令和4年(2022)のブッポウソウ情報 No. 11: 巣箱の中で息絶えるブッポウソウの死亡原因

令和4年(2022)6月11日(日)

 ブッポウソウのメスは,毎年巣箱の中で産卵をする。産卵数は,繁殖地域によって少し異なり,吉備中央町では平均4.1コから4.3コぐらいになるが,大平山の西側にある有漢町では,平均4.2コから4.3コになると思われる。最初の卵がいつ生まれるかを知るために,5月15日から6月20日にかけて,毎日多くの巣箱を見て回る日々が続く。

 ブッポウソウは,当然のことながら,産卵の時にはメスが巣箱の中に鎮座しているが,卵を温める時期になると夜は専らメスがやっている。昼間はメスがやったりオスがやったりしている。不精なオスの場合にはメスは大変な苦労をすることになる。

図1.瀕死の重傷を負って巣箱(H-30)で息絶える寸前のブッポウソウのメス。卵をひとつ産んでいる。卵は瀕死の状態で産んだのか,前日に産んだか不明だが,メス親と同じ体温のぬくもりがあった。

 ブッポウソウのメスが産卵しているか,またその場合いくつ卵が産まれているかは,継竿の先につけた小さなカメラ(CASIO, Exilim)を巣箱の中に入れて確認している。産卵中か卵温め中のブッポウソウは,カメラを入れると口を開け,ギャーギャー(あるいはキャーキャー)とけたたましく鳴くか,じっとして声を出さない個体もいる。オスは激しく鳴くことが多いが,メスは鳴かずにじっとしていることが多いようだ。いずれにしても,写真を見れば産卵や抱卵が順調に行われているか判断できる。

 CASIO Exilimで撮影した巣箱内の写真の中に,たまに「あれ何か動きがない感じ・・・」というケースがある。巣箱の中は暗いので,はっきりわからないことが多いが,シャッターを押した直後に映像を見ると何となくおかしいと気付く。最近は状況がよくわかるようになったので,こういうケースがあった場合には,すぐに電柱に登り,巣箱を開けて中を確認するようにしている。
6月1日は,上田西にある巣箱を調査していて,H-30の巣箱を見たときに,卵を温めているメス親の姿に異変を感じた(図1)。すぐに和中に戻り,電柱登り機(与作)を持ってきて,H-30の巣箱がある電柱に登った。

 巣箱のふたを恐る恐るとってみると,やはり中には動かないブッポウソウがいた。図1に示した個体を回収してよく見ると,肩から首のあたりにかなり大量の血がついていた。頸動脈が損傷し,出血多量で重体となったのだろう。巣箱の中(写真下側)に飛び散った血の跡も見える。侵入者を追い払う時に運悪く首をつつかれた後に,やっとの思いで巣箱にたどり着いたのだろう。個体を回収したときには,虫の息ではあるがまだ生きており,眼は開いていた。体のぬくもりも残っていた。このメスは,卵をひとつ産んでから闘いに出動したのか,巣箱の中には温かい卵が残っていた。

 実は,秋から冬に巣箱を掃除するときに,巣箱の中で死亡しているブッポウソウが見つかることは以前から把握していた。巣箱を掃除する際に見られる死亡個体は,ほとんど白骨化しているので,親かヒナかはわからなかった。また,死亡原因についても分からず,蛇に体を半分呑まれてからヘビの胃に入りきらずに,吐き出されてしまったと考えていた。しかし,死亡寸前の個体(図1)を見ると明らかに傷を負って巣箱に戻ってきたことがわかる。メスが死んだのは,6月1日の夕方のことである。

 6月1日に電柱登り機を持って来た時には,すでにH-30の巣箱のすぐ近くには,このブッポウソウ(図1)を殺害したペアが陣取っていた。オスを追い払って(オスの方もどこかでつつき殺したかもしれない)今すぐにでも巣箱は自分たちが使うぞというすごい気迫を見てとることができた。

 しかし,次の日(6月2日)に,新しいペアで産卵が始まるかと思って巣箱をのぞいてみたが,産卵はしておらず,巣箱の周囲にブッポウソウの気配は全く感じられなかった。

 その後,毎日H-30の巣箱を見ているが,6月12日(日)の段階でもまだ産卵は確認されていないし,巣箱の近くにブッポウソウの気配もない。すでに産卵に入っているブッポウソウを殺した挙句,自分たちも巣箱から去ってしまうのであれば,初めからケンカなどしなければよいのに・・・と思うが,野生生物の世界というのはこちらの都合には合わせてくれない・・・。

 なお,H-30の巣箱で死亡したメスは,大阪市立自然史博物館に研究用標本として寄贈した。同じようなケースでは,西表島にある「琉球大学熱帯生物圏研究センター・西表研究施設」(実に長い名前だ・・・。略して「琉大熱研」と呼んでいる。)の窓ガラスにぶつかって死んだリュウキュウキンバトを国立博物館に寄贈したこともある。

 毎年ブッポウソウの落鳥はいくつかあるだろう。死亡原因を確かめた後に,寄贈することはできる。立場上個人への寄贈は難しいが,博物館のような研究・教育施設への寄贈は可能である。必要な機関からあらかじめ連絡があれば,対応はできる。ただ,送料は着払いでお願いしたい。引き取り手がない場合には,私が死亡した原因を確かめてから,お墓を作り埋めてあげるように地元の人たちに指導してゆく。

 私自身としては,落鳥があったことで,その周辺のブッポウソウのコミュニティーにどんな変化が現れるかを知りたい。H-30の周辺では毎年事件が起きていて,巻き添えを食ったブッポウソウが毎年1~2匹死亡している。H-30の周辺は特異的な場所なのかもしれない。いずれにしても,足王大権現(湯武)の付近では,なぜブッポウソウが次から次へと死亡するのか,原因があるはずだ。少し時間はかかるが,原因をぜひ明らかにして見たい。このまま終わらせたのでは,この地域は何かに呪われた場所だといううわさが立つかもしれない。私の方としても,それはすごく困る。

図2.A-14で産まれたブッポウソウの卵。中央のひとつがやけに小さいのがわかるだろうか。

図3.A-14で産まれた卵(4つ)に追加されたH-30で産まれた卵。写真の上側3つの中央が追加された卵。小さい卵は手前右側に置いた。小さい卵も受精が行われているはずなので胚発生は進むだろうが,ヒナがふ化するだろうか?ふ化する前に燃料切れでご臨終という可能性も高い。どうなったか,3週間後に報告できると思う。

 話は次に移る。今度は,H-30で産まれた卵をA-14に移したことと,A-14では妙に小さなブッポウソウの卵が産まれていたことの事案。

 湯武にあるH‐30の巣箱では,瀕死の状態のブッポウソウのメスの横に卵が置いてあった(図1)。ブッポウソウが死ぬ前に,これだけは何とか・・・と,必死の思いで生み出したように思えた。卵はまだ暖かかったので死んではいない。どこかの巣箱にメスが産んだ卵といっしょに混ぜてやれば,H-30の卵もふ化するだろう。

 基地のある和中に帰還する途中に下土井にあるA-15とA-14の巣箱に立ち寄り,産卵状況を見た。A-14に近づくと,親は私が来たのに気づいたのか,巣箱から顔を出し,すぐさま逃げて近くのヒノキにとまった。巣箱にカメラ(CASIO Exilim)で見ると,卵が4つ産まれていた。電柱に登って巣箱のふたを開けた(図2)。

 確かに生まれたばかりの卵が4つ置いてあった。・・・が,何とひとつは他の3つに比べて随分と小さいではないか。他の3つの半分とまではいかないが,3分の2ぐらいの大きさである。小さな卵は,色からしても,産れてからの時間からしても,ブッポウソウが産んだに違いない。こんな小さな卵(図2)の産れた原因は大体わかる。卵は,卵巣にあるときに急速成長して成熟し,それから卵管に排出される。普通は大きい卵からひとつずつ順番に卵管に移動するのだが,何かの拍子に次の順位の卵まで一緒に卵管に送られてしまったのであろう。

 6月1日にH-30にあった卵をA-14に追加した(図3)。6月12日に巣箱を見たときには,メスは追加した卵もいっしょに温めていた(図4)。小さな卵はふ化するかどうか,大きな関心を持って見守ることにしたい。

図4.A-14のメス。A-14では2014年に子育ての最中にオスが落鳥し,メスは一人で子育てをした。最後は私もエサやりを手伝った。すでに8年が経過した。さすがにその時(2014)のメスからは代変わりしているだろう。

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