サンゴ礁とサンゴ礁原プロジェクト No. 4:琉球弧における西表島の出現年代の推定

 西表島や石垣島では,サンゴ礁の景観(landscape)は,島の西側と東側では大きく異なっているように思える。違いはサンゴ礁原の面積だけでなく,潮間帯(intertidal zone)にすむ多くの動物の種類数や生息域におよんでいる。なぜ,そんな違いができたのか?それを理解するためには,琉球弧があるユーラシア大陸の周縁部の長い歴史を理解する必要がある。

 まず琉球弧の地形について説明しておきたい。

図1.琉球列島の海底地形(海洋保安庁「沖縄の海洋情報」から転写)。琉球弧の総延長距離は,1,200kmにおよぶ。ユーラシア大陸の東縁にあり,琉球弧の東側には最深7,500mに達する琉球海溝がある。


 琉球弧は,九州南部から台湾にかけて,弧状に分布する島々の総称である(図1)。琉球弧は,与論島以北の薩南諸島(鹿児島県)と,伊平屋(いへや)島以南に分布する琉球諸島(沖縄県)とに二分される。薩南諸島には,屋久島と種子島,それにトカラ列島が含まれる。琉球諸島もしくは琉球列島は,奄美諸島,沖縄諸島,尖閣諸島,宮古諸島,および八重山諸島からなる。沖縄本島より南に位置する島々(宮古諸島と八重山諸島)を,先島諸島と呼ぶ人もいる。琉球弧の総延長は,種子島から台湾まで1,200 kmに達する。

図2.岩石圏プレート(lithospheric plate)の地球表層の境界線。日本列島の形成には3つのプレート(ユーラシア・太平洋・フィリピンプレート)が関係する。琉球弧は,フィリッピン・プレート(Philippine Plate)がユーラシア・プレート(Eurasian Plate)の下に潜り込んだ反動により形成されたと思われる。(P. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biology, Figure 2.11より転載。)


図3. ユーラシア・プレートの下に潜り込むフィリッピン・プレート。フィリッピン・プレートの潜り込みの反動で海綿状に隆起した琉球弧。原著(Lallemand et al. 1999) の方には,縦軸のスケールが記載されていないが,多分kmでいいのかと思う。(Lallemand et al. (1999) から描き直す。)


 岩石圏プレート(図2)で言えば,琉球弧は南東側にあるユーラシア・プレート(Eurasian Plate)の東側の縁に存在する。ユーラシア・プレートの下には,少しずつ北西側に移動しているフィリッピン・プレート(Philippine Plate)があり,琉球弧の下に潜り込んでいる(図3)。琉球弧の起源は,ジュラ紀に遡るだろう(平 1990)。琉球弧がやっと陸上に出たのは,800万年前(中新世)の頃だろうから,その間2億年近く浅海の底にあって大陸から流出した泥や砂が堆積したのだろう。フィリッピン・プレートの活動により,海底での深さも上下に大きく変動したと思われる。


図4.西表島の地形。標高は,肌色のところが0-100m, 薄い緑が100-200m, 緑色が200-300m, 深緑が300-400m, 茶色が400m以上を示している。国土地理院地図から描き直す。


 図3を見ていただくとわかるように,ユーラシア・プレートの東側の縁では,太平洋の海底にあるフィリッピン・プレートがユーラシア・プレートの奥深くに潜り込んでいる。

 西表島は上空から見ると,平行四辺形に近い形をしている(図4)。島全体がスダジイやオキナワウラジロガシを優先種とする原生林で覆われている。原生林の中は川沿いを中心に急峻な地形になっているが,多くの山々(標高は300m~400m)の頂上付近は平たい地形になっている。このような地形のことを「準平原」と呼ぶ(神谷 2001)。西表島は,琉球列島の中で最も準平原がよく発達している。

 西表島で注目していただきたいことは,島の中だけでなく,海岸沿いに急こう配の山々があり,場所によっては断崖絶壁になっている。図4で見ると,南風見岳から崎山,網取,舟浮,内離島(ウチパナリ),白浜にかけての海岸沿いには崖がたくさんある。美田良も海岸沿いに田んぼがあるが,すぐ後ろは急斜面の崖になっている。崖は船浦から赤離(アカパナリ)の海岸や河口の周囲に見られ,高さは50メートルにも達している。一方,島の東側では,南の豊原から北東の美原にかけて,海岸沿いには比較的平坦な地形が広がっている。

図5.西表島西部の海岸の崖。島の一番西にある崎山(廃村)の干潟に行った帰りに,チャーターした船の上から撮影した。崖の上は比較的平坦だが,崖の上に出ると絶対下には降りられない(もっとも,道はないが・・・)。この場所はどうしても特定できないが,網取湾西側,サバ崎西側,舟浮半島西側の可能性がある。崖の高さは,50m以上あるだろう。(平成19年(2007)5月15日に撮影)


 図5は,西表島の西部の海岸でよくみられる断崖絶壁を示している。崖の下にはたくさんの落石が転がっているのがわかる。写真をよく見るとわかるが,海岸は砂浜になっている。崖から落ちた石や岩は,すぐ砂に埋もれてしまうだろう。このような砂浜海岸には,イシアナジャコはまず分布していない。そう思って,この海岸に立ち寄ったことはない。砂浜は崖の真下にあるので,いつ落石があるかわからず,のんびりと石や岩を見ている余裕はない。特に地震があったときにはすぐに避難しないと危ないが,津波が来たら逃げようがない。

図6.新生代の年代区分。西表島は中新世に堆積した八重山層群からなる。ただし,中新世の頃は,琉球弧はまだ海(浅海)の底だったろうから,八重山列島はまだ出現していないはずである。


 西表島の西側の海岸沿いにある崖はスケールが大きく。ヒナイ滝では50m以上に達する。この崖は,新生代・第四紀に西表島全体の隆起によって形成されたようである(神谷 2001)。

 西表島は琉球弧の一角にあり,琉球弧そのものは,ユーラシア大陸が形成された時期と同じジュラ紀(1億8,000万年前)にさかのぼる(平,1990)。西表島の原型は,琉球弧が隆起して海面に現れた時期,つまり中新世後期(1,000万年前)にできたと考えられる(図6)。

 西表島の準平原を構成する地層は,八重山層群と呼ばれる堆積層で,琉球弧がまだ海底にあった新生代・新第三紀の中新世(2,303年前~533万年前)に堆積されたと思われる(図6)。

 一方,琉球弧は800万年前にはすでに陸地化している(平, 1990)。八重山層群の堆積年代は,だいたい2,000万年前から1,000万年前にかけて堆積し,その後の地殻変動(フィリッピン・プレートの押し上げ)により,少しずつ隆起が進んだのであろう。そして第四紀の急激な地殻の上昇により,現在の西表島の地形ができあがったと考えられる。今から100万年から200万年前に,現在の姿に近づいたのではなかろうか(図7と図8)。

図7.内離島(ウチパナリ)にある崖。内離島は中央が窪んでいる。この日は快晴で,波は穏やかだった。海岸の波打ち際に見える白い横線は堤防ではなく,砂浜である。現在人は住んでいない。明治から昭和にかけて多くの人が住んでいた痕跡は跡形もなくなっている。平成19年(2007)5月14日船の上から撮影。


 以前は,白浜から舟浮を経て網取まで船(舟浮海運)があったが,現在は白浜と舟浮の間を 1日5往復しているのみである。もっとも,昔は網取まで行っても,すぐ引き返す船に乗らないとその日は帰れなかった。東海大学の臨海実験所はあったが,研究のために行くならば宿泊できるが,そうでなければ宿泊場所はない。野宿でもしたら,夜はとてつもない数のハマダラカが襲ってくる。私には,とても長くいられるようなところではないと思われた。

 それでも,2007年に網取湾に行ったときには,入り江の奥に一人だけ人が住んでいた。干潟を調べていると,犬の鳴き声が聞こえ,それから林の中から人が出てきた。犬の首輪をハチマキ代わりに頭にかけていた。年は60才ぐらいに見えたが,割と気さくな感じのじいさんだった。どんな生活をしていたのだろうか?そして今はどうなっているのだろうか?

  現在は網取や崎山には船をチャーターしないと行けない。舟浮海運の元船長さん(現船長は,息子さん)に頼めば,船を出してくれる。間違ってもカヌーで行くなど考えないようにしていただきたい。西表島は,内湾では波は穏やかだが,外洋に近くなるとうねりをともなう強い波が来る。カヌーで乗り越えることは,よほど体力がないと難しい。少しお金を払っても,舟浮海運のじいちゃんに頼む方がよい。もっとも,頼んで目的地まで行ったらそこで放置になるので,夕方帰る時刻まで人に会うことは全くない。事故にあっても救いは来ない。

図8.サバ崎にあるゴリラ岩。横から見るとゴリラの顔のように見えることからつけられた名前。サバ崎に近づくと波が荒くなる。正面に見える白い建物は,サバ崎灯台(今も現役と思われる)。波に揺れている船の上から撮影(平成19年(2007)5月17日)。5月17日は確か小雨で,海はかなり荒れ始めていた。


<文献>

  • 神谷厚昭 (2001)西表島の地形と地質―露頭の紹介を中心として―.西表島総合調査報告書―自然・ 考古・歴史・民俗・美術工芸―.沖縄県立博物館 3-20.
  • Castro, P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology (fifth edition), McGraw Hill.
  • 平 朝彦 (1990)日本列島の誕生.岩波新書.
  • Lallemand, S., C.-S. Liu, S. Dominguez, P. Schnürle, J. Malavieille, and ACT Sci. Crew (1999) Trench-parallel stretching and folding of forearc basins and lateral migration of the accretionary wedge in the southern Ryukyus: a case of strain partition caused by oblique convergence. Tectonics 18: 231-247.

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