2024年3月21日(木)
1.はじめに
ブッポウソウ(Eurystomus orientalis)の論文のことで,journalのeditorから次から次へと変更事項が指示された。それらにひとつずつ対応しているうちに季節は,桜の咲く時期に近づいてしまった。いくつかの意見を総合すると,ブッポウソウの論文(original paper)の構想(初期段階)では,研究結果を雑然と詰め込み過ぎたことがわかった。いくつかに分割し,それぞれの論文で新しい知見と自分の主張を明確にして,あるjournalにpublicationの可能性を問うてみた。結果としては,全体的に良い方向に向かいつつある気がするが,これからもまだ多くの困難が予想される。今はこれ以上の詳細について公表できることはない。
ブッポウソウの研究を始めてから,すでに15年近くになる。私は今まで無脊椎動物(invertebrates)を研究対象にしており,エビ類やカニ類ならある程度分かるつもりである。一方,ブッポウソウは脊椎動物(vertebrates)に属する。脊椎動物と無脊椎動物の共通の祖先は,クラゲ・ヒドラ・サンゴ・イソギンチャクのような刺胞動物(Phylum Cnidaria)であり,両者が分かれたのは,今から10億年近くも前の先カンブリア紀である。それ以来,それぞれの動物群がどのような(系統学的)経路をたどって,私たちが今見ているエビ・カニ類やブッポウソウが進化してきたのか,化石(fossil)の証拠は,進化のプロセスを断片的に示してくれるに過ぎない。無脊椎動物と脊椎動物の間には,10億年も遺伝的な交流が無い。両者は全く別の進化の道を歩んできたために,無脊椎動物と脊椎動物では体の構造や,環境に対する適応の仕組みが異なっている。
野生生物は,文献だけに頼っては本当のことを理解しにくい。実際に野外に出て,研究対象とする動物や植物に時間をかけて接することが必要である。「飯炊き3年握り8年」という言葉があるように(本当にあるか知らないが・・・),寿司職人として一人前になるには10年の修業が必要とのこと。ブッポウソウでも事情は同じだろう。10年もかかって,やっとブッポウソウの何たるかが少しわかってきた気がする。ブッポウソウに関しては,やっと私なりの研究方法が確立し,その方法に基づいて結果を出しつつあるところである。
野鳥の研究については,大学教育に頼るのは危険である。まずは,可能な限り野外に出てブッポウソウを客観的に観察し,ブッポウソウの生態や行動に「こういう法則のようなものがある」という発見をすることが大事である。その発見が意味あるものならば,研究者の道への確かな一歩になりうる。あとは,自分の見出した知見が該当する研究分野でどんな位置づけ(status)にできるか,多くの文献を調べながら,客観的な視点で記述して行けばよい。もちろん英作文の知識の修得は大事だが,実戦の中で鍛えて行くのがよいだろう。
流行だとか新しい技術の導入だとか言って,教科書や人のやったことばかり追いかけていては,研究者として成長する可能性は低い。 自分を信じて, 弛まぬ努力を続けることが,「法則」に出会える可能性が高い。多くの若い人たちはここでつまずいているように思える。
話は変わるが,昨年9月に痛風の発作があってから,あれだけ好きだったビールは一切口にしなくなった。結果として,医者に行くこともなく,素人療法(アルコールは飲まないこと。冬は,週1~2回は龍ノ口山に登ること。)によって,発作は完全に治まった。ただ,体には大きな変化が起きた。まずは,まあよく寝ることが多くなった。自分の勘では,血液中に溶けている尿酸値が相対的に高くなったせいである。「痛風の発作がない」ことは,体内で結晶化した尿酸の濃度が低いからだろう。血液中に溶解した尿酸値(相対値)が高いことが,眠気を引き起こすかの研究はないかもしれないが,少なくとも私の体には催眠作用をもたらしている気がする。
もうひとつは,食欲が増進し,食べるものがうまくて困ること。大変ぜいたくな悩みである。スーパーで売っている各種のスイーツはすごくおいしく感じられる。今年(2024)の2月に,家の近くにある「天満屋ハピーズ・津島店」で「神楽面のもなか」を見つけた。ひとつ200円以上したので,ちょっと高いなとは思ったが,試しに買って食べてみた。4つ入って150円ぐらいで売っているアンパンもうまいが,神楽面の‘もなか’も,なかなか味がよい。
インターネットで調べると,神楽面もなかは,高梁市成羽町にある「三宅製菓」で作られているとあった。高梁市成羽町は,高梁川の西側にあり,私がブッポウソウを研究している吉備中央町から近い距離にある。いきさつはお話しする訳にはいかないが,ブッポウソウの研究でトラブルが起きてから,高梁川の西側(国道180号の西側)に行く機会は減った。それは,「縄張り」というようなアマチュアの感覚ではなく,話し合いによる「取り決め」によって,180号の左と右の地域が分けられた。もちろん,研究以外のことで180号線の西側に行くことは,何の制約もない。高梁市は過疎化が進んでいるが,各所に昔の町並みがよく残っている。
2月3日(土)は,吉備中央町から180号に下り,高梁川の橋を渡り,成羽に行った。三宅製菓でお菓子を買ってから,北西にある「吹屋ふるさと村」を訪れた。ベンガラ村を一通り見てから,高梁市の市街に戻り,頼久寺と国指定名勝の庭園を見てから岡山に戻った。頼久寺が足利尊氏のお声がかりで建立されたことは知らなかった。
自宅では,部屋の中では「ぴよ吉」が強いエサくれコールを発しながら,私が帰るのを待っていた。窓の外では一昨年産まれたスズメの「チビ」が,今年はお嫁さんを連れてきた。ベランダでチュンチュン鳴いて(エサくれコール)私を待っていた。チビ夫婦は,1日中ベランダの近くにいるようだ。
2.撮影と執筆の基本情報
<撮影機材> Canon EOS7DにTamron 28‒300mm (F/3.5‒6.3 Di VC PDZ)をつけて撮影した。いずれも中古で購入。使い勝手は良好。
<執筆> 三枝誠行・近澤峰男(生物多様性研究・教育プロジェクト)。
3.参考文献
・田淵行男(1959)高山蝶。朋文堂。
・田淵行男(1982)安曇野挽歌 : 田淵行男写真文集。朝日新聞社。
・蛭川憲男(2008)100年間の上高地から槍ヶ岳の蝶 : 北アルプス蝶相の研究 <長野県の平地から高山帯の蝶 2>。 星雲社 ほおずき書籍。
・Williams, T.D. (2012) Physiological Adaptations for Breeding in Birds. Princeton University press.
・木村資生(1988)生物進化を考える。岩波新書。
図 1.三宅製菓,吹屋ふるさと村,頼久寺。いずれも高梁市。484 号を高梁川に下りてから,313 号に入って三宅製菓に行った。
図 2.三宅製菓。313 号を道沿いに行けば,備中高梁から 15 分ぐらいは知ると道路の右側に店が見える。
図 3.三宅製菓の店内。お客さんは結構来ていた。インターネットで情報が伝えられているのだろう。
図 4.神楽もなかのモデルになったお面。シンプルなあんこの味は,大手饅頭とはまた違う。どちらもうまいが,スイーツは値段が上がっている。
図 5.三宅製菓の店内にあった人形(こけし?)。誰が作ったか不明。
図 6.吹屋ふるさと村のメインストリート。車で通行できるか不明だが,写真の正面には車が 1 台駐車している。歩行者に注意すれば通行できそうだ。
図 7.ベンガラを塗った家の壁。ベンガラとは朱色の塗料のことか? 以前工学部かどこかで,ベンガラを使った町おこしを考えた人がいたが,あの企画はどうなったのだろうか? ベンガラを塗ると,木材の持ちはずいぶんとよくなるだろう。ベンガラを外側に塗ったブッポウソウの巣箱は,耐久性には優れているだろう。ブッポウソウは宇治町まではたくさん来ている。吹屋は宇治町のすぐ近くなので,巣箱を架ければ入るだろう。
図 8.ベンガラ小学校(旧吹屋小学校)。吹屋集落の子供たちは,成羽までスクールバスで行くのだろうか?農村部の集落は人口の減少が顕著である。二十四の瞳を下回る学校も増えているに違いない。現在はスクールバスがあるので,小規模校は統合し,中規模の小・中学校に通う方が,教育効率が高い。田舎といえども,都会と等しく現代社会の新しい学問を子供たちに教えなければならない。二十四の瞳にしても,二宮尊徳にしても,それらの教育理念は,富国強兵のために教育委員会を通じて国民に広められたのだろう。じいさん・ばあさんは,古い教育理念を素晴らしいと感じるかもしれないが,現代社会(国際社会)にはそぐわない。少子化,人口減を含めて現代社会に対応できる教育理念と教育システムの導入が必要である。
図 9.ベンガラ焼の湯飲みやコーヒーカップ。<図 8 の解説の続き> 私はベンガラ小学校にノスタルジアは感じないが,私個人としては,学校は家の近くにある方がよい。スクールバスに乗せられてしまうと,通学途中で「道草を食う」機会が奪われる。これは自分にとっては大変残念である。現在では,田舎よりも都市部の方が,電車・バス・自転車を乗り継いて,一人で道草を食いながら学校と家を往復する機会が多く持てる気がする。
図 10.ベンガラ染めの日傘。ひとついくらするのか見てこなかった。
図 11.ベンガラそば。うそ! 「ベンガラそば」も「ベンガラうどん」もない。そばの麺は太い。ただし,塩味が強い。麺が太いとどうしてもしょう油味が強くならざるを得ない。私は, そばの場合には麺は細く,汁はもう少し甘いのが好きだ。
図 12.頼久寺の庭と玄関。玄関は,写真の右側に立つ石像の奥にある。
図 12.頼久寺の庭。ツツジの季節ではないので誰もいない。私はこういうところでじっと瞑想できない。迷走はしょっちゅう。
図 13.頼久寺の庭園。こういう場所は「庭」ではなく,「庭園」と言わなければならないのだろうか?
図 14.頼久寺の畳の部屋。漢詩の意味わからず。お寺の和尚さんの日課はどうなっているのだろうか?
図 15.頼久寺の由来。近くにある備中松山城には,岡山に来てから何度も通って昆虫採集をしたが,ヒゲナガコバネが(年によって)たくさん捕れたが,種類は少なかったように思う。カゴノキの枯れ枝につく小さくて触角の長いカミキリとソヨゴの枯れ枝に入るクビアカモモブトホソカミキリはよく捕れた。クビアカモモブトホソカミキリは,吉備高原の湯山とか吉川あたりの雑木林の縁に咲く花を春にすくえば,結構とれる。ただし,全部メス。
図 16.ベランダの柵にとまるスズメのペア。おととしチビ(左の個体)がすぐ近くにやってきた。2 週間ほど前からお嫁さん(右の個体)を連れて毎日ベランダに来るようになった。ネコのエサを水に浸して柔らかくしてから与えるとよく食べる。ネコのエサはブッポウソウのぴよ吉にも与えている。
図 17.庭木の枝にとまるスズメのペア。チビ夫婦はすぐ近くに住んでいると思う。ブッポウソウの巣箱には入らないが,もし巣箱で繁殖するようになれば,個体数も増加するだろう。スズメの reproduction における circannual gate と産卵(egg-laying)についても私の研究対象になっている。
図 18.ベランダにいるスズメのペアと,部屋の中でモニターの上にとまるブッポウソウ。野鳥はたくさんウンチをする。チビの夫婦が部屋の中に侵入したら大ごとである。部屋の中はお断りだが,チビ夫婦も入る気はないようだ。ぴよ吉(メス)には,ネコのエサをやるようになってから,飼育がすごく楽になった。面白いことに,ぴよ吉は,外のことには関心がなく,いつも部屋の中を向いてとまっている。昼間はモニターの上にいることが多く,夜間は私の頭上にある止まり木にいる。寝ている時にはまぶたを閉じているのですぐにわかる。パソコンで音楽を流しているので,じっと聴いていると思うが,どんな曲が好みかは不明。2 か所あるトイレは,そろそろ新しいのと交換する時期になっている。
図 19.モニターの上にとまるぴよ吉。ツメが伸びている。鳥のツメ(黒い部分)はほ乳類と違って中には血管が来ていないので,爪切りは楽にできる。春になってコアオハナムグリのような甲虫を食べさせたら,換羽をすると思う。ネコのエサは,羽や羽毛を作る栄養素(クチクラ?ケラチン?)があまり含まれていないのではなかろうか?部屋のカーテンもだいぶ汚れてきた。洗濯しなければならない。なお,ぴよ吉は非公開なので悪しからず。