文には,「故陸軍伍長 片岡嘉雄,行年26才」とある。戦死された場所は「具志島」とあるが,沖縄本島周辺には「具志島」とい名称の島はない。お亡くなりになったのは,現在の那覇市具志だろう。川井町の実家の方々は,沖縄本島の周辺に「具志島」があると思われて,石碑に記入したのではなかろうか。

 J-05と反対側にあるお墓(図19)の碑文は,判別しにくかったため,近くに住むご遺族の方(ご子息)に戦死した場所を尋ねてみた。戦死されたのはビルマとのこと。「故陸軍伍長 片岡豊。昭和19年7月25日壮烈無比の戦死を・・・。行年30才」とある。ご子息(もう80才近くになる良いおじいちゃん)の話では,病死とのことである。

<生物多様性研究・教育プロジェクトが設置した巣箱>
 私が「因業じじい」と言うと,自分が言われているのではないかと疑って,激しくかみついてくる者がいる。世間にはそうとしか言いようがないじいさん・ばあさんたちがいる。実は,この私も昔から「因業じじい度」はかなり高いが,もともと差別的な扱いを受けている組織だから,人格者や良い人を装ってはNPO法人自体がつぶされる。

 生物多様性研究・教育プロジェクトでは,因業じじいが出没する付近の電柱には巣箱を設置していない。過去に何度も激しく怒られて,その度に場所を変えながら,現在に至っている。因業じじいにまともに対峙すると,大変な目に合う。やばいと感じたら,証拠を残さずにすぐにその場を離れるのが一番良い。これは幼少時からの経験に基づいて私の開発した行動様式であり,二宮尊徳が受けた教育とは正反対の精神に立脚する。中山良二さんらは,地元の因業じじいとは懇意にしているか,性格はよく知っている。しかし,私はよそ者である。中山さんらと同じようには行かない。だからと言って,郷に入っては郷に従えみたいな物の考え方はしていない。

 巣箱設置の経緯を述べることはあまり意味がない。結論を言うと,巣箱が現在の位置に設置されるまでには大変な苦労があったことである。現在巣箱が設置されている周辺の住民は,みんな私には親切である。だからと言って,ブッポウソウのみが目当ての写真家や観光客,肩書をひけらかす者に対しても親切かはわからない。また,理由はいろいろだが,絶対に行ってはならない場所もある。そういう場所で因業じじいに出会ったら,私は逃げられるが,一見(いちげん)さんはつかまって大変な目に合わされるだろう。ろくに調べもせず,うわさを信じて,どこでもブッポウソウに出会えるだろうという安易な感覚で里山を訪れると,あまり良い思い出は残らないと思う。

<多様性プロジェクトの巣箱でのブッポウソウの観察>
 私の場合には,トラブルが起きれば,日名義人さんがすぐに火消しに駆けつける。しかし,周囲に気を配ることが苦手な人たちには,手の打ちようがない。だから,多様性プロジェクトの巣箱でブッポウソウを観察したい人たちに対しては,次の二つの方法が考えられる。

 吉備中央町については,私が日名さんによい場所を教えるだろう。日名さんがそういう方々を連れて行って観察したらよいと思う。日名さんがいれば,地元の人たちも好意的にみてくれるだろう。
それ以外の場所(高梁市有漢町・巨瀬町・川面町の一部,北房町,美咲町江与味)は,近澤峰男さんのように,個人的に知り合いの人に限ることにしたい。キジムナーになれる人でないと来ない方がよい。

 ブッポウソウの巣箱は,設置者に管理の責任がある。正常に管理できない恐れがある場合には,観察者に対してその場を離れるよう指導することは可能だろう。・・・という訳で,多様性プロジェクトの設置した観察場所で,野鳥を脅かしたり,地元の人が怒るような行動(主に駐車)をする者がいれば,注意を与え,その場をすぐに退去するよう指導できると思う。多様性プロジェクトの提示するルール(指針)を考慮できる人たちには,個人的に良い場所を紹介したい。

 日名義人さんは,吉備中央町の協働推進課を通じてコンタクトできる。私の方は,日名義人さんを通じてのみコンタクトするだろう。多様性プロジェクトの観察場所を荒らされると,地元の人たちだけではなく,私も,日名さんも,協働推進課も大変困ることになる。そこはぜひ理解して,観察場所を荒らさないようご協力をお願いしたい。

 もっとも,この記事を読まれる方々は,上記の事情をよくご存じの方ばかりだろう。上記の事情をご理解いただけない人たちが問題であって,その意味では,この記事の中で事情を説明することの意義はあまりないかもしれない。

 余計なことだが,因業じじいは,大学や研究所,公官庁,街中にもたくさんいる。いろいろな性格の人がいるのは,良いことではあるが,ひとつ困るのは,因業じじいのもとでは,正常な研究・教育活動が強く歪曲されてしまうことである。因業じじいがいると,どうしても周りの人は遠慮して意見を言わなくなる。ちょっとでも何か言おうものなら,大変な剣幕で怒り出す。(ちなみに,私は怒っているのではなく,大声でしゃべっている点が異なる。)

<付記>
 もし今の自分がいて,20才とか40才の頃の自分も同時にいたら,今の自分は,過去の自分に対して,絶対にブッポウソウの撮影場所を教えることはしないだろう。過去の自分は,一部の写真家のように,観察場所を荒らしてしまったに違いない。

 なぜそういうことがわかるかと言うと,私は虫屋(昆虫採集家)の悪い一面を持っているからである。あまりにひどい行動をする奴らほどではないにしても,経験不足か,基礎学力の足りなさからか,配慮に欠けるところが多い。それは今でも変わっていない。

 昔の自分には教えなくとも,近澤峰男さんなら私の知っていることすべてを教えてあげられるだろう。近澤峰男さんは,なかなか質の高いキジムナーである。私は,質の悪いキジムナーではあるが,里山にある小さな社(やしろ)を拠点に,近澤さんと一緒に,ブッポウソウや多くの野鳥のありのままの姿を多様な角度から眺めてみたい。

2.被写体と撮影に関する基礎情報
<撮影者と所属> 三枝誠行・近澤峰男(NPO法人 生物多様性研究教育プロジェクト常任理事)。
日本の社会は,NPOと言うと「ああ,一般の人間か・・・」みたいなことを言われて,慇懃無礼な扱いを受ける。日本の社会には,権威を仰ぎ,権威を利用とする奴らが山ほどいる。それも一つの生き方ではあるが,私は権威におすがりする人々の言うことを信用しない。だから,権威を盾に理不尽なことを言われても,おとなしく引き下がることはしない。私は,世間様に忌み嫌われる「問題児」でございます。
フィールド・ワークが関係する研究分野では,大学や研究所よりもNPO法人の方がずっと質の高い仕事ができる。私は渾身の力を振り絞って,それを実証(prove or demonstrate)してみたい。
<撮影場所> 吉備中央町,高梁市有漢町と川井町。
<撮影日時> 令和5年(2023)4月24日から4月27日。
<撮影機材> Photographed by CANON EOS 7D with CANON COMPACT-MACRO LENS (EF 50mm 1:2.5).
<Key words> イチリンソウ,ニリンソウ,ビオトープ,四角錐の墓,神社,キジムナー

<参考文献>

  • イチリンソウ(https://www.jugemusha.com/yasou-zz-ichirinsou.htm)
  • Ferl, R.J., and R.A. Wallace. 1996. Biology: The Realm of Life. Harper Collins College Publishers.
  • ニリンソウ(https://ja.wikipedia.org/wiki/ニリンソウ)
  • Wikipedia: カール・ヨハン・マキシモヴィッチ(https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・ヨハン・マキシモヴィッチ)。
  • Wikipedia: 矢田部良吉(https://ja.wikipedia.org/wiki/矢田部良吉)。
  • Wikipedia: 丘浅次郎(https://ja.wikipedia.org/wiki/丘浅次郎)。
  • Wikipedia: 松村任三(まつむらじんぞう)(https://ja.wikipedia.org/wiki/松村任三)。
  • 日本鞘翅目学会(編)1984. 日本産カミキリ大図鑑。大日本印刷(株)。
  • 牧野富太郎(2023)オリジナル普及版「牧野日本植物圖鑑」三四郎書館。
  • 高知県立牧野植物園(編)1999.牧野富太郎植物画集。高知県立牧野植物園。
  • 三宅貞祥(1982)原色日本大型甲殻類図鑑Vol. Ⅰ. 保育社。
  • 三宅貞祥(1983)原色日本大型甲殻類図鑑Vol. Ⅱ. 保育社。
  • 那覇市内史跡・旧跡案内(http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/具志火立所跡)
  • 那覇市具志(https://map.goo.ne.jp/map/address/47201090/)(那覇市具志の地図)。
  • Wikepedia: 沖縄戦(https://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄戦)
  • 平久保正男(2016)真実のインパール―印度ビルマ作戦従軍記。光人社NF文庫。
  • 竹山道雄(1976)ビルマの竪琴。偕成社文庫。
  • Wikipedia: ビルマの戦い(https://ja.wikipedia.org/wiki/ビルマの戦い)。
  • ビオトープの定義(https://ja.wikipedia.org/wiki/ビオトープ)

図 1.イチリンソウの花。花弁の数は 5 枚。形態からすると,白いのが花弁でよいと思う。4 月 23 日高梁市有漢町にて。

図 2.イチリンソウの花。中央の黄緑色の突起が柱頭(stigma)になるのだろうか?花期は短い。

図 3.ヤマルリソウ(Cynoglossum asperrimum) の花。がく(多分花弁ではない)は明るいブルー。

図 4.ヤマルリソウ(Cynoglossum asperrimum)の花。がくは淡いピンク色。

図 5.林道わきにあるヤマルリソウの群落(community とか colony とか…)。このような山道は路面が滑るため,四輪駆動で往復するとよい。

図 6.ニリンソウの花。吉備中央町の和中から上野に登る道の渓流沿いに咲いていた。

図 7.ニリンソウの付近に咲いていた白い花。いっぱい咲いていたが,インターネットで検索しても出てこなかった。

図 9.シャガ。民家の軒先に植えてあることが多い。花期は長い気がする。

図 10.ピンク色の花。有漢町の民家の庭先にあった。花弁の白い品種もあった。何という種類か不明。

図 11.ハコベか? とまっているハチの種類は不明。J-05 のある場所の山すそにいっぱい生えている。

図 12.日向ぼっこをしているシマヘビ(普通のタイプ)。吉備中央町にはシマヘビの黒化型の割合が異常に高い。かつて卒業研究(正式な授業科目名は忘れた)でヘビをやりたいという女子学生を引き受けたことがある。私はハ虫類が苦手のため,結構しんどい 1 年間だった。

図 13.高梁市川井町にある J-05 の巣箱(正面の電柱)。この場所は「生物多様性研究・教育プロジェクト,ブッポウソウ観察場所 10 選」のひとつに指定したが,地元の人たちがブッポウソウを見て楽しむために設置されているため,場所は公開できない。500mm か 600mm のレンズがあれば,ブッポウソウのものすごくいい写真が撮れる。ただし,風景はプリントにするとなぜか迫力が低下する。

図 14.巣箱 J-05。ブッポウソウは川井町でも関心が高まっている。でも,写真家を含む多くの人たちが訪れると,地元との間にトラブルが勃発し,結果として私が大変困ることになる。川井町や有漢町の観察場所は,里山の自然を楽しみたいごく少数の人々にのみ公開したい。軽トラに乗っていると地元の人たちの視線は和らぐが,高級車みたいなのは,強くにらまれることが多いので注意。

図 15.巣箱(J-05)のすぐ近くにある清流ビオトープ。ビオトープとは,要するに単なる小さい「池」だが,捕食圧はものすごく高そう。

図 16.四角錐の墓。巣箱 J-05 のすぐ隣の墓地にある。墓地から眺める里山の景観は素晴らしい。時々キジムナーが現れて遊んでいる。

図 17.四角錐の墓(その 1)。「昭和 20 年 6 月 14 日戦死,故陸軍伍長 片岡嘉雄,行年 26 才」とある。

図 18.四角錐の墓(その 2)。J-05 を挟んで図 16 に示した墓地(その 1)とは反対側にある。手前から 3 つ目が該当する。

図 19.四角錐の墓(その 2)。「故陸軍伍長 片岡豊。昭和 19 年 7 月 25 日壮烈無比の戦死を・・・。行年 30 才」と記されている。

図 20.J-05 の近くにある神社(キジムナーの社)。生物多様性研究・教育プロジェクトが設置した巣箱の近くには,お墓や神社がすごく多い。

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