令和4年(2022)のブッポウソウ情報 No. 25:遠くでじいさん怒鳴る声

令和4年(2022)7月19日(火)

 ブッポウソウの研究に関しては,今年(2022)から子育てを中心とした行動観察に移行した。行動観察のためには,ブッポウソウがよく見える位置から,エサ運びを邪魔することなく撮影できる場所が必要だ。ブッポウソウの巣箱は,最初はそんなことを意識して設置した訳ではないが,実際に行動観察の段階に至って,撮影には好適な場所が多いことがわかってきた。

 ブッポウソウの撮影に好適と思われる場所のひとつが巨瀬町の県道沿いにある(図1)。巣箱は,道路が左にカーブするところにある電柱に設置されている。観察場所は,巣箱のある電柱の向かい側にある小道を軽トラで登ったところにあるお堂の境内である。小道の入り口には電気柵の針金があるが,先端のフックは容易にはずせる構造になっている。そういうところは,吉備中央町でもいくつかあって,勝手に入っても軽トラに乗っていれば,注意されることはない。ただし,昼間でも電気が通っている場所があるので(ぱちぱちと音が出ている),電気柵に触れて感電しないよう注意する必要がある。出るときにはフックをもとに戻せばよい。

図1.M-03の巣箱(巨瀬町)。県道から手前の電気柵をはずして入る。軽トラでないと右側に見えるお堂の境内まで来られない。県道を通る車は,1時間に一台ぐらいの頻度。正面の赤いレンガの建物は公会堂。お堂と巣箱の直線距離は40mぐらいと思う。

 図2は,お堂の裏側から巣箱を見たときの写真である。お堂の境内には,ツバキの古木が3~4本あって,幹にはびっしりと地衣類が付着している。ツバキの木の枝の間から巣箱(M-03)を望むことができる。お堂の境内にカメラを置き,軽トラに乗せていった椅子(昔使っていた)に座って,焦点を巣箱の入り口付近に合わせ,あとはブッポウソウがエサやりに来るのを待てばよい。農作業をする人が来た場合には「ここでブッポウソウの撮影をしてまーす。」と一言声をかけておけば,怒られることはない。そこまでせずとも,巣箱の掃除やヒナの成長の様子をしばしば観察に来るので,地元の人は今では特に気にも留めてはいないようだ。軽トラが置いてあるというのが,地元の人たちに安心感を与えることもある。

図2.お堂の脇のブッポウソウ観察所。軽トラはお堂の裏側に置く(一部見えている)。こういうところにだまって入り,注意されたことは日本ではない。中国ではよく注意された記憶がある。境内の散策に何か予約が必要なのだろうか?私が行ったのは,田舎のひなびた寺だったので,中国ではそういうところは観光客を嫌うのかもしれない。日本では,どんな小さいお寺や神社でも,境内をほぼ自由に散策できる。ましてお堂のように無人のところは・・・。

 お堂の境内は,見かけは静かである(図3)。ひとりで椅子に座っていると,里山の雰囲気を堪能できる。・・・なんてのはウソ。確かに周囲ではヒグラシ,アブラゼミ,ニイニイゼミがたくさん鳴いている。空が急に曇るとヒグラシの奏でる蝉時雨もある。だが,今年(2022)は開けたはずの梅雨がまた戻ってきた。雨が降ってきたら,観察用の器具類(望遠レンズ,ビデオカメラ,集音マイクなど)は,すぐに軽トラの荷台からお堂の縁側に移しておかねばならない。境内にはオオスズメバチが頻繁に通る。目の前の墓石には,ジガバチの巣があって,親がいつも巣の周りをちょろちょろしている。縁の下にはアリジゴクの巣もあって,時々砂をピッと跳ね上げている。公会堂の右側にある林には,ヒヨドリやホオジロを始めとした多くの野鳥が,頻繁に通りがかる。自分の気分は全然落ち着かない。貧乏性なのだろう。

図3.お堂の境内とカメラ。確かに心が安らぐ場所ではあるが,ブッポウソウを待ってじっと椅子に腰かけていると退屈で仕方なくなる。うたた寝をしてシャッター・チャンスを逃すこともしばしばあった。古いお墓の石の表面は地衣類で覆われている。レンズ左側にはナンテンが植えてある。この場所は眺めはよいが,風通しが悪いのが難点。

 巣箱M-03での撮影はこの位置(図3)から行われた。巣箱までの距離は40mほどである。写真家ならばよだれの出そうなアングルだろう。600mmのレンズだと,実際にすごくいい写真が撮れる(図4)。このシーン(図4)に写っているブッポウソウの眼は,レンズをとらえているように思われる。さらに0.5秒ほど前にオスが巣箱の入り口に足をかけている場面がある。その場面では,右側の眼しか写っていないが(左眼は隠れている),やはり右側の眼はレンズを捉えているように思われる。

 幸運なことに(皮肉ではない),多様性プロジェクトの巣箱(図4)は,写真家には大そう嫌われているようだ。なぜだかお分かりいただけるだろうか?ある人(と書いても,誰かすぐわかる。)に言わせれば,巣箱にいたずら書きをして写真撮影を妨害しているという。「われわれはブッポウソウを利用して町おこしという町の基幹事業をしているのだから,ブッポウソウを撮影者に気持ちよく写真を撮ってもらいたい。そのためには,巣箱のかたちは彼らの気に入るものでないといけない。そして,巣箱の入り口を写すカメラ(M-03にはない)は,写真の中に入らないようにしたい。」私は町おこしをやらされている訳ではない。何でそんなことに従う必要があるのか?また,そもそも,そういう人たちの言う「町おこし」の意味が,私にはよくわからない。例えば,写真家を集めて,ブッポウソウを使った「盆踊り」を吉備中央町でやりたいということだろうか?だとしたら悪いが,私の生きる道とは合致しない。勝手にやっておくんなさいまし・・・。

図4.ヒナにやるエサをくわえたまま巣箱を離れるオスのブッポウソウ。巣箱の入り口に足をかけ,巣穴に入ろうとしたときに私がいることに気づき,いったん巣箱を離れた。(ヒナはまだ顔出ししていない。)くわえているのは,ニセノコギリカミキリだろう。ニセノコギリカミキリとノコギリカミキリは非常によく似ているが,触角の相対的な長さから,ニセノコギリカミキリのように思われる。写真に見えるのは,左眼である。ブッポウソウの左眼のフォーカスは600mmレンズに合っているような気がしてならないが,皆さんにはどのように見えるだろうか?

図5.公会堂の屋根瓦から飛び立つキセキレイ。キセキレイの姿は,屋根瓦があって余計に素晴らしく見える。キセキレイの語源は「奇跡の綺麗」だと思いたい。「ブッポウソウばかり大事にするんじゃねえ。俺だってブッポウソウ以上に里山を盛り上げているきれいな鳥なんだ。」と言っていると思う。それと「過剰に農薬をまくことはやめてくれ。米のニーズは,昔に比べて著しく減っているんだから,俺たちを大事にして里山を盛り上げてくれ。」とも言っている気がする。このキセキレイ君,次の日にじいさんに鉄砲で駆除され,敢無い最期を遂げた(想像)。このキセキレイ君,私に「この仇をとるのはお前しかいない。」と言ってこと切れた。

 多様性プロジェクトは,必要があって巣箱にナンバーをつけている。しかも,ペンキでいたずらを書くとすごく長持ちする。M-03を始めとして,多様性プロジェクトが設置した巣箱では,こんな写真(図4)はもういらないというほどたくさん撮れる。・・・が,もちろんこの記事はそんなことを自慢するために書かれている訳ではない。

 ブッポウソウの撮影で大事なことは,撮影者自身と大きな口径のカメラにできるだけ早く慣れてもらうことである。撮影者が巣箱に近づきすぎると,ブッサンはいつまでたってもエサを持ってこない。600mmレンズの口径は13.5cmあり,これは駆逐艦の主砲と同じぐらいのサイズだろう。そんなものを近くで突然向けられたら,野鳥はすぐに遠くに逃げてしまうだろう。
M-03の巣箱がある場所(図3)では,カメラを置いた直後にエサを持って来た。しかし,異変(巨大な光沢を放つ物体)に気付いたのか,その後30分以上エサは運んでこなかった。1時間近くずっと待っていたら,ようやくエサを持って来た。一方,カメラに慣れてからは,普通の感じでエサ運びが行われた。キセキレイ(図4),スズメ,ヒヨドリ,ホオジロなどは,ブッポウソウよりも早く巨大なレンズに慣れる。

 何が言いたいかというと,自分の都合の良いときにちょこっとやってきても,近澤峰男さんのようなプロフェッショナルでない限り,いい写真は撮れないということ。今や誰でも持っているコンパクトカメラでは,ブッポウソウは黒い点にしか映らない。だからと言って,巣箱に近づくと,ブッポウソウは遠くに逃げてしまい,人がいなくなるまでエサやりは中断される。SONY RXⅢならば,三脚に乗せれば40mの距離ならばぎりぎりで撮影は可能だが,resolutionは図4と図5の写真に比べて格段に低下する。当たり前のことだが・・・。

 ここ(図1)に観察所を作れば,50人ぐらいの写真家なら楽に収容できるだろう。でも,この場所に観察所を作ることは地元の人たちが絶対に許さないと思う。地元の人たち,特に農作業をしている人たちは,ブッポウソウの綺麗な姿を写真に収めたいと思っている人は皆無である。だから,町から車に乗って,高級カメラを抱えてブッポウソウの撮影に来る人たちに対し,好意を持っている人は誰もいない。そういう人たちの車が農道にとまっているのを見るだけで,すごく不機嫌になって,役場に苦情を申し入れる人も少なくない。こういう状況だから,こんなところ(図1)に観察場所を作ろうとすれば,地元の人たちとの間にとんでもないトラブルが勃発するのは間違いない。

 ただ,地元の人たちには,写真家が来るのは絶対反対だが,ブッポウソウ自体は何らかの手段でぜひ見たいという人たちは少なからずいる。この点は地元の人々のニーズとして,この記事に書き記しておきたい。私の希望としては,地元の人々の自然に対する認識を少し変えていただきたいが,そうたやすい道ではない。
最後に,私と地元の人たちの関係について述べておきたい。まずは,地元の人たちは私のことをどう思っているのか? 私の場合も,もともとはこんな奴は絶対に里山に来てほしくなかっただろう。しかし,頻繁に来るものだから,いちいち怒るのも面倒になって「まあ,勝手にしろ」という状態になっているのだと思う。

柿食えば遠くでじいさん怒鳴る声

 里山の景観を一句で表せば,こんな感じになるのではなかろうか?遠くで怒鳴るじじいどもは,里山の景観にピリッと辛い山椒の実をつけ足して,里山の雰囲気を盛り上げる。ただし,あんまりおっかないじいさんがいるところは二度と行かない。

怒鳴られて軽トラ飛び乗り快走す

 フィールド・ワークはNPO法人だと楽しくできる。大学や研究所の法律は,懲罰的傾向が顕著で,人と違った考え方をすれば,情緒的な判断で処罰される。益々どっかの国に近づいている。NPO法人は大学や研究所の下部組織ではなく,運営には日本国憲法が適用される。日本国憲法の理念は人を罰することではなく,国民の権利を守ることにある。つまり,日本国憲法の基礎には,人間の良心が詰まっているのだと思う。私の研究や教育は,NPO法人のようなところで開花する気がする。もちろんNPO法人でも,大学や研究所の機能を十分維持できる。

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