生物多様性研究・教育プロジェクト自然環境レポート Series A, 2022 (サンゴ礁とサンゴ礁原プロジェクト) No. 1:昆虫類の分布から見たトカラ列島と奄美大島

令和4年(2022)1月3日(月)

 渡瀬庄三郎博士(1862~1929)は,南西諸島の生物相を研究し,屋久島(北緯30.3度)以北の地域と奄美大島(北緯28.5度)以南の島々では,脊椎動物(哺乳類,鳥類,ハ虫類)と無脊椎動物(昆虫と貝類)の種類構成にギャップがあることを見出した。そして明治45年(1912)にトカラ列島の悪石島と小宝島の間に,生物地理上の区分(旧北区と東洋区の境)として渡瀬線を提唱した(図1)。ちなみに,あやや(松浦亜弥)の歌う「渡良瀬橋」は,渡瀬線とは無関係。こちらは栃木県足利市にあるようだ。

図1.トカラ列島(青い枠で囲まれた島々)。 渡瀬庄三郎博士によって悪石島と小宝島の間に渡瀬線が引かれた。島々をつなぐ実線は,鹿児島港と名瀬港(奄美大島)を結ぶ航路(フェリーとしま2)を示す。なお,種子島,屋久島,口永良部島,および薩摩硫黄島と黒島を結ぶ実線は,別会社の航路になる。

 渡瀬庄三郎博士が渡瀬線を提唱するにあたっては,昆虫類の分布も対象になっているようだ。ホ乳類,鳥類,ハ虫類,そして両生類については,南西諸島にどんな種類が分布するのか,詳しいことはよく知らない。昆虫類ならばある程度の知識があるので,甲虫類やチョウを中心に渡瀬庄三郎博士の提唱した渡瀬線の意義について議論してみたい。

 まず,渡瀬線を設けた意図について。

 渡瀬庄三郎博士の研究した分野は,生物地理学(biogeography)に該当する。片倉晴雄博士が「日本大百科全書(ニッポニカ)動物地理区」に記した解説を引用させていただくと,動物区系地理学(Faunal Region Geography)は,現在の動物相(fauna)の系統分類学的な異同に基づき,世界の大陸や島々をいくつかの地理区に分類する学問である。

 片倉博士によれば,動物区系の概念は,1857年にスクレーター(P. L. Sclater)が鳥類の分布から提案したのが始まりのようだ。次いで,1876年にワラス(A. R. Wallace)が陸生動物の分布の特徴に基づいて,世界の動物分布の区系分類の基礎を作った。動物区系の総説としては,世界の脊椎(せきつい)動物相を区分したダーリントンP. J. Darlingtonの著書(1957)が出版されている。区系概念の基本となるのは,区(region)であり,各区の設定には科(family)か,さらに上位の分類群(taxon)が用いられる。Regionを区分する際には,固有種(endemic species)の有無と,固有種が地域の動物相で占める割合等が用いられる(ニッポニカ「動物地理区」。

 生物地理学が興ったのは,19世紀中ごろである。そして20世紀中ごろには完成を見たのだから,渡瀬庄三郎博士が渡瀬線を提唱したのは,生物地理学の勢いが最高潮に達したころと推察される。

 動物区系分類学の中で日本列島が関係するのは,旧北区(Palaeo-arctic region),東洋区(Oriental region)の2つの区である。日本列島の温帯域の島々は旧北区に属し,亜熱帯域にある琉球列島は東洋区に属している。世界の動物相を区系という概念で分類した場合には,各区系を仕切る境界線があると考えることができる。渡瀬庄三郎博士は,日本列島において旧北区と東洋区を仕切る境界線は,悪石島と小宝島(図2)の間にあるだろうと考えた。

 昆虫類から見ると,トカラ列島に分布している種類は,どの島でもよく似た種類が多いようである。口之島では,ヒメアカタテハ,アカタテハ,アサギマダラ,モンキアゲハ,クロアゲハが定着しているようだ。中ノ島ではカラスアゲハ,クロセセリ,モンキアゲハ,アサギマダラ,ツマグロヒョウモン,アカタテハ,ルリタテハが記録されている。悪石島では,モンキアゲハ,カラスアゲハ,モンシロチョウ,イシガケチョウが見られる。さらに,小宝島では,モンシロチョウ,ヤマトシジミ,ツマグロヒョウモン,アカタテハ,タテハモドキが採集されている。いずれの島も,小さい面積を反映して種類数は少ない。

図2.小宝島の地形とサンゴ礁。海岸は潮が引くと完全に干上がる。波打ち際と植生がある場所の間(海岸)は,ある程度の勾配がありそう。小宝島は,かなりの速度で隆起しているのではないだろうか。こういう場合のサンゴ礁の分類は,定義の問題になるだろう。礁池は全く見られないので,島の周囲は裾礁になっているとみなした。なお,小宝島の人口は32世帯,53名(平成30年3月)である。お年寄り2人で生活している世帯が多いのではないか。小宝島には,トカラハブが生息している。

 トカラ列島で採集されるチョウ類は,全体的には本州で見られる種類とよく似ている。クロセセリ,タテハモドキ,イシガケチョウは,南西諸島方面から分布を広げている。

 宝島から85km南に下ると奄美大島がある(図1参照)。奄美大島まで行くと,チョウや甲虫類の種類は本州とは大きく異なり,亜熱帯に分布する種類の割合が一気に増加する(図3)。リュキュウアサギマダラ,オキナワビロウドセセリ,オオシロモンセセリ,アマミウラナミシジミ,イワカワシジミ,カバマダラ,アカボシゴマダラは,本州やトカラ列島では見られない種類である。一方,本州やトカラ列島にも分布する種類も多い。アオスジアゲハ,ジャコウアゲハ,ツマベニチョウ,ナガサキアゲハ,シルビアシジミ,モンキアゲハ,ムラサキシジミ,ヒメジャノメなどは本州でも多く見られる。

図3.奄美大島の山々と海岸(宇検村)。トカラ列島の島々とは全く景観が異なる。景観の違いの原因は,旧北区と東洋区の動植物相の違いというよりも,島の大きさが奄美大島とトカラ列島の島々で大きく異なるためであろう。2005年3月30日。場所は,宇検村と思う。写真の左手前は,宇検の集落に続く道。中央左の道は,湯湾岳(694m)方面に行くと思う。

 このように昆虫類で比較すると,本州やトカラ列島と奄美大島には大きな違いが見られる。分布する種類の違いは,ハ虫類やホ乳類についても言える。さらに言えることは,景観(landscape)にあるだろう。平地や山々の景観は,その地域の植生(vegetation)によって大きく異なる。トカラ列島までは,植生(vegetation)を基礎とした景観が, 九州とよく似ているが,奄美大島まで来ると植生は亜熱帯の島という雰囲気(印象)が強くなる(図4)。

 甲虫類に関してもチョウ類とよく似ていて,トカラ列島は九州にも分布する種類の割合が高いが,奄美大島では,南西諸島にも分布する種類の割合が増加する。要するに,奄美大島以南では,本州,四国,九州に分布する種類も多くいるが,南西諸島方面から分布を伸ばしている種が増加するので,全体として見たときには,トカラ列島を境に雰囲気が異なるということであろう。

図4.奄美大島の原生林(自然林)。スダジイやオキナワウラジロガシが優占種となる。タブも混じっているはずだが,優占種にはならない。平成17年(2005)3月30日撮影。3月30日は宇検村から湯湾岳の方に行ったと思う。湯湾岳に行く途中の道沿いで撮影されたと思われる。

 もし,琉球列島が大陸の一部であったら,現在のような雰囲気の違いは生じていなかった可能性が高い。境界線の幅を考慮しても,線を引くのは非常に難しかったと思われる。トカラ列島は,どの島も小さな面積である。島の面積が小さければ,分布する種類数も減る。したがって,トカラ列島を境に北側と南側の地域では,動物相や植物相の違いがより際立つということはあり得るだろう。

 奄美大島のもうひとつの特徴は,この島にしかいないという固有種(endemic species)が多いこと。チョウではアカボシゴマダラ,甲虫類(カミキリムシ)ではフェリエベニボシカミキリ,アマミリンゴカミキリ,アマミアカハネハナカミキリ,ヨツオビハレギカミキリなど,ホ乳類ではアマミクロウサギ,鳥ではルリカケスなど,奄美大島のみか,徳之島と奄美大島にのみ分布する種類がいる。

 図5(左)に示されているチョウはアオスジアゲハ。幼虫の食樹は,本州ではクスノキだが,奄美大島にはクスノキは自生しているのだろうか。図5(右には)宇検村から湯湾岳に向かう道の土手に生えていたモウセンゴケを示す。赤みが強いのが特徴だ。

図5.奄美大島で出会った昆虫と植物。(左)アオスジアゲハ。本州,四国,九州ではふつうにみられる。平成17年(2005)3月29日。(右)モウセンゴケ。固有種かは不明。宇検村から湯湾岳に行く道の途中の土手にいっぱい見られる。平成17年(2005)3月30日。

図6.奄美大島における昆虫採集。写真に写っているのは筆者。2005年4月1日。湯湾岳から西仲間に至る道沿いで撮影したと思われる。付近の樹木の種類は不明。タブとかヤブニッケイあたりだろうか。奄美大島は,4月上旬には伐採木には甲虫類は来ていないので,たぶん何もとれなかったと思う。5月に入ると,伐採枝のたたき網や伐採木を見て歩くことで,たくさんの種類を採集できる。奄美大島では4月になるとスダジイの花が咲く。あたり一面花の匂いでむせ返るような日が続く。

 奄美大島では,樹木の伐採地に出くわした折にたたき網で甲虫類を採集した(図6)。主目的が河口域の泥干潟に生息するアナジャコやハサミシャコエビなどの採集だったので,昆虫類は移動の合間に採集した(図7)。

図7.(左)アマミアカハネハナカミキリ(上段の2個体)とアカハネムシ(下段の2個体)。アマミアカハネカミキリは奄美大島固有種だろう。左の個体がメスで,右の個体がオス。3月末から4月にイズニセセンリョウの花によく訪れる。飛翔中の個体が採集されることも多い。アカハネムシは,晴れた日に飛翔中の個体が採集されることが多い。アカハネムシの方は,触角(antenna)形態が違うので,互いに別種かもしれない。奄美大島の固有種かは不明。平成17年(2005)4月3日。(右)ハムシ(種類は不明)。たぶん,図5に示した「たたき網」で採集されたのだと思う。ハムシも奄美固有種かは不明。平成17年(2005)4月1日。

 九州南部には,渡瀬線以外にももうひとつ境界線を引いた方がいた。江崎悌三博士である。鹿児島県の大隅半島と屋久島の間に大隅海峡がある。昭和4年(1929)に,江崎悌三博士は,チョウの分布を研究する三宅恒方氏にちなんで,大隅海峡に境界線を設けた。

 現在では九州南部からトカラ列島の生物相は,よく調べられている。それらの報告の中で,渡瀬線や三宅線に言及する人は少ないようである。実際に生物を調べてみると,境界線として取り上げるほどのギャップは感じられないのであろう。私自身はどう思うかというと,生物相の違いが,該当する場所で大きく違っていると思えば,そこに線を引いても,それをとがめることはしたくない。もちろん,主張するにあたっては,人が納得する証拠を挙げて議論する必要はあるだろう。他人に自説を強く押し付けることもすべきではないと思う。

 トカラ列島という小さな島々が南北方向に点在するために,その区間では生息する動物の種類数は減少する。だからトカラ列島を境に旧北区と東洋区の違いが目立つのだろう。トカラ列島のどこかに線を引いて「どうだ,すごいだろう。」と自慢するよりも,大陸ならば生物相は,緯度とともに徐々に移り変わって行くはずなのに,どうしてトカラ列島ではギャップが生じるかを明らかにする方が,面白い研究になりそうな気がする。

 生物の分布を問題にするのであれば,島の面積と固有種の割合を比較するとか,島の地質や山々の標高との関係を明らかにするとか,また島々の形成年代を調べるなどして,それぞれの島において生物相の成り立ちを研究する方が,生物地理学の発展にはずっと大きな貢献ができるのではないか・・・。

 ということを,当時駆け出しの研究者であった私が,東京帝国大學理科大學・動物學教室に在籍された渡瀬庄三郎博士に具申したら,一体どうなっただろうか。

 渡瀬博士の大変なお怒りを買うことは間違いなかっただろう。学会の権威筋の方々にも疎まれ,各地の帝国大学はおろか,高等師範學校や各地の高等學校にも見放され,教壇に立つことはできなかった可能性は高い。

 しかし,自分の方としても,権威ある方々に具申するのは相当な覚悟があってやることだから,結果も相応に予想はできる。そしてどこかに必ず救い道はある。学会など入らなくても,何の支障もない。偉い人たちと同じように振る舞わなくても,十分に好きな学問はできる。

 自分の場合には,こんな生き方になったのではないかという予想ができる。それを,いつになるか決まっていないが,次の機会に述べてみたい。

<参考文献>

  • 黒江修一 1996. トカラ列島中之島の動物資料採集記録。鹿児島県立博物館研究報告15: 61-67.
  • 小島奎三・林匡夫1969. 原色日本昆虫生態図鑑‒I,カミキリ編。保育社。
  • 京浜昆虫同好会(編) 1973. 新しい昆虫採集案内(Ⅲ)‒離島・沖縄採集地案内編。内田老鶴圃新社。
  • 関伸一・所崎聡・溝口文男・高木慎介・仲村昇・ファーガス・クリスタル2011. トカラ列島の鳥類。森林総合研究所研究報告10: 183 – 229.
  • 森田康夫 2006. 鹿児島県三島・黒島における植物採集記録。鹿児島県立博物館研究報告25: 22-29.

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