ブッポウソウ総合情報センター・ニュース 四季折々の自然の風景と野鳥 No. 3:自切して世を去るモミジ葉谷風に舞う

 自切(autotomy)は,生命を維持するために,多細胞生物(Metazoa)が生み出した環境適応システムである。普通は「じせつ」と言うが,私は重箱読みをして,「じきり」と言っている。インターネットで検索する際に,「じせつ」と入力しても「自切」という漢字が出てこない。辞書に登録すればいいのだが,「じきり」と入れるとすぐに出るので,それが習慣になってしまった。自切の読み方が試験に出ることはないので,「じきり」と読んでも許されるだろう。

「じせつ」と「じきり」,どちらにせよ,切った本体は生き残るが,切られた方が生き残ることはない。現代社会においても何か事が起きれば,集団(社会)の維持という大義名分のもとに,戦力外通告のように自切を迫られるケースは多い。

 社会は,数多くの組織から成り立つ。どんな立場の人にも,組織の都合で自切の憂き目にあう可能性がある。自切する理由が良いか悪いかに関わらず,社会の中では一定の割合で生じている。もし不測の事態が自分に降りかかった場合には,どう生きたらよいか,日ごろから考えておかねばならない。

 人の脳は,突然予期せぬ事態に遭遇したとき,すぐに対応できない。後でよく考えたら悔やまれる判断をしてしまうことが多い。「後悔先に立たず」とたしなめられても,何も心の救いにならない。現実には誰しも脳がパニックに陥り,的確な判断ができなくなる。組織の危機管理については,組織を守るための法律的な対策が進んでいるが,個人の危機管理については昔のままだ。形だけのコンプライアンスが押し付けられて,個人の危機管理体制も強化された,みたいな主張が平気でまかり通っている。日ごろから自己の置かれている状況を客観的に把握し,何か起きたら人に頼らず,自分の努力で自分を守るという気概を持つとよい。

 さて今回(No. 3)は,近澤峰男さんが撮影した写真ファイルの中から,深まる秋の雰囲気によく合う感じの野鳥と自然の風景をピックアップしてみた。

 まず,エナガ(図1)。頭部の羽毛は,白いモヒカン風に仕立てられている。目はかわいらしい。くちばしは細く短い。エナガのくちばしはこんなに短いとは知らなかった。足は細くて短く,一見して華奢(きゃしゃ)な体のつくりがわかる。華奢は英語ではdelicate。紅葉したモミジとのマッチングがなかなか良い。自分は一生かかってもこんな写真は撮れない。

図1.モミジの枝にとまるエナガ。平成26年(2014)11月26日。ファイルの記載を見てみたが,撮影場所は,記載されていなかった。たぶん近澤さんのご自宅の近くの公園で撮ったのだろう。当たり前のことだが,首,背中,腹部の薄いピンク色は,モミジの赤色が反射しているのではなく,自分の羽毛の色。つまり,エナガの羽毛は,光を反射するが,屈折させる機能はないと考えられる。ブッポウソウの紫色の羽毛のように,光の屈折を起こす機能がいくらかでもあれば,見る角度により反射率が異なるために,色の濃淡が生じる。その場合には「構造色」と言えるかもしれない。撮影:近澤峰男。

 次の写真(図2)は,エナガの顔をアップしている。やはりくちばしは短い。目はくりくりした感じでとてもかわいらしい。

 この写真(図2)を見るとわかるように,エナガを始めとした多くの野鳥は,見かけは頭部と胸部が一体化しているように見えるが,骨格では明らかに頭部(head)と胸部(thorax)が区別される。小鳥を捕まえたときに,頭を軽くつかんでみると,頭と首があるのがよくわかる。さらに解剖すれば,胸部と腹部も区別がつく。鳥の体のつくりは,ハ虫類のそれを受け継いでいる。ホ乳類もまたハ虫類の体のつくりを受け継いでいる。鳥とホ乳類の骨格や器官は,生活のために発達したり,縮小されたりという違いはあるが,基本的には相同である。

図2.エナガの顔つき。頭の羽毛はオールバック。くちばしは短いので,この時期(11月)だと,木の枝の表面についている小昆虫をエサにしているのではなかろうか?しかしこんなくちばしでは,枝や幹をつついてカミキリムシの幼虫をほじくりだすような芸当はできそうにない。平成27年(2015)11月3日,岡山にて。撮影:近澤峰男)

 ハ虫類,鳥類,そしてほ乳類の胸部には,主に呼吸に関係する器官が収められている。一方,魚類だと,頭部や腹部はあるが胸部として独立した構造はない。魚類では,肺の起源である鰾(うきぶくろ)は,内臓の上に広範囲に収納されている。鰓(えら)は頭骨の下部に,心臓は鰓と鰾の中間にある。面白いのは,魚類においては,呼吸に関する器官は,体の中にまだ分散した状態で収納されていることである。胸部としてまとまった構造が現れるのは,オタマジャクシから変態して(metamorphose)カエルの段階に達してからである。しかし,カエルは肺と皮膚の両方を使って呼吸している。イモリはまだ鰓呼吸が中心だろう。

  過去(古生代のデボン紀)に生物が水中から陸上に生活の場を移すのにともない,空気中で体を支えることや,空気中から酸素を取り込む必要が生じた。必要を満たすためには,今まで使っていた器官(鰭とか鰓)をそのまま使うことができなかった。そこで生物がやったことは,今まである器官を転用して新しい環境に適応することだった(要するに人間社会で言う,場当たり的な改善と同じ)。少しずつ作っては少しずつ変えてゆくことで,新しい環境になじんできた。ただ,転用のスピードは,状況によって大きく異なっていたかもしれない。

図3.小枝にとまるエナガ。太陽光は完全な白色ではなく,黄色の波長が強く出ている。日差しの弱い朝か夕方に撮影されたのであろう。平成27年(2015)11月3日,岡山にて。撮影:近澤峰男。

 図3は,木の枝につかまっているエナガの写真である。生物学の本を読むと,ヒトの特徴は,手のひらにある5本の指の親指が,他の4本の指と向かい合う形になっていて,この性質がチンパンジーの祖先からヒトの祖先を分けるに至った,みたいなことが書かれている(文献に示した本ではない)。しかし,図3を見ると,野鳥も枝を強く握るために親指が他の4本の指と向かい合っていることがわかる。親指の方は特に力がかかるので,他の4本の指に比べてずっと太くなっているようだ。野鳥の足の構造を見ると,ヒトの進化は親指だけが他の4本の指と向かい合うように変化したからだとする仮説の信ぴょう性について,ちょっと疑いたくなる。

 下の写真(図4)はキクイタダキである。キクイタダキとは,誰がつけたか知らないが,いい和名である。動物の学名や和名をつける際に,個人の名前を付けたがる人たちがいる(例えば,キクイタダキの代わりにウチダイタダキとか)。本人にとっては名誉かもしれないが,観察する者にとっては,覚えやすく(ウチダイタダキも覚えやすいが・・・)生物の形態的特徴をよく表した名称の方がずっと役立つ。野鳥の和名の命名者には,個人的な名誉欲や自己顕示欲は控えて,純粋に鳥を観察したいという気持ちの強い方々が多かったのだろう。

図4.クリの枝でエサを探すキクイタダキ。つかまっているのは,左上に残っている2枚の枯葉からクリであることがわかる。右上の細い木もクリだろうが,中央にある少し青みがかった2本の枝は何の木か不明。でも,あちこちでよく見ている気がする。平成24年(2012)11月21日,兵庫県立フラワーセンター(兵庫県加西市豊倉町)にて。撮影:近澤峰男。

 キクイタダキもエナガと同様に頭部にはモヒカン模様がある。ただし,モヒカン部分は黄色に変化し,これがキクイタダキという和名の由来になっているように思われる。

 クリはガやカミキリムシの食害を受けやすい植物である。11月にもなれば,木の枝でサナギになっている昆虫も多いのかもしれない。キクイタダキは,そのような昆虫類を探して木々の間を移動しているのだろう。こんなふうに,生物の持つ形(形態)と機能を考えながら小鳥の写真を見ると楽しい。たくさんの疑問がわきあがってくる。

 コゲラ(図5)も実に愛らしい小鳥である。頭部の羽毛にモヒカン構造があるかは,定義の問題になりそうである。幅の広いモヒカン構造があるとも言えるし,おかっぱ頭みたいに見える人もいるかもしれない。いずれにせよ,オールバック。コゲラの首は割と明瞭である。

図5.厚い樹皮をつつくコゲラ。樹皮の間に隠れている小昆虫の成体や蛹を探しているのだろうか。樹皮の形状からは,ヤナギのような感じがするが,多分間違っているだろう。コゲラの頭部にはモヒカン風の模様はなさそうである。平成27年(2015)11月27日,天満大池(兵庫県加古郡稲美町)にて。撮影:近澤峰男。

 小鳥の写真(図1~図5)を見ていると,種類によってくちばしの長さや大きさが異なることがわかる。さらに,それぞれの種類で得意とするエサの探索の仕方や,訪れる樹木があるような気がする。小鳥のエサとなる昆虫は,樹木によって違いがあることが予想される。例えば,サンショウにはクロアゲハの幼虫がいる。コナラやアベマキの葉には,新緑の季節になると,多くの昆虫が群がる。秋になれば,葉は落ちるが,樹皮にくっついて冬越しする昆虫は多いだろう。サクラには,昔はアメリカシロヒトリの幼虫が群がっていた。

図6.紅葉したモミジの枝にとまるシジュウカラ。つかまっているのはモミジの枯れ枝。枯れ枝の表面に地衣類が付着している。地衣類は地球上に存在する最強生物のひとつであると思う。平成26年(2014)11月6日,ちくさ高原キャンプ場(兵庫県)にて。撮影:近澤峰男。

 小鳥の種類によって訪れやすい樹木があるかどうか,感度の高い統計学的手法を使えば,樹木の種類との関連を定量的に推定できるかもしれない。これは楽しい調査になるだろうし,原著論文を書いて国際誌にも投稿できるのではなかろうか。

 しかし,実はこの研究には大きな問題がある。野鳥は,実際には樹木の種類を識別していない可能性が高いことである。人は,例えばホウノキトゲバカミキリを採集しようと思えば,ホウノキのでっかい葉を下から見上げる。南西諸島では,タブやヤブニッケイの枯れ枝や葉を見て行くと,珍品に巡り合える。しかし,これは特定の種類の昆虫を集める場合にはよい方法なのであって,野鳥の場合には違ったエサ探索方法が使われているだろう。野鳥の場合には,枯れ木や枯れ枝を好んで探索する種類や,樹幹の方を重点的に探索する種類,樹皮をつついて幼虫をほじくりだす種類,多くの樹木の葉を中心に見て移動する種類などがいるだろう。しかし,小鳥は針葉樹か広葉樹の違いぐらいは認識できても,それ以上の詳しい特徴まで判別して行動する種類がいるかは疑問である。

 ブッポウソウも同様である。この谷川に行けば,オニヤンマやコオニヤンマを捕獲できるという記憶や,この木にはニイニイゼミが発生しているという記憶を頼りに,エサの捕獲を行っているように思われる。樹木を識別する能力よりも,あそこに行けばいい餌を捕まえられるという地形に関する学習能力を発達させた方が,生存には有利に作用するかもしれない。

図7.池に降り立ったトモエガモ。ペルーでこしらえた民族衣装をまとった感じのカモ。近澤さんお得意の木彫りのカモを泳がせていたら面白いが,実物だろう。頭部には茶色のモヒカン構造あり。平成22年11月30日。撮影場所の記載なし。撮影:近澤峰男。

 図7には,トモエガモが湖面を泳ぐ姿が写っている。トモエガモという名前は初めて聞いたが,直感的にはどこにもいそうなカモではなさそうだ。どこからやってきたのだろうか? 

 最後(図8)はダイサギの写真。池の真ん中の浅瀬で,2匹が戯れている。左側の大きい個体はくちばしを開けているので ケンカをしているのかもしれない。雌雄のペアなのかも不明。左側の個体のくちばしを見ていると,こんなのに手の甲をつつかれたら,穴が開いてしまいそうだと思う。

 ツルやサギの首は長い。首の長さは,足の長さとも深く関係しているだろう。ツルやサギの場合には,池の中にすむ小動物(主に小魚?)をくちばしで捕えて食べる。一方,足の方は水中を歩くために,抵抗の少ない構造になっている。結果として,どちらも長い脚が進化したのだろう。しかし,長い脚を持つと,水中の生物をとりにくい。そのために首も長くなったと考えてよい。一方,キリンも足と首が長い。こちらは,教科書にあるように,高いところにある葉っぱを食べるために首が長くなったとは思えない。広範囲の監視や個体同士のけんかなど,ツルやサギとは違う要因が働いている可能性がある。

図8.ダイサギ。ツルのイメージがある。なお,ハクチョウやツルの長い首の動きは,ヘビの体の動きとよく似ている感じもする。「ろくろっ首」を持つ妖怪は,ひょっとしたら,ツルやサギの首の動きをイメージして作り上げられたかもしれない。平成27年(2015)11月9日。場所不明。撮影:近澤峰男。

<参考文献>

  • Grant, P.R., and B.R. Grant. 2008.How and Why Species Multiply. Princeton University Press, Princeton.
  • 池田嘉平・稲葉明彦(編) 1971. 日本動物解剖図説. 森北出版.

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