2024年1月11日(木)
1.Introduction
西表島の海岸は,西側と東側では大きく景観が異なる。東側の海岸は傾斜が緩く,河口には泥が堆積していた。河口には石や岩のない泥干潟(mud flat)が広がり,サンゴ礁縁(reef edge)は陸からはるか沖の方に見えた。泥干潟は,陸上から大量の無機物や有機物が流れてきて堆積するので,栄養的には良い場所だろう。
無機物も有機物も,起源は陸上の原生林にある。陸上の落葉や倒木がバクテリア(細菌類)や菌類(カビやキノコ)によって完全に分解されると無機物になる。一方,有機物は,無機物に分解されつつある落ち葉や倒木である。それらが,海洋に流出する土壌に混じって,干潟に堆積する。
海岸で生活している多くの生物は,水に溶けている無機物や,土壌の粒子に吸着されるか,土壌に混じって浮遊している有機物に依存している。例えば,シオマネキ類やミナミコメツキガニは,満潮時には泥の中に潜っているが,干潮時になると泥の上に姿を現す。よく観察すると,鋏脚(かんきゃく)を使って泥をすくい取っては,口(mouth)に運んでいるのがわかるだろう。グロテスクな色と形態のタテジマユムシ(環形動物)も,干潮時に口吻(proboscis)を伸ばし,泥の粒子を吸い取っている。岩場にすむベンケイガニ類は,流れてきた落ち葉を拾って食べている。
泥干潟には,無脊椎動物が利用できる栄養が多量に堆積しているのだから,多くの種類の生物がいてもおかしくない。しかし実際には,岩礁地帯に比べて,泥干潟にすむ生物の種類数は少ない。泥干潟は,隠れ場所が少ないせいなのであろう。熱帯域,亜熱帯域の干潟には強力な捕食者が多い。のんびりと食事を楽しむつもりでいれば,あっという間につかまって餌食になる。だから,競争の激しい環境で生きる生物には,逃げ足の速いやつらが多い。でなければ,捕食者の少ない時間に行動するパターン(夜行性の活動)を発達させている。
ミナミコメツキガニは,大集団で干潟の上を行進する。よく目立つ行動であるが,少しぐらい捕食されても,個体群全体には影響しないかもしれない。個が失われる頻度よりも,個体群全体の増殖速度が上回れば,そんな生き方も成り立つ。捕食される個体は運が悪い。
石や岩のない泥干潟の上では,多様な生活様式が成り立つだろうが,やはり多くの無脊椎動物にとっては生きづらい環境のようだ。隠れ場所の多い岩礁海岸に比べて,石や岩のない泥干潟にすむ生物の種類数は極端に少ない。
では,種類数の多い岩礁地帯はどこにあるのだろうか?岩や石,サンゴ礫がごろごろしている岩礁海岸は,西表島では東側には少ない。西側の海岸に行けば見ることができる。泥干潟で見られる生物の種類数は少ないが,西側の岩礁海岸で見られる種類数は極めて多い。
このような事情のため,私たちは西表島での調査・研究はいつも西側の海岸で行っている。しかし,いくら種類数が多いといっても,潮が上げているときには調査ができない。潮が引いていると,多くの生物を観察できる。だから,私たちは常に大潮の干潮時(spring low tide)を気にかけながら仕事をしている。
なお、潮の干満(ebb and flow of tides)は,気象庁が発行している潮汐表(tide table)を見れば,満潮(high tide)や干潮(low tide)の時間,および潮位(tidal amplitude)がわかる。新月(new moon)や満月(full moon)の前日から4日ほど過ぎたころは,潮の状態は大潮(spring tide)になる。大潮の期間(6~7日間)は,1か月(太陰暦)の中で最も潮位が上がる期間であるが,同時に潮位が最も低くなることを忘れてはいけない。
・・・と書くと,海岸では一体どれほど大きな環境変動があるかと想像する方もいるかもしれない。太平洋側の海岸では,大潮の満潮の時の潮位は2m弱である。一方,大潮の干潮時の潮位は,季節によって少し異なるが,もっともよく引いてもせいぜい-15cmほどである。平均12,4時間周期で起きる潮の干満といっても,わずか2mの範囲で起きるできごとである。しかし,その2mの差が海産生物にとっては,自身の進化を左右する周期的な環境変動である。
西表島ではなぜ西側で岩礁海岸が発達しているのか?海岸の地形の違いは,生物の種分化(speciation),生態(ecology),進化(evolution)と密接に関わっている。地形の違いは,地殻(プレート)の変動に由来する。琉球弧の地形に関しては,ユーラシア大陸プレートに潜り込んでいるフィリッピン海プレートの動きがカギを握っているのだろう。
2.撮影と執筆の基本情報
<写真の撮影と記事の執筆> 三枝誠行(生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。
3.参考文献
・Castro P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology, Fifth Edition. McGraw Hill Higher Education.
・Futuyma, D.J. (1998) Evolutionary Biology, Third Edition. Sinauer Associates, Massachusetts.
・神谷厚昭(2001)西表島の地形と地質‒露頭の紹介を中心として。西表島総合調査報告書。
・木村政昭(1996)琉球弧の第四紀古地理。地学雑誌105: 259-285。
・Nibakken, J.W. (2001) Marine Biology, An Ecological Approach, Fifth Edition. Bemjamin Cummings, San Francisco.
・Ferl, R.J., and R.A. Wallace (1996) Biology: The Realm of Life, Third Edition. Harper Collins College Publishers.
・Hyžný, M., and A.A. Klompmaker (2015) Systematics, phylogeny, and taphonomy of ghost shrimps (Decapoda): a perspective from the fossil record Arthropod Syst. Phylogeny 73: 401‒437.
・西村三郎(編)1995.原色検索日本海岸動物図鑑(Ⅱ)保育社。
・山田真弓・西田誠・丸山工作(1981)進化系統学。裳華房。
・気象庁:潮汐(ちょうせき)・海面水位のデータ–西表(IRIOMOE)。平朝彦(1990)日本列島の誕生。岩波新書。
・石原勝敏・庄野邦彦(他13名)2010.新版生物Ⅱ。実教出版。
・小竹信宏・亀尾浩司・奈良正和(2013)沖縄県西表島の中部中新統西表層最上部の地質年代と堆積環境。地質学雑誌119: 701–713。
図 1.西表島の地形・地層と海岸。西表島は大部分が「西表層」が堆積している。西表層は,1,400 万年(14 Mya)ほど前に琉球弧が海底だった時に堆積した。層厚は最大で 700m とどこかに記されていたので,長い間かかったのだろう。1,400 万年以降は,海の上に顔を出し続けたのだろう。
図 2.琉球弧(Ryukyu Arc)と西表島の誕生。琉球弧は,フィリッピン海プレートがユーラシア大陸に潜り込身の反動を受けて形成された。琉球弧がユーラシア大陸の東側に出現し始めたのは,フィリッピン海プレートが出現した後と考えることができる。(違う考え方もある。)
図 3.西表島西側の海岸。1–4 の番号は,よく調査を行う海岸を示す。東側の海岸と異なり,西側の海岸ではサンゴ礁原に堆積する泥の量は少ない。
図 4.祖納の海岸(矢印 2)。砂岩が層状構造を成している。地層が海に向かって突進しているような感じに見える。海岸にはがけ崩れで散らばった石や岩がごろごろしていて,生物の格好の隠れ場所になる。散らばった砂岩や泥岩は,100 年もすれば砂の下に沈み,新たな石や岩が上から落ちてくる。
図 5.美田良(矢印 2)の浜。もう 20 年前になるが,私が初めてイシアナジャコを採集した海岸。台形の中にある砂泥岩をトンカチで割ったときに出てきた。その後,イシアナジャコは西表島の西海岸に多数生息していることがわかり,2023 年現在で 5 種類が新種として記載されている。
図 6.イシアナジャコ(写真では種は判別できず。)
イシアナジャコは,西表島の美田良で初めて発見されてから,海岸や河口の波打ち際に転がっている砂泥岩(sandy-mud stone)の中に高密度で棲んでいることが分かった。なお,砂泥岩というのは造語であり,巣穴のある石や岩の粒度分析をすると,砂岩と泥岩の中間の粒度組成になっていることから名づけられた。砂泥岩はわりに柔らかく,ノミとトンカチがあれば簡単に崩すことができる。
イシアナジャコは,西表島では島の西側から北側の海岸にしか分布しない。例外として,東側の後良川を横切る橋(後良橋)の真下にある砂泥岩にも棲んでいるが,これは橋を作るときに橋げたを固めるために人為的に置いたものだろう。
イシアナジャコが,なぜ西表島の西側海岸にしか分布しないかには,明確な理由がある。イシアナジャコは,海岸の波打ち際に転がっている砂泥岩にのみ生息している。アナジャコの棲める砂泥岩は,島の西側から北側にかけての海岸沿いに分布しているからである。
砂泥岩は,柔らかい。海岸の崖から転がり落ちるか,露頭として海岸に押し出された砂泥岩は,波に洗われて,細かい粒子に分解するか,あるいは海岸の砂浜に潜って行き,20 年もすれば消滅する。イシアナジャコが巣穴を掘ることのできる砂泥岩は,常に波打ち際に供給される必要がある。
島の東側の海岸は,隆起したサンゴ塊(死骸)か,非常に硬い砂岩(sand stone)によって占められている。波打ち際ではサンゴ塊や硬い砂岩の隙間に入り込んでいる生物はいるが,巣穴を掘ることのできる生物はいない。・・・ということで,イシアナジャコの分布は,島の西側から北側半分に限られる。
図 7.白浜から美田良に海岸沿いを歩く。西表島の西側の海岸には,東海岸のような泥干潟は少ない。海岸沿いの植生:アダン,トベラ,オオハマボウ,リュウキュウマツ(クロマツの亜種?)。大潮のころの干潮時でないとなかなか歩けない。
図 8.コムラサキヤドカリ? 海岸から相当山奥の土手を歩いている。琉大熱研の研究棟の前の溝(海から 1 km 程離れている)で採集したことがある。オカヤドカリ類は,すべて右の鋏脚よりも左の鋏脚が大きい。現在の私の研究テーマは,十脚甲殻類に鋏脚左右性の発現機構と左右性の進化。
図 9.ルリマダラシオマネキ(オス)。西表島には何種類のシオマネキが生息するか覚えていないが,形態を比較すると 6~7 種類ではないかと思う。遺伝子で見れば,あと 1~2 種類追加されるかもしれない。シオマネキは河口に生息するが,その中でもルリマダラシオマネキの分布は,一番海岸に近い。
図 10.ルリマダラシオマネキのメス個体。この場所のルリマダラシオマネキの背甲(carapace)には瑠璃色の発色が鈍い。生殖期になると,オス・メスとももう少し鮮やかな瑠璃色になる個体が多い。カニの背甲の中央にある横向きのくぼみは,十脚甲殻類の crevical groove(頚部の溝)の名残だろう。
図 11.ルリマダラシオマネキのメス個体(抱卵個体)。ルリマダラシオマネキの鋏脚は,オスでは左よりも右の方が大きい個体が多いだろう。一部左が大きいオスがいるかもしれない。一方,メスの方の鋏脚は,左右対称(symmetric)である。厳密に測定すれば有意差が出る可能性がある。
図 12.海岸の砂泥岩層。アダンの成長で層が壊されている。こういうところにはカニ類やオカヤドカリ類が多い。アダンの実が熟し,海岸の砂浜に落ちるとオカヤドカリがたくさん集まってくる。オカヤドカリの種類は忘れたが,西表島には 5 種類ほど分布している。
図 13.海岸に転げ落ちた砂岩。この砂岩は固いので,穴を掘ることのできる生物はいない。しかし,砂岩の下の岩や石の隙間には,たくさんの生物が潜り込んでいる。フナムシもいるが,瀬戸内海の種類と比べるとすごく小さい。アダンの根元には,ベンケイガニ類の巣穴がある。ヤシガニもいる。
図 14.海岸に転げ落ちた砂岩。西表島の西側の海岸には,こんな岩がごろごろしている。形状は「奇岩」である。落石は最近発生したのだろう。
図 15.西表島の西側海岸に見られる急峻な崖。海岸には岩や石がいっぱい落ちている。大潮の干潮時でないと,海岸を歩くのは難しい。
図 16.海岸の平地にできた小さな泥干潟。干潮時ならばヒメシオマネキ,ハクセンシオマネキ,ヤエヤマシオマネキ,ベニシオマネキなどがいそうだが,もう夕方なので泥の中に潜っているのだろう。奥に見えるのは,ヤエヤマヒルギとオオハマボウ。オオハマボウの花は黄色で大きい(きれい)。
図 17.干潟に落ちていたヤエヤマサナエ。ヤエヤマサナエは,石垣島と西表島に分布するトンボである。個体数は多い。泥の上は巻貝の移動した後。
図 18.美田良の浜(干潮時)。西表島の西側は,土壌の細かい粒子は外洋に流出し,沖から波に運ばれた砂が堆積する。この砂の層が,西表島の地層の大きな割合を占めると思われる。この砂の層(砂岩?)で化石になる十脚類はいない気がする。川沿いの砂地には,スナホリガニ(異尾類)がいた。
図 19.美田良の浜(満潮時)。波はほとんどない。右側に見えるのはソトパナリ(外離島),左に見えるのはウチパナリ(内離島)。満潮になると,イシアナジャコの棲む砂泥岩も水につかる。内離島の海岸には,住居跡がある。一時は石炭も採掘された。内離島も外離島も,西側(写真の後ろ側)は崖。
図 20.美田良の浜で見る夕日。左は外離島(ソトパナリ)。西表島にいる時には、社会との接触を断ち切り,自分だけの世界を満喫できる。帰ったら自分の机がなくなっているのではないか,という不安にさいなまれる人は,西表島には来ない方がよい。・・・というか,そういう人は自然の研究には不向きだと思う。若いうちは,思い出は自分で苦労して作っていかなければならない。しかし年取ると,パソコンとモニター(画面はやや大きいのがよい),それにインターネットを使えば,昔の思い出をよみがえらせることができる。モニターに写真が出ると,まずは自分の無能さ,判断力の悪さ,考えの至らなさ(結果と現実)がふつふつと頭の中に湧き上がる。しかし、しばらく見ていると,生物の世界の奏でる「自然の詩」の響きが大きくなる。頭の中が半ばリセットされると,何かまた新しいことをやってみたい気持ちになるから不思議だ。「思い出作り」をめぐって AI と競争してみたい。