サンゴ礁とサンゴ礁原プロジェクト No. 7:崎山湾(西表島)とオオトゲスナモグリ

 西表島では,島の北側の海岸沿いに定期バスが運行されている。東側の終点は豊原,西側の終点は白浜である。豊原→白浜行きが1日4便,白浜→豊原行きが1日4便。どちらも終点に着くまでに1時間40分かかる。2台のバスが交互に白浜と豊原を往復しているのだろう。

 島の西側の終点である白浜から先には,舟浮という集落がある。白浜‒舟浮間の海岸沿いは,ずっと崖が続いていて,道はない。舟浮に行くには,舟浮海運が運行する1日5便の定期船を利用する(図1)。白浜港から15分もすれば舟浮に着く(図2)。

図1.今にも雨が降りそうな舟浮湾。正面には,手前がウシクムル(ウシク森),その奥にうっすらと見えるのがハテルマムル(波照間森)。海岸沿いには,ヤエヤマヒルギの群落が見える。定期船は,写真左の奥にある白浜から内離島(ウチパナリ)の間を抜け,アマモ帯を避けながら航行する。写真中央に見える白い鳥は,アマモの生える潮間帯(泥干潟)に羽を休めているダイサギ(と思う)。平成19年(2007)5月15日。

図2.白浜の桟橋にあった舟浮航路の地図。青い線が航路。なお,定期船は,白浜‒舟浮間のみで,白浜‒網取間の航路は廃止。網取や崎山に行くには,船をチャーターする必要がある。舟浮から内離島(ウチパナリ)との間を抜け,サバ崎(ゴリラ岩のあるところ)近づくと,うねりをともなう波が来る。時化(しけ)の時には,舟浮から先には行けないだろう。鹿川までは,よほど波が穏やかなら,行ってくれるかもしれない。しかし,私の場合には鹿川に行ってもやることがない。しかも,船のチャーター代は安くない。

 舟浮には,周囲を険しい崖に囲まれた小さな集落がある。集落のはずれには,琉球真珠養殖場があり,昭和55年(1980)から黒真珠の養殖を行っている(図3)。中央の波打ち際の近くには林の裏側に抜けるトンネルがある。中には戦時中に設置したと思われる古い配管が置かれている。中には明かりはないが,20mぐらいの長さなので,少し歩けば出口が見える。

 Wikipediaによれば,船浮には舟浮要塞の陸軍部隊(祖納,内離島,外離島,サバ崎に配置)とは別の海軍部隊が配備され,海底通信施設,特攻艇格納庫,弾薬倉庫等があった。写真(図3)のトンネルを抜けると,特攻艇を格納庫から海に出すための線路のような構造物が今も海岸に残っている。線路のある砂浜(泥も混じる)には,スナモグリの穴がたくさんある(図4)。スナモグリの腹肢の動きによって,穴の入り口から水(海水)がわき出している。季節にもよるが,この砂浜にいるスナモグリは相当深いところにいるらしく,ベイトポンプを1mも砂に差し込んでもなかなか採集できない。腹部が黄色で(中腸線か卵巣の色)よく見る種類のようであるが,種名はよくわからない。また,海岸にこぼれ落ちた砂岩や泥岩(図3)には,イシアナジャコ(Upogebia iriomotensis)が住んでいる。

図3.舟浮にある黒真珠養殖場の建物とそのわきにあるトンネル。島の海岸沿いには,砂岩や泥岩の地形はもろく,がけ崩れが起きやすい。幸いトンネルの中は崩れておらず,通行に支障はない。トンネルの中には,カグラコウモリが住んでいる。

図4.西表島の海岸の砂浜で採集されたスナモグリ。胸部と腹部は透明に近い。鋏脚(かんきゃく)は白。腹部の黄色い色は中腸線の色。体長は5~7cmほどで,西表島にすむ多くのスナモグリの中では,割と大きい方である。種名(species)は不明。平成16年(2004)11月10日,干立の浜で採集(22:30)。

 舟浮の海岸と潮間帯にすむスナモグリやイシアナジャコ類については,別の記事で詳しく述べる機会があるだろう。ここでは舟浮よりも西にある崎山にある海岸を紹介したい。

 崎山湾(図5)には,船をチャーターして行く。船長は舟浮の集落にすんでいるので,舟浮からも行けるが,頼んでおけば白浜の港まで迎えに来てくれる。家業(舟浮海運)はすでに息子さんに託されている。ご自身はかなり年を召されていると思うが,まだチャーター船を運航するぐらいの体力は残っておられるだろう。西表島は,最近は観光目的のボートが多くなっているが,調査で行くとなると,どうしても昔から西表島にすんで自然環境を熟知した人を頼ることになる。危険な箇所をよく知っていて,事前に教えてもらえるのはありがたい。

図5.網取湾の海岸とチャーター船。夕方迎えに来た時に撮影した。湾は遠浅で,潮がかなり上げていても船の底は海底に着く。崎山湾も網取湾とよく似た環境である。平成19年(2007)5月17日。

 網取湾に行ったときには,船長から,ここには変わったじいさんが一人住んでいること,およびそのじいさんは,海上保安庁とトラブルになり,職員が訪ねて行くと林の中から殺傷能力のある矢を射かけてくるという話を聞いた。どっかの大学の先生だったらしい。

 私が網取湾の泥干潟に行ったときには,林の中から激しく犬の吠える声が聞こえた。犬が吠えだしたころには,林の中からこちらの様子をうかがっていたのではないだろうか。

 しばらくして犬が海岸に出てきた。犬を追うようにして,犬の首輪をハチマキ代わりに頭に載せたじいさんが出てきた。しばらく立ち話をしたが,普通の感じの人だった。どうやって生活しているかわからなかったが(たまに白浜まで買い物に行くらしい。)海岸にごみを散らかしているようなことはなく,出たごみは穴を掘って埋めるかして処理していたのだろう。

 網取湾でじいさんの住んでいたところは,湾の奥深くの海岸に近い森の中だが,昭和46年(1971)に廃村となった網取集落は,もっと外洋に近いところにある。網取集落には遺跡があり,貝塚が発見されている(文献1を参照)。古い時代から集落があったようだ。

 崎山は,網取のさらに西にある(図6)。網取のある岬を回ると広い湾が見えてくる。そこが崎山湾である。湾の周囲は急峻な崖に囲まれているので,隣の集落(網取や鹿川)に行くには,急な斜面の小道を登らねばならなかっただろう。現在は,崖の上にはもう道がないと思われる。干潮時に海岸を歩くという方法もあるかと思うが,海岸は崖なので,ワンゲル部とか,そういう方々でないと通行は難しいだろう。

図6.崎山周辺の地形とサンゴ礁。網取湾の東側から岬を横断して舟浮に出る小道があるらしく,じいさんは歩いて舟浮に来て,それから定期船に乗り,白浜に来て買い物をしていたようだ。網取も崎山も海岸は崖になっていて,ワンゲル部のような人たちでないと海岸沿いを歩くのは難しい。昔は,崎山から山を越えて網取や鹿川の集落に行く小道があっただろうが,今はその面影さえ残っていないと思われる。


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 さてと,崎山湾は湾全体が遠浅になっている。大潮(spring tide)の干潮時(low water)には広範囲に海底が干出し,広大な干潟(tidal flat)が現れる(図7)。底質(substratum)は砂が主体であるが,地形からみて周囲の山々から相当な量の泥が流入するだろうから,泥干潟(mudflat)と言っても,そんなにおかしくはない。Sand flatという単語(word)を使いたいところだが,教科書にはmudflat(泥干潟)という単語は出てくるが,sandflat(砂干潟)は見たことがない。

 干潟をgoogleで検索すると,mudflatという単語が出てくる。干潟は英語ではtidal flatという方が訳としては適切だろう。干潟には大きく分けて2つのタイプがあって,泥干潟と砂干潟に分類される。干潟と言えば,泥干潟が普通で(たとえば有明海や笠岡湾),崎山湾のように広大な砂干潟が出現するところは,日本列島だけでなく,世界でも珍しいように思える。

 海岸は,打ち寄せる波が荒ければ,普通は砂浜(sandy shore)になる。sand beachというと,科学論文だとsandy shoreに直されるだろう。Sandy coastでも広い海岸ならOK。一方,泥浜(muddy shore)という用語は,あまり使われていないようだ。Mudflatを使う人が多い。波の荒いビーチやコーストなら砂がたまるが,flatの面積が大きいと,たいてい砂ではなく泥がたまってmudflatが形成される。英単語が混じって申し訳ないが,日常やっていることが日本語と英単語との厳密な対応を求められる作業なので,お許しいただけるとありがたい。

図7.崎山湾に出現した広大な砂干潟(sandflat)。大潮の干潮時の写真。砂地の上にはまだ水(海水)が残っている。ゆっくりと海の方に流れてゆくので,さらに1時間もすれば,このあたりは完全に干上がってしまう。水が残っていればいろいろな生物が干潟に取り残されている。一番目立つのは,灰色のウツボ。人が近寄ってくるのに気づくと,急に激しく暴れて逃げまわる。そこまでオーバーなしぐさで逃げ回ることもなかろうとは思うが,ウツボにはウツボの事情ってものがあるのだろう。暴れても人に危害を加えることはない。砂浜には背丈の低いアマモが生えているが,種名は不明。平成19年(2007)5月15日。

 崎山湾は入り口に大きな堡礁(barrier reef)があるために,湾の内部は波が穏やかだ(図6)。潮が引いて海底が干出すると,砂浜の上にはあたり一面に,ピラミッドのような形をした構造物が現れ始める(図7)。さらに1時間もすれば水はさらに引いて,あたり一面でこぼこの砂浜が現れる(図8)。

図8.大潮の干潮時に出現する干潟(崎山湾)。潮が引くのに合わせ,砂浜に残っていた海水が海の方に流れ,1時間もすれば海底はほぼ完全に干出する。干潟全体にどのぐらいの数のトゲスナモグリが住んでいるかわからないが,スコップで穴を掘ると,どの穴もつながっていて,すぐに逃げられてしまう。なお,砂ピラミッドの上はものすごく歩きにくいので,向こう岸(崎山集落があったあたり)に行くには,左側のマングローブのある浜を迂回する。マングローブの前の浜には,例の腹部の黄色いやや大きめのスナモグリ(図4)が生息している。こちらは巣穴が深いので,やはり採集しにくい。平成19年(2007)5月15日。

 干潮時に砂浜に現れたピラミッド様の構造物(図8)は,生物が作ったのは間違いないだろうが,スコップを使って砂を掘ってみると,深さ50㎝ほどのところに直径7~8㎝もあろうかと思われる横穴がある。この横穴は,水平方向に延々と続いていて,いくら砂浜を掘り続けても,中からは勢いよく水(海水)が流れ出てくるだけで,何がそこにすんでいるのか長いことわからなかった。やはり実物を確認しないと,話に聞いただけでは納得できない。

 西表島には,平成14年(2002),15年(2003),16年(2004)の3年間,連続して訪れていると思う。十脚甲殻類の抱卵システム(embryo attachment system)の研究に夢中になっていたころで,確か2002年の6月だったかと思うが,美田良の浜でイシアナジャコ(Upogebia spp.)を初めて採集した。この年からイシアナジャコの分類・形態学的研究が始まった。

図9.オオトゲスナモグリの採集風景。ユツンの泥干潟。平成16年(2004)年11月11日。

 西表島には,平成16年(2004)に,5月と11月の2回訪れている。5月には,田口さんとナターシャ(ロシア)を連れて干潟の十脚甲殻類を採集した。11月は多国籍部隊(日本,ロシア,韓国)を編成して,やはりマングローブと海岸の干潟で多くの十脚甲殻類を採集した。全部で9~10名の部隊だったと思うが,どうやって交通費を工面したか,覚えていない。

 11月に行ったときには,ベイトポンプを携行した。ベイトポンプは,日本では作られておらず,事前にオーストラリアから輸入した製品を使用した。

 西表島の泥干潟にすむ十脚甲殻類は,スコップでは採集できない種類が多い。泥干潟といっても,泥は表面にたまっているだけで,中はサンゴ塊(死骸)や琉球石灰岩(サンゴ塊の化石)である。スコップで琉球石灰岩を壊すのは無理である。特にアナジャコ類は,サンゴ塊の隙間に巣穴を作っているので,たまたまスコップを使ってひっくり返せるほどの塊(死骸)でないと,採集は難しい。(ただし,サンゴ塊をひっくり返すと,図9に示した泥干潟では,有機物が完全に分解されずに,硫化物として残るため,真っ黒い泥(臭いもする)が現れる。)

 陸のすぐ近くの海岸には,砂浜に多数の穴が開いており,どの穴も中から海水がわき出ている。(海水を勢いよく循環させないと,酸素がすぐになくなって,生物が住めない浜になる。)砂浜でスコップを使って掘ろうとすると,30cmぐらいならよいのだが,それ以上になると周囲の砂が崩れて,掘り進めなくなる。あっという間に直径1mを越える大きな穴になる。それでも採集できないことが多い。

 一方,ベイトポンプを使うと柔らかい底質ならば,最大1mぐらいは砂の中に差し込める。ポンプのレバーを勢いよく引けば,泥や砂がポンプの中に吸い込まれる(図9)。そのままポンプを抜き,今度は干潟の上でレバーを押し込めば,吸い込んだ泥や砂が吐き出され,その中にスナモグリが入っている。ベイトポンプによる採集法は,労力の割にたくさん捕れる訳ではない。ひじを酷使するので,後で腱鞘炎(?)が起き,ひじの痛みが続く。

 とにかく,スナモグリ,アナジャコ,アナエビ,オキナワアナジャコのように泥や砂地に巣穴を作る動物は,数は多いが一般の方々がお目にかかる機会は非常に少ない。採集も難しいため,そこに何かいることはわかっても,実際にどんな生物なのか,わからなかった。

図10.泥干潟で採集されたオオトゲスナモグリ。体長(頭胸部先端の額角(rostrum)から尾脚(uropod:第6腹肢までの長さ)は10cm前後。現在知られているスナモグリ類の中では最も大型と思われる。トゲスナモグリの仲間は,世界中で現生種が3~4種類,化石種が3種類報告されており(文献3),トゲスナモグリ(和名)と呼ぶだけでは,どの種類を指しているかよくわからない。インド・西太平洋地域にすむ種類は,和名でオオトゲスナモグリとかシュイロオオトゲスナモグリとか呼べば区別がつく。平成16年(2004)年11月11日ユツンの浜で採集。標本は大阪市立自然史博物館に寄贈。

 平成16年(2004)年にユツンの砂浜でベイトポンプを使ったところ,やっと砂ピラミッドの主が判明した。これは一体何だろうと思ったのが昭和46年(1971)だから,30年以上経過してからやっと実物に巡り合うことができた。和名はオオトゲスナモグリとした。学名はGlypturus armatus (A. Milne-Edwards, 1870) で,東洋熱帯や亜熱帯域の砂浜に広く分布し,個体数も多い感じがする(図10)。ただし,一匹の活動範囲は広いので,個体群密度は不明。広大な干潟でも,住んでいる数は意外と少ないかもしれない。

 オオトゲスナモグリは,私にとっては手ごわい動物であったが,普通種なのだろう。いまのところ分類学的な研究(参考文献2)と化石の研究(参考文献3)が行われているが,生態学的な研究は行われていない。だがしかし,オオトゲスナモグリの生態学的な研究は難しいのではないか?巣穴は水平方向に10mや20m はつながっている。それも,あっちこっちの方向に・・・。今時,砂浜をそんなに広範囲に掘ったら,環境破壊で捕まる可能性が高い。

 実は,砂ピラミッドの主の和名(domestic name)と学名(species)がわかるまでには,さらに時間がかかった。イシアナジャコの分類・形態学的研究で大きなトラブルがあり,それ以降は専門家の方々に同定(identification)を依頼することはやめてしまった。もっとも,相手の方でも,私からの依頼は断るだろう。だから採集した十脚甲殻類は自分で調べ,必要なら自分で記載することになる。トゲスナモグリの和名は,2年ほど前(2019年ごろ)瑞浪博物館の館長さんに教えていただいた。学名はG. armatusを採用する人が多いようだが,外骨格(exoskeleton)は種名(アルマトス)のように硬くはない。

 トゲスナモグリの現生種はGlypturus armatus以外に数種類いるようである(文献3)。新生代・古第三紀の始新世(eocene)中期(4,900万年ぐらい前)に地球上に出現し,テーチス海の種類は絶滅(テーチス海自体が消滅)したが,インド・西太平洋地域と西部大西洋には,それぞれ1種類か2種類が残ったのかもしれない。オキナワアナジャコもオオトゲスナモグリと同じぐらいに時期に現れ,こちらは種分化の程度がトゲスナモグリよりもさらに小さく,現生種を分類(classify)するのも結構苦労するという結果になっているように思われる。いずれにしても,どのような過程でオオトゲスナモグリのような大型種が潮間帯に出現したのか,その発祥地の特定も含めて,将来の楽しい課題である。

 砂ピラミッドをもう少しアップで見てみよう(図11)。砂ピラミッドの直径は根元の部分で直径30cmほどはあると思う。高さは20cmぐらいあったかと思う。面白いのは,ピラミッドの斜面に段差がついていることである。さすがにピラミッドがこのぐらいの高さになると,海底が干出したときに穴の中から出てくる水は,勢い良く湧き上がるという状態にはならないのであろう。湧き出た海水は,山のてっぺんにある穴から砂を巻き込んで流れ出す。

 なぜ砂の段差ができるかは,スナモグリの腹部にある5対の腹肢(pleopod)の活動と関係しているだろう。スナモグリ類の腹肢は,うちわのようになっていて前後の動きで穴の中の海水を体の前の方向に動かしている。つまり,腹肢が活動しているときには,水が穴から流れ出すが,活動が止まると排水がストップする。腹肢が活動しているときには,砂がピラミッドの斜面に堆積し,さらさらしているために堆積面は平たんになる。一方,活動が止まると,平坦な砂地の周縁部が崩れる。活動が始まるとまた次の堆積が始まるという具合に,周期的に起きる腹肢の運動が段差構造を持つピラミッドを作り上げているのだろう。

図11.オオトゲスナモグリの巣穴(崎山湾)。ピラミッドに段差ができるのが面白い。手前の小さなタイドプールには,体長2cmほどの小さなハゼがいる。平成19年(2007)5月15日。

 もちろんこの段差構造は,潮が上げてくると消滅する。潮が引き始めてから,再び潮が上げてくるまで,ピラミッドの形状変化をビデオカメラに収め,あとで定量的な解析をすれば,段差構造を持つピラミッドの形成機構についての原著論文(original paper)を書くことができるだろう。スナモグリの巣穴の内部構造については多くの研究があるが,砂地の上に形成される砂ピラミッドについては,段差構造に注目した人はいないように思われる。

 さらに,ピラミッドのとなりにはすり鉢状のくぼみがある。中央に5~6㎝の穴が開いている。すり鉢状のくぼみには,満潮時を中心に,ちぎれた海藻がたまるであろう。オオトゲスナモグリは,潮が上げている間に,トンネルを通ってすり鉢状のくぼみに移動し,落ちてくる餌を待ち受けていると思われる。いわゆるdetritus feederである。日本語では,浮泥食者と呼ばれているようだが,何か,乞食みたいな印象を受ける。もう少しいい名称はないものだろうか。堆積物捕食者の方が,生態学的特性をよく表しているのではなかろうか。

 崎山湾の泥干潟は砂の色からして,土壌全体に酸素がいきわたっていることがよくわかる。オオトゲスナモグリの大群が広大な範囲の地下通路を築き,ある意味,干潟の大環境破壊を行ってきたせいである。だが今は,崎山湾ではそれが干潟の正常な状態になっている。一方,正常な状態を一般化するのは難しい。マングローブの泥干潟は,著しく富栄養化したところもあるが,それはそれで正常な状態と言える。何が正常かについてコンセンサスを得るには時間がかかるが,それでも大枠で合意がないと,自然環境の保護は進まない。

図12.崎山湾の泥干潟。湾の最奥になると,泥干潟(mud tidal flat)の特徴がよく表れる。手前のタイドプールには,コバルト色のソラスズメダイ(間違ったら,すみません)やハゼ類がいる。写真右側の石の隙間には,ヤクジャーマ,イワガニ類がいる。左側の砂浜には,ミナミコメツキガニが住んでいる。石が落ちている付近(右側)は深いと思う。深みにはまらぬよう注意。対岸の山は絶壁である。平成19年(2007)5月15日。

 崎山湾は地形の特性から考えて,湾奥には泥がたまりやすいだろう(図12)。大きな台風でもあれば,湾の周囲でがけ崩れが起きて,湾の奥はヒルギ林とともに泥に埋まるようなことは過去に何度もあっただろう。しかし,自然の復元力は大したもので,度重なる災害に対しも,海岸に押し寄せた泥は,潮の干満(平均で12.4時間の周期)によって湾外に運び出されて,何年かすればまた元の地形に戻る。

 自然環境の保全に関して,崎山湾について提案したいことは,干立のヤシ林と同様に,天然記念物か特別天然記念物に指定してよい場所だということである。オオトゲスナモグリは,東洋の熱帯や亜熱帯の干潟に普通に見られると言っても,崎山湾ほどの規模の生息地は世界でも珍しいのではないだろうか。オオトゲスナモグリの大群がいることによって,崎山湾の自然環境が維持されていること,さらに湾の入り口に居座る堡礁(barrier reef)が崎山湾の環境保全に大きな影響を及ぼしているという認識は,行政側と共有しておいた方がよいのではないかと思う。湾の入り口の堡礁を破壊したら,崎山湾の自然は壊滅状態になる。

図11.海岸の浅瀬にあるアマモ(顕花植物)帯とそこに落ちていたシャコガイ(二枚貝)。シャコガイは殻をぱっくり開けた状態。体長30cm以上。貝殻の間には,体表を覆う外套膜(がいとうまく)と出水管(入水管かも)も見える。殻の外側には,多数のイソギンチャクが付着している。近くの岩の上から撮影した。水深は50cmほどと思う。オオトゲスナモグリの巣穴と同様に,この場所だと干潮時には水は完全に干上がるだろう。シャコガイは捕って行く人がいるせいか,最近は浅瀬では見かけなくなった。平成19年(2007)5月15日。

 Wikipediaによれば,崎山の集落は,琉球王朝時代の17世紀に波照間島の島民を強制移住させてできた開拓村のようである。西表炭坑の採掘が盛んとなった時期には、崎山でも一時採掘が行われていたようである。ただ,西表西部の石炭層は非常に薄く,まとまった量の石炭を人力で採掘するのは,大変な苦労が必要だっただろう。崎山集落は太平洋戦争の終結後の1948年に廃村。崎山集落の住民は網取へ移住したが,網取集落も1971年に廃村となった。

 私はその翌年,昭和47年(1972)の夏に,廃村になった網取集落を訪れた。夕方になると恐ろしいほどたくさんのハマダラカに襲われ,夜はほとんど寝られなかった。腕をまくり,暗闇の中でじっと我慢して(1分は持たない)懐中電灯で照らすとぞっとするほどの数のハマダラカが吸血していた。西表島では戦時中に強制移住や多くの炭鉱労働者により,人口が増加した。人口増にともなってマラリア(戦争マラリアと言う)が蔓延し,八重山諸島では3,500人以上の人たちが尊い命を落とした。戦争マラリアが根絶したのは1962年のことである。日本住血吸虫と同様に,根絶までに苦しい道のりがあったことが推察される。

 マラリア原虫を媒介するハマダラカの方は,撲滅されるところまではいっていないが,自分が網取に行ったころ(1972年8月)と比べると,数は激減していると思う。

 図7と図8の写真を見ていただくとわかるが,崎山湾は遠浅になっていて,満潮の頃でないとサバニは陸に近づけない。いったん海岸に係留すると次の満潮までサバニを海に出せない。魚はたくさんいたとしても,これではとても漁などできない。移住した人々はマングローブの奥のほんのわずかな平地で生活を余儀なくされたに違いない。米や野菜を作るにしても,十分な耕作地がない。夜は大量のハマダラカが来襲して,とても寝られるどころではない。こういうところは,強制的に移住させても,しばらくすれば人々は去ってゆくだろう。強制的にとどめても,年ごとに人口が減り,結局集落は壊滅状態になる可能性が高い。

<文献>

  1. 馬場久紀・北像芳隆・上野信平. 2009. 物理探査による沖縄西表島網取遺跡地域の地下構造. 海洋理工学会誌 15: 159-171.
  2. Dworschak, P.C. 2018. Axiidea of Panglao, the Philippines: families Callianideidae, Eucalliacidae and Callichiridae, with a redescription of Callianassa calmani Nobili, 1904. Ann. Naturhist. Mus. Wien, B 120: 15–40. トゲスナモグリのカラー写真あり。
  3. Hyžný, M., and P. Müller. 2012. The fossil record of Glypturus Stimpson, 1866 (Crustacea, decapoda, Axiidea, Callianassidae) revisited, with note on palaeoecology and palaeobiogeography. Palaeontol. 55: 967–993. トゲスナモグリのグループの記載と,G. armatusの化石がバヌアツの鮮新世(Pliocene)の地層から出たことの報告。トゲスナモグリ属の化石が初めて出てくるのは,新生代第三紀の鮮新世中期である。鮮新世が始まる500万年前というと,ヒトとチンパンジーの共通祖先から,ヒトとしての進化が始まったのと同じころだろう。500万年間だと,形態的には種分化が進んでいなくても不思議ではない。

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