サンゴ礁とサンゴ礁原プロジェクト No. 2:昭和16年(1941)の西表島

令和3年(2021)9月10日(金)


図1.美田良(みたら)にある田んぼの草取りに出かけるご婦人方(説明は右下の枠内)。写真に出ている草取り機は,吉備中央町の田んぼでもたまに使っている人を見かける。私もやってみたことがあるが,5分でリタイアした。1941年撮影の画像にしては,resolutionはすごく良い。

図1の写真が載っている竹富町史だよりの1ページ目。創刊号は平成4年(1992)3月に出版。

 図1の写真は,昭和16年ごろに撮影されたと書かれている(図2)。昭和16年と言えば,太平洋戦争が始まった年でもある。どこで撮影されたかの記述はないが,ご婦人方の立っておられる坂道のアングルからみて,祖納(そない)の集落の南側から海岸に出る道ではないかと思われる。写真(図1)の右側20mのところには前泊御嶽があると思う。

 ご婦人方の立っておられる近くには履物が置いていない。おそらく裸足のまま美田良の田んぼまで行かれたのだろう。そのころは道路が舗装されていなかったので,表面の温度はそれほど上がらずに,素足でも道を歩くことができたのかも知れない。今では水田の中に素足で入っても安全にはなっているが,昔は大変危険であった。一番怖いのは日本住血吸虫の幼虫(セルカリア)が皮膚から体内に侵入すること。幸い西表島にはいなかったようだ。次に怖いのは破傷風。戦前だとマラリアの原虫を媒介するハマダラカも恐怖であっただろう。

図2. ウシクムル入り口

 図2に示した地点(ウシクムル入り口)は,ヤエヤマヒメボタルの発生地として有名になっている。春になると,夕闇の中に結構多くの人たち(観光に来られた方々と地元の方々)が白浜の方から歩いて登ってくる。日の暮れた後にポツポツと光が点滅し始める。19時半ごろになると光の数は増し,19時45分前後になると点滅はすごい数に達し,20時15分を過ぎると光を放つホタルの数は急速に減って行く。発生数が多い年には,19時45分ごろから20時ごろにかけての15分か20分の間には,ものすごい数の光が点滅している。

 美田良には,たくさんの思い出がある。初めてツマベニチョウを捕ったのは図2の付近である。図2の後ろ側には,1970年ころから西表島の横断道を作り始めていた。西表島の急峻な地形の中に横断道路を通すというのは,さすがに無謀な計画だったらしく(激しい自然破壊を起こす),数年してとん挫した(図3)。結局,道路は島の北側の海岸沿いに変更された。

図3.ウシクムルから望む白浜の海。(京浜昆虫同好会(編)1973.新しい昆虫採集案内(Ⅲ)離島・沖縄採集地案内編,内田老鶴圃新社)
作りかけの横断道があること,本の出版が1973年であることから,撮影されたのは1971年であろう。今はこの場所には道は残っていると思うが,道の両側は密林になっていて,このような景観は望むべくもない。

 写真(図3)の右側には写っているのは内離島(ウチパナリと言う?),その奥にぼやけて見えるのは,舟浮(ふなうき)の集落方面と思われる。この辺り(ウシク森)の海岸線は,急峻な崖になっていて,海の手前にある白浜の集落は見えていない。モノクロの写真の方が「原生林感」がよく出ているが,解像度のこともあってこれ以上拡大できない。

 図3に示した白浜の海の景観は,今は撮影することができない。自然保護という面からいろいろな意見はあるだろうが,林道沿いはたまに伐採すると,美しい景観を保つことができる。昆虫類にとってもすごくいいことで,枯れ木や枯れ枝に寄生する甲虫類の個体数は,伐採してから少なくとも5年間は飛躍的に増加する。

 逆に,伐採しなければ,林道の両側にはすぐに大量のススキが生えてくる。でっかいクワズイモまで生えてくるようになると,道路にサキシマハブがたくさん出てくる。雨がしとしと降り,生暖かい風が吹く晩は特に気をつけたい。 

 美田良は夕日のきれいなところである(図4)。イシアナジャコの分類・生態学的研究は,美田良の浜から始まった。1か月にわたる動物プランクトンの行動研究も,美田良川で行われた。これらの研究については,いずれ簡単に述べる機会があるかもしれない。

図4.夕日に照らされた美田良の海岸。平成29年(2017)5月3日撮影。時刻は19時を過ぎているだろう。潮が上げてきたところである。美田良は砂浜で,正面のあたりには海藻が生えている。すぐ右側に砂岩や泥岩がごろごろしている場所があって,石の下や石の中,岩の隙間に多くの海産動物が生息している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です