ブッポウソウ総合情報センター速報(No. 49)

令和3年(2021)8月9日(月)

ブッポウソウの死を考える。

今年(2021)ブッポウソウ総合情報センターでは,ブッポウソウの傷病個体を何匹か預かった。また,巣箱の中で死亡している親やヒナも見た。

まずは落鳥した親について。落鳥の連絡を受け,引き取りに行った直後は,割と元気なことが多い。落鳥になった原因は,ブッポウソウ同士の激しい戦いで,翼の付け根を鋭いくちばしでつつかれたり,噛みつかれたりして,翼の付け根にある骨が折れ,飛べなくなった個体が多かった。

繁殖期のブッポウソウは気性が荒く,人の手でつかまれると,激しく鳴いて,あたりかまわずつつきまわすが,落鳥したブッポウソウは鳴かない個体が多かった。傷が肺に達していて,うまく息ができなくなったか,負けたストレスで声が出なくなったか,どちらかであろう。

落鳥した親の傷の治療には,抗生剤が用いられた。抗生剤は効いていて細菌による感染は防げているはずなのに,治療後しばらくしてからぱったりと逝ってしまった。

次に,巣箱の上や中で死んでいた親。昨年(2020)下加茂にある巣箱の上で力尽きて死んでいたオスのブッポウソウは,外傷は見られなかったが,胸部の羽毛が広範囲に抜け落ちていた。死因は過剰なストレスと思われる。巣箱の中で死んでいた親も何匹かあったが,外傷のないものについては,ストレスによるショック死の可能性が疑われる。

巣箱の中で死んでいたヒナも何例か見てきたが,成長段階の個体については,死因は不明。

なお,ヒナの死亡する原因のひとつに,両親の死亡がある。巣立ち前に巣箱の近くを通りかかるブッポウソウの群れを追い払うのに失敗し,返り討ちにされて2匹とも落鳥した巣箱があった(F-05)。巣箱の中には巣立ち寸前のヒナが4匹いたが,巣立ちができず,すべて死んでいた。

ブッポウソウの親の死亡するケースの中で注目されるのが,翼の付け根に傷を受けて落鳥した個体である。傷は比較的軽く,最初は割と元気である。しかし,治療中に突然逝ってしまうという共通した特徴があるように思われる。ストレス死も似たような経過をたどるかもしれない。

ヒトでもこのような死に方をする例がある。戦場で腹部に大きな傷を負い,野戦病院に運ばれてきた兵士は,最初のうちは割に元気だが,しばらくすると急に弱って死亡する。こういう死亡は,感染症の発症が直接の原因ではないだろう。私の想像では,体に受けた傷により,体内の恒常性維持システムが破綻し,急に体が弱って死に至る可能性があると思う。

実際にどこがどうなるのかと問われると,返事は難しいが,例えば,神経伝達の不具合,内分泌異常,血液の酸素供給能力の急激な低下,細胞の自己消化など,いくつかの原因が複合的に生じた結果ではなかろうか。

体に受けた傷に対して,ホ乳類と鳥類の間には大きな違いが見られる。

ホ乳類は,体に障害を負った時に自分たちに備わった免疫力や修復力(再生能力)を使って可能な限り命をつなぐ道を選んだのだろう。仲間から離れ,一人静かに逃げ隠れすることができれば,ある程度の傷ならば修復できる。修復すればまたもとの活動に戻ることができる。修復には,痛覚細胞-神経-脳を通じて,けがの程度を知覚する情報システムが必要である。このシステムを駆使して,恒常性を可能な限り維持する生き方になっているように思われる。  

一方,傷ついて飛べない鳥は,捕食者にとってごちそうになる。傷が治る前にみんな食べられてしまうだろう。感染症に対する免疫力は備わっていたとしても,傷が治る前に捕食者に襲われてしまう。つまり,鳥はいったん落ちたら,もう生還する可能性はほぼない。だから修復はやめて,体の恒常性が破綻するのを待つという生き方(死に方)になっているのかもしれない。その証拠に,鳥やハ虫類では(両生類や魚類も)痛覚ニューロンはないか,あっても哺乳類に比べてごく少ないと予想される。

ハ虫類,鳥類,両生類,魚類においては,体にある程度深い傷を負ったら,見かけは元気でも,もうその時点で死んでいると考えてもよいだろう。

では,鳥の場合には,体の修復機構は生涯を通じて存在しないかと言うと,そうとは言えない。落鳥した幼鳥の美誠ちゃんは,足は反対側にねじれ,翼にも傷があったようだ。動物病院には連れて行かず,中山良二さんが手当てをした。美誠ちゃんは,2~3日してから元気になり,中山さんがかわいがり出したとたんに,隙を見て逃亡した。

親だったらこんなことはあり得ない。もし車にはねられたのでえあれば,保護されてからしばらくは元気なように見えるが,1週間もしないうちに死んでしまうと思われる。

子育て中のヒナに死亡が少ないことも,傷の修復能力が高いことを(間接的に)示唆するかもしれない。

<結論>

生物界には,群れで暮らす動物は多い。いったん群れから離れたら,すぐに捕食者の餌食になってしまい,生存の可能性がほぼなくなってしまう。傷ついて群れから離れる時も同じである。体が傷ついたら修復はせずに,体内の恒常性を破綻させて早く死を迎える生き方(死に方)をする生物は多いように思える。

群れから離れたホ乳類は,精神的なショックで恒常性が破綻し,死に至ることは,可能性としてはあると思う。このような状態になった動物にいくら抗生剤を打っても効き目はあまりないだろう。

兵隊が激しい戦闘で傷を負い,もうこれ以上逃げられないとわかると,持っている手りゅう弾で自決する。ヒトの場合には,重大な傷を負っても,最後まで恒常性を保つ機構が働いている。その間は,耐えられないほどの痛みと精神的ショックに襲われる。残酷だが,自決も安楽死の一種と言えるのかもしれない。

高等ホ乳類ならば,大きな傷を受けたときには,激しく痛がるので安楽死させる必要がある。

一方,ハ虫類や鳥類,両生類は痛覚細胞が少ないだろうから痛がるしぐさは見られない。放っておけばいずれ死ぬ。しかし,人間の目から見たら,やっぱりすごく苦しんでいるように見えるときがある。安楽死させるとよいが,問題は死の直前まで割と元気なことである。どうせ助からないからと,元気なうちに安楽死させると,これまた各方面から非難を受ける。

ブッポウソウの傷ついた親は,沼本(ぬもと)動物病院院長の沼本先生が仰るように,生きるときには生きるし,死ぬときは死ぬ。傷口はヨードチンキで消毒をして,必要なら体に包帯を巻き鳥かごに入れて静かに死を待つという取り扱いがいいように思われる。無理に翼を修理しようとするとどんどん形が崩れてゆく。それで生きればよいが,その可能性はないので,静かにさせておくのがよいだろう。そして,その様子を近くに住むじいさんやばあさんに見せてあげたらどうだろうか。死にゆくブッポウソウは,保護施設に持って行かれて安楽死させられるよりも,地元のじいさんやばあさんにみとられながら息を引き取る方が,よほど嬉しいに違いない。鳥の気持ちも尊重してやろうではないか。

ただし,中山良二さんの手に渡ると,生きているうちはかわいそうと手厚い看護を受けるが,死んだとわかるとすぐに剥製作成の手続きに入るので,ちょっと怖い面がありますが・・・。まあ,剥製になって里山の自然保護に協力できることも,あるやもしれない。

<参考文献>
E.H. コルバート(田隅本生 訳);脊椎動物の進化(上巻と下巻)築地書館 1978.

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