令和4年(2022)6月17日(金)
吉備中央町上田西に設置された巣箱H-30では,6月1日(水)の午後にメスが巣箱の中で死亡した。いや,もっと正確に言えば,巣箱の中で瀕死の状態で横たわっていた。
H-30のある付近(上田西)は,どうもブッポウソウの通り道にあたっているようだ。また,宇甘川沿いにある美原や和中で巣箱を見つけられなかったペアは,山の方に上がり,上田西の付近に着く。上田西のあたりでは,6月15日現在でも,巣箱を探して移動しているペアがいる。また,単独で移動している個体もいて,巣箱の近くを通りがかると巣箱を占拠しているペアはスクランブルをかける。H-30の巣箱にいたペアも,進入してきたペアを追い払おうと出撃したのだろう。メスは,侵入したペアの(多分)オスの方に首をつつかれ,頸動脈の損傷で重体となり,間もなく死亡した。H-30のオスの方は見当たらなかったので,メスよりも先につつかれて林の中に落ち,こちらも死亡した可能性が高い。
侵入者の迎撃に失敗して,オスとメスが両方落鳥するケースは,5~6年前に大和(吉備中央町)でも発生している。大和で起きた事例では,巣箱の中に十分大きくなったヒナが4匹おり,オスとメスは巣箱の近くを通りがかったブッポウソウの群れに迎撃に出て,どちらも殺されてしまった。両親がいなくなったことに早く気付けば,4匹のヒナの命は十分救えたと思う。ところが,ぼんくらな私の対応の悪さで,4匹は巣箱に放置されたまま死亡した。親の命を助けることは難しいが,子供の命はできる限り救う努力は惜しまないつもりである。
さて,H-30では,6月2日(木)には巣箱のすぐ近くにペアがいた。しかし,その後何度か行ってみたが,周辺にはブッポウソウの姿は見当たらなかった。
この巣箱で産卵あるのか,もしあるのならいつ最初の卵が産まれるのか?産卵数はいくつになるのか,ぜひ知りたいところである。以下の記述は,専門的な内容が多く含まれるので,ややこしい議論がお好きでない方は読み飛ばしていただいてよい。・・・が,実は野鳥の産卵のメカニズムが,私の最大の関心事の一つである。
<鳥類の卵産生の生理学的メカニズム>
鳥類の卵は,外的刺激があってすぐにポイと生み出される訳ではない。繁殖に適する季節になると,視床下部から生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)とプロラクチン放出抑制ホルモン(PIH)が分泌され,それらのホルモンは脳下垂体前葉に運ばれ,脳下垂体前葉から卵胞刺激ホルモン(FSH)と黄体形成ホルモン(LH)の分泌を促す。さらに,FSHとLHは,血液を通じて生殖腺に達し,生殖腺でプロジェステロンと,オスではテストステロン,メスではエストロジェンが合成される。メスでは,卵巣内にある卵胞で合成されるエストロジェン(estrogen)の刺激により,肝臓で卵黄前駆物質(ビテロジェニンなど)の合成が促進され,血中のビテロジェニン濃度が上昇する。
卵黄前駆物質の合成が始まる前には,卵は卵胞(follicle)という状態で卵巣の中に同じ大きさ(白色小卵胞)で存在する。脳下垂体から分泌される黄体形成ホルモンを受けて白色小卵胞は,卵巣内でひとつずつ成長し,ニワトリでは早い白色小卵胞では7日間,遅い白色小卵胞では10日間かけて,鶏卵として産れるときのサイズに成長する。これを卵胞の急速成長(rapid growth of the ovarian follicles)という。排卵(卵巣から卵管へ卵の輸送)はプロジェステロンが担うのであろう。
プロセスは少し前後するが,肝臓における卵黄前駆物質(ビテロジェニンなど)の合成(生産)には,エストロジェンの刺激が不可欠である。エストロジェンは,生殖腺刺激ホルモンの刺激により卵胞(ovarian follicles)で合成される炭素数18コのステロイド構造を持つホルモン群の総称であり,実際のホルモンとしてはエストラジオール-17β(estradiol-17β:E2と略す)やエストロン(estrone: E1)などが含まれる。卵は単に外界からの刺激を受けて成長するのではなく,自分から親の内分泌系に働きかけて自分自身の成長を促すことに注目したい。
脳下垂体前葉では,生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(長い名前だ・・・)の分泌活性の上昇を受けて卵胞刺激ホルモン(FSH)と黄体形成ホルモン(LH)が分泌される。FSHは,卵胞に作用してエストロジェンの合成を促すのだろう。一方,LHもやはり卵胞に作用して,卵黄形成を促進させる機能と持つと考えられる。
以上,鳥類の卵産生のメカニズムは,かなり複雑である。上で述べたことをまとめると,次のように要約できるだろう。まず生殖時期になると,視床下部(hypothalamus)から生殖性刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)が分泌される。分泌のタイミング(つまりgateあるいはwindow)はcircannual clock(概年時計)によってコントロールされる。概年時計の同調因子(zeitgeber)は日長(photoperiod)。FSHの方は,まだ卵巣にとどまっている卵胞に作用してエストロジェン(E)の合成を促し,エストロゲンの産生は肝臓における卵黄前駆物質(ビテロジェニンなど)の合成を促進する。肝臓でたくさん作られた卵前駆物質は,黄体(LH)の働きにより卵胞に取り込まれ,急速成長が起きると考えられる。成熟した卵はひとつずつ卵管に送られ,受精が行われる。受精卵は卵管を移動するうち,白身や殻が形成され,最終的に総排出口から生み出される。
家禽であるニワトリは, 24時間明かりをつけっぱなし(恒常条件: constant light condition)の飼育室の中で,際限なく卵を産むように品種改良が行われている。野生の鳥類における卵産生のメカニズムのどこかが壊れてしまった。しかも,オスがいないにもかかわらず卵(無精卵)を産むような,一種のモンスターになってしまった。
いま私が研究している喫緊の課題は,ブッポウソウの産卵日が決定されるメカニズムと卵数の決まる機構である。野鳥の繁殖生態学では,lay dateとclutch sizeがkey decisionと考えている人が多いと思うが,生理学ではclutch size declineとsynchronyがkey decisionになると言えそうな気がする。(ただし,そう考えているのは今のところ私一人。)なぜkey decisionなのかというと,結果が適応度(fitness)に直接関わってくるからである。上のケースのどちらにしても,卵産生の生理学的なメカニズムを考慮して説明する必要がある,と私は思う。生態学的な説明だけだと,どうも理解しにくい。およそあり得ない可能性を基礎にして延々と議論されると,話題について行けないことが多い。
ブッポウソウの卵産生のメカニズムはまだわかっていない。まず初めに,外界のどんな刺激によって卵黄前駆物質の合成が始められるのか?そして,卵黄前駆物質の合成される期間(日にち)はどれぐらいか?(ニワトリでは一年中?)また,卵胞の急速成長はどのぐらいの期間で完成するのか?(ニワトリでは6日間から11日間。)さらに,野外の個体では,事件が起きて産卵が中断されることがあるだろう。その場合に,最初のステップである卵黄前駆物質の合成に戻るのではなく,どこか途中の段階から再開されると思われる。その場合に,なぜ卵数は3つぐらいに減少するのだろうか?実際に起きる数々の重大事件の経過から,上記の疑問を解明してみたい。
さて,本題に戻る。H-30の巣箱は6月2日以降どうなったのか?事件のあったあくる日(6月2日)には,新しいペアが巣箱のすぐ近くに陣取っていた。メスは時々巣箱に入り,産卵床を整えていたが,産卵はしていなかった。次の日(6月3日)からは一日おきに巣箱の中を見たが,2週間以上巣箱の近くでブッポウソウの姿は見られなかった。もうこの巣箱(H-30)は放棄されたかと,半ばあきらめかけた6月16日(水)に巣箱をのぞくと,卵が2つ置いてあった(図1)。巣箱を乗っ取ったメスは,6月14日に最初の卵を産んだと思われる。このメスは事件翌日の6月2日には産卵の準備に入っていただろうから,最初の卵が産まれるまでに12日間を要したと考えられる。
巣箱を乗っ取ったブッポウソウのペアのメスは,6月2日の時点で,脳下垂体前葉から卵胞刺激ホルモン(FSH)が分泌されていたかもしれない。卵巣内ではエストロジェンの合成が始まり,肝臓で卵黄前駆物質(ビテロジェニンなど)ができ始めた可能性がある。卵黄前駆物質の合成に6日間,卵胞の急速成長と放卵に6日間かかったと考えると,6月14日に最初の卵が産まれることはかろうじて説明がつく。しかし,あと数日間の余裕があれば,卵黄前駆物質の合成開始から最初の産卵(放卵)までもっとうまく説明ができる感じがする。
何が言いたいかというと,ブッポウソウのペアは巣箱を見つける前には,卵黄前駆物質の合成は始まっておらず(つまり6月1日までは,脳下垂体から卵胞刺激ホルモン(FSH)も黄体形成ホルモン(LH)も分泌されていない。)卵胞は「白色小卵胞」という初期の段階にとどまっているのかもしれない。6月2日に産卵システムが作動してから12日間で最初の卵が産まれるという説明は,いいのか悪いのかわからない。もっと多くの実例に接してみる必要がある。
図1.ブッポウソウの死亡事件(6月1日)の後に,巣箱を乗っ取ったメスが産んだ卵(6月16日)。卵黄前駆物質の血中濃度の上昇に6日間,さらに卵胞の急速成長に6日間かかったという説明(解釈)には,いまのところ,ちょっと無理がある感じがする。
図2は,H-30の巣箱の位置から写した湯武(吉備中央町)の風景である。右端には次の電柱に架かる電線が見える。次とその次の電柱はいずれも傾いている。傾いた電柱は(これだけ傾くと)登るのがちょっと怖いが,H-30の巣箱が掛けてあるNTTの電柱はまっすぐ立っている。足王大権現は,写真中央の人家の裏にある。昨年(2021)は,足王大権現の50mほど右側にG-07の巣箱があり,ここでは恐怖のブッポウソウ首なし事件が起きた。(その電柱は小さく写真に写っている。)今年は150mほど右側にある電柱に移し(巣箱は写っていない),新しく来たか古いか不明だが,ブッポウソウのペアに使われている。また,森の奥にはA-05があって,毎年落鳥事件や,H-30で起きたような産卵中のメスが死亡する事件が発生している。この付近(図2)は毎年大事件が起こる。鳥インフルエンザは関係していないだろう。他の明確な原因があるはずだ。
足王大権現の付近にある2つの巣箱(G-07とH-39)は,今年(2022)大幅に配置を変更した。少し時期の遅れはあったが,いずれの巣箱をブッポウソウに使われた。やれやれと思っていた矢先に,6月1日のH-30での死亡事件が発覚した。そして,H-30では乗っ取ったペアが定着し,メスは卵を産んだ(図1)。
今年(2022)はこれで安泰と思っていたが,6月16日(木)にまた死亡事件が発生した。しかも,6月1日にメスが死亡したH-30で,こんどは乗っ取った方のペアのメスが死亡した。
図2.H-30の巣箱から撮影した足王大権現付近。手前の軽トラは私の愛車で,和中にある基地に着いたらこの車に乗り換えて,吉備中央町,巨瀬町と有漢町(高梁市),北房町(新見市),および江与味(美咲町)の調査をしている。ブッポウソウの巣箱がある地域の道幅は狭く,舗装されていないところも多い。RICOH WG50で撮影。
<参考文献>
- 今井清(2002)ニワトリにおける卵生産過程とそのしくみ。日本鳥学会誌 52: 1-2/
- 木村資生1988.生物進化を考える。岩波新書。
- C. Patterson,1999. Evolution. Comstock Publishing Associates, Cornell University Press, New York.
- 池田嘉平・稲葉明彦(監修)1971. 日本動物解剖図説。森北出版。
- T.D. Williams, 2012. Physiological Adaptations for Breeding in Birds. Princeton University Press, Princeton and Oxford.