ブッポウソウ総合情報センター・ニュース (8月15日号)

令和3年(2021)8月15日(日)

佛法僧と手紙

「佛法僧」という鳥がいることを記したのは,中国の経典(書名は不明)で,出所は中国ではなくインドではないかと推測する。弘法大師(空海)はその経典を読み,中国のお寺には「佛法僧」という鳥が来ることを,日本に紹介したのだろう。  

いま私たちが吉備中央町で見ているブッポウソウは,生物の和名(domestic name)である。カタカナ表記がなされるようになったのは太平洋戦争後,つまり1950年前後のことだろう。国際的にはリンネの考案した二命名法にのっとって,Eurystomus orientalisと記述される。Eurystomusと呼ぶ属(genus)の一種であるorientalisという種(species)という意味である。

弘法大師は,高野山のお寺の中で,ある晩「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く鳥がいることを発見した。そして,「ああ,いまブッ・ポウ・ソウと鳴いている鳥が,自分が中国の経典で見た佛法僧ではないか。」と確信した。

伝へこしとりもみのりをゝこなひの声は高野に有明の月 (秀吉公)

大師以来長年伝えてきたみのり(御法)を後夜の行い(お勤め)をしていると,仏法僧の声がどこからともなく聞こえてくる。その鳥の声と勤行をする人の声とが渾然一体となって聞こえ,我が耳に聞こえてくることよ。おりしも有明の月が虚空に美しく照り映えていた,の意であろう(下西,2014)。私はこの和歌は翻訳できないので,下西氏の解説をお借りした。

問題は,弘法大師が夜に声を聴いた鳥の名前である。

弘法大師(774‐835)が,仏教の経典の中に「佛法僧」という鳥の記述を見つけたのは,西暦800年を過ぎたあたりと推察される。今から1,200年以上前のことである。そんな前の時代に,経典にある「佛法僧」がどんな鳥を示しているか,誰も知らなかったのではないか。つまり,インドの寺院の境内に来ている変な感じの鳥がいて,それを「佛法僧」と呼んだのではなかろうか。

だから,経典を詠んだだけでは,佛法僧が今見ているブッポウソウのことをさしているのか,境内にいる別の鳥のことを言っているのかわからない。佛法僧は実際にいる鳥ではなく,「鳳凰」のような架空の鳥でもあったかもしれない。実際にいる鳥とすれば,今見ているブッポウソウの他に,コノハズクやスズメを含めて何種類か候補はあるだろう。

昭和10年(1935)6月15日。日本鳥類学会の大会で,動物学者の黑田長禮(くろだながみち)博士が、「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く鳥は,フクロウ科のコノハズクOtus scops (漢字は木葉木菟,木葉梟)であると報告した(東京朝日新聞1935年6月16日付)(盛田,2020)。

では,「ぶっぽうそう」は,いつから今見ているブッポウソウ(Eurystomus orientalis)と認知されたのだろうか。盛田(2020)には「従来信じられてきたブッポウソウ Eurystomus orientalis ではなく」とあるが,黒田博士は,夜にブッ・ポウ・ソウと鳴く鳥の正体は,コノハズクであると報告しているだけである。

日本列島に飛来するブッポウソウの個体数は少なく,動物学者の黒田博士といえども,今見ているブッポウソウの正体を知らなかった可能性は高い。昭和10年を過ぎてから,日本列島に分布する鳥類の調査が行われたのだと思う。日本各地の森林には何か見たことのない鳥がいるが,これは果たして何という鳥なのかということになり,研究の先行しているヨーロッパの文献(図鑑)をみたのではないか。その鳥は,Eurystomus orientalisと命名されていて,中国では三宝鳥(発音はSanbaoniao)と呼ばれていると書いてあった。ひょっとしたらこの鳥が弘法大師様の言う「佛法僧」ではないか。三宝の意味は「佛・法・僧」である。

和名の命名者は誰かわからないが,日本人は一般に規範意識(normative consciousness)が強すぎる傾向があり,何が正しいのかという気持ちが沸き上がるのであろう。そうすると「あれ,弘法大師様は間違っているではないか・・・」という思いがよぎる。佛法僧という鳥はコノハズクではなく,本当は三宝鳥ですよと言わんばかりに,即座にブッポウソウという和名をつけてしまった可能性がある。

私の規範意識は極めて低い。何が正しいとか正しくないとかは,状況に応じて変わることが多いと思っている。だから,ブッポウソウは,正しくは三宝鳥(仏法僧)であり,弘法大師は,それを間違えてコノハズクと呼んでしまった,などと言われると,そういう人を信じられなくなる悪い性格を持っている。だから,規範意識の高い人や体育会系の人々からは,大そう嫌われる。

規範意識の低い者から見た場合に,「佛法僧」という鳥は何を意味するだろうか。弘法大師は,鳴き声を聞いて佛法僧を知った。実際の姿は見ていない。そして1,100年後に,その姿が判明した。それは,今まで木葉木菟(木葉梟)と呼んできた鳥であった。

一方,中国でも佛法僧という鳥の正体は,長いことわからなかったと思われる。1950年を過ぎたころから,ヨーロッパの文献が入りだし,そこにはEurystomus orientalisという鳥が出ていた。これが仏教の経典にある佛法僧ではないかという推測の下に,三宝鳥と中国名をつけたのではないだろうか。なぜ「佛法僧」とつけなかったかは,他に藍胸佛法僧と棕胸佛法僧と名付けた2種類のブッポウソウがいるので,混乱を避けたのだろう。いずれにせよ,経典に記述されている佛法僧が,正しくは三宝鳥であることの証拠はないように思われる。

日本では,1935年に佛法僧はコノハズクであることが判明しているのだから,佛法僧といえば,日本ではコノハズクを意味することで解決がついているはずである。

だから今見ているブッポウソウに対しては,別な名称(百歩譲ってサンポウチョウはどうか)をつけた方がよかったと思う。要するに,サンポウチョウという鳥と,経典に出てくる佛法僧が同じである必要はない。規範意識が強いと,どうしても何が正しいのかという気持ちが先に立ってしまい,結論に至るまでの思考過程が飛ばされる。結果として,つじつまを合わせるために「声のブッポウソウと姿のブッポウソウ」みたいな曖昧な言い方をしてごまかすことになる。声のブッポウソウは,ブッ・ポウ・ソウとは鳴かず,ゲゲッと鳴くだろう。

ブッポウソウという和名が定着している以上,今更サンポウチョウという和名は提案できない。しかし,弘法大師が「佛法僧」と言った鳥はコノハズクであることは間違いない。佛法僧と漢字で書いた場合には,その鳥は今見ているブッポウソウではなく,コノハズクを意味すると考えたい。少なくとも自分はそう思いたい。

手紙という漢字は,中国ではトイレットペーパーを意味しているが,その漢字が日本に入ってきてから,いつの間にか現在の意味(letter)に変わってしまった。日本人は,トイレットペーパーに字を書いて,それを人に読んでもらうのがよほど好きだったのかもしれない。同じ漢字でも国が違えば,違う意味になる言葉は多い。佛法僧も同じように考えたらどうだろうか。つまり,佛法僧と漢字で書けば,中国ではブッポウソウ(3種類)のことを言い,日本ではコノハズクのことを言う。日本では,ブッポウソウとカタカナで表記すれば,今見ているブッポウソウ(1種類)のことを指す。

何とも偏屈な議論になってしまったが,ブッポウソウに関して弘法大師が間違った解釈をしたという言い方(少しばかり捏造(ねつぞう)の入った言い方)をされると,私としてはどうにも気に食わないのである。弘法大師のことはよく知らないが,猛烈な勉強家だったという印象は持っている。

<文献>

  • 下西忠(2014)豊臣秀吉の高野(たかの)を詠んだ和歌.それゆけ!としょかんだより.高野山大学図書館第83号.
  • 盛田真史(2020)ブッポウソウの声の主はコノハズク.博物月報 6月15日号.
  • MacKinnon, J., and K. Phillipps (2000) A Field Guide to the Birds of China. Oxford University Press.

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