2024年11月26日(火)
ブッポウソウの研究
昔は,好き勝手なテーマを選んで研究を行う場合には,自己責任で行うことが当然とされていたと思う。だから,指導教員は自分が全くタッチしたことのない研究に関わることなど一切考える必要はなかった。失敗すると,好き勝手なテーマを選んだ方(学生)が悪いのであって,責任は自分で取りなさいという指導でよかったと思う。どういう責任の取り方をするかは個人によって異なる。退学して別の道を選ぶ例が多いが,指導教員からもらったテーマで新しく研究を始めるということも考えられる。後者の場合には,卒業もしくは修了(学位の取得)が1~2年遅れるだろう。どちらにしてもいい人生経験になる。
好き勝手なテーマを選ぶ場合には,このテーマで研究して学位を取得するという覚悟があれば,成功の可能性は高い。悩みに悩んでいったん覚悟ができれば,新しい研究を始めてもうまく行く可能性は高いと思う。もちろん,研究の途中で基礎学力が不足していると思えば,空いた時間を使って高等学校の教科書を何度も読み返す,などということも必要になる。英文購読については,大学の授業は全然役立たない。原著論文の日本語訳をすることが目的になってしまっていて,こういうのは絵空事の図上演習と同じで,形式ばかりが優先され,実戦には役立たない。(しかしながら,このような感覚をお持ちの管理者は少なくない。)Summaryとかabstractを時間をかけずに読み,図や表のデータを理解し,論文全体の内容を把握することが大事である。(そうでないと,自分の研究と比較できないではないか・・・。)
英作文は,高校でも大学でも教えてもらえない。多くの教員は(権威者が作った?)正解のある答案でないと,怖くて受け入れられないようだ。ちょっと情けない話だが,これが現在の大学の現状である。日本人の中には,不可避的に混入する小さな過ちでも執拗に攻め立てる者がいる。そういう人たちによって大学入学試験が大きくゆがめられてしまった。
まあ,大学が頼りにならないのなら,自分で勉強をすればよい。英作文で一番大事なのは,英語での「言い回し」(typical expression in English)である。Googleで短い日本語を入力すれば,英語での言い回しを検索できるので,英作文に関しては以前よりずっと楽になった。言い回しを検索するのは,AIによる怪しげな翻訳とは全く違う。誤解無きよう・・・。英語で自由に記事が書けると周りの景色が今までとは違って見える。
また,理系の分野とは言え,英語力と並んで国語力(日本語)の向上も不可欠である。多くの日本人は,論文を書くときにまず日本語で話の中身(物語)を考えて,それから英語に変換するプロセスをたどる。論文は文章(sentence)が中心となるので,国語力がなければいい論文は作れない。生物学の分野において日本人の書いた原著論文を査読すると,IntroductionとDiscussionが全く書けていない人が多いことがわかる。そういう論文に接すると,書いた人の研究レベルがすぐにわかる。
今の学生は,他人の引いたレール(たとえば,大学入学共通テスト)の上を進んでくるために,自己責任という言葉になれていないようだ。だから,自分がうまく行かないのは指導が悪いからだと平気で公言する学生が現れる。指導教員は何もやっていないという「証拠」を集めて訴えてくれば,指導教員の方は,ただでは済まないだろう。逆に,指導の履歴を開示しても,自分の気に入らないことを言ったとかで,今度はハラスメントの方に焦点を絞って攻撃を受ける。そういう学生に対しては,どっちに転んでも研究指導は失敗の予感がする。
一方,覚悟を決めて船出をすれば,見かけ上は失敗があっても,時間が立てば良い判断だったと思えることは多い。人は誰でも失敗があると脳がパニックに陥る。そういう時に脳の中には魔物が現れて,とんでもなく悪い判断をすることがある(これは本当に怖い一瞬)。しかし,失敗することに慣れていれば,最悪の事態は回避できるような気がする。社会的に見れば悪い判断だったとしても,自分自身が目指す道が開ければ,結果的によい判断だったと言えるかもしれない。失敗して後悔の念が強いまま次の行動を起こすと,最悪の結果を招く。
私がブッポウソウの研究を始めたのは,2009年(平成21年)だったと記憶している。研究指導を任されてから,自分は何もせず,学生がやることを黙ってみている訳には行かない。自分が率先して研究を進めて行かなければ,人の研究指導はできない。(研究指導は専門家に任せろという意見は根強いが,アナジャコ類の分類では大失敗をした。)そういう面でも,全く新しい研究を始めるというのは,相当な覚悟がいる。そして,いったん研究を始めたら,何があっても途中で放棄はできない。中途半端な状態で放棄したら,一生後悔して生きることになる。覚悟を持って始めた仕事が途中で挫折すると,挫折の程度が重ければ,自身の脳にも大きな影響が及ぶ。挫折に耐えられず,脳がヘロヘロになった(良い表現が見つからない)人たちをたくさん見てきた。
ブッポウソウの研究については,ずっとトラブルの連続だったが,2015年の春に一定の研究基盤を確保することができた。さらに2016年の春からは,研究の足を引っ張る人たちからも徐々に遠ざかることができた。一方で,野鳥研究の世界はとんでもなく権威主義的であることもよくわかってきた。これから悪しき権威主義をひとつひとつ引きはがす闘いが続く。
年月(としつき)は2017年7月にさかのぼる。親に世話をしてもらえなかったブッポウソウのヒナがいた。環境省から捕獲と飼育の許可をとって,自宅に持ってきて育てた。それからもう7年経った。今では驚くほどよく人になついて,飼い犬や飼い猫と変わらない生活を送っている。今日は飛んできて耳にかじりつかれた。まだ10年ぐらいは生きそうな感じがする。
図 1.オニヤンマを食べるブッポウソウのヒナ(ぴよ吉)。2017 年(平成 29 年)7 月 16 日。
巣箱の中にはおがくずが置かれている。このころは巣箱の中に軽石を入れておく人たちがいた。卵が産まれると,親は交互に巣箱に入って卵を温める。巣箱に入った親は卵の上に体を乗せて卵を温める。また,親は頻繁に足を使って卵を移動させる。小石が入っていると,親の体重(120~150g?)や,卵の移動の際に卵が割れてしまうことがある。吉備中央町・吉川の巣箱でも卵が割れ,ヒナがふ化しなかった。近くの巣箱から産まれたばかりのヒナを一匹もらい,この巣箱の中に入れたが,まずメス親が逃げて次にオスも逃げ,ヒナにエサをやる鳥がいなくなった。巣箱内にはビデオカメラが設置してあり,親がいなくなったことはすぐにわかった。その日から私が毎日数回電柱に登り,捕まえてきたエサを与えた。ヒナは産まれてから 1 週間近く経っているが,まだ目の上は薄い皮ふで覆われている。
図 2.(左)アブラゼミを食べるぴよ吉。2017 年(平成 29 年)7 月 18 日撮影。毎日他の多く巣箱における繁殖状況も調べる必要があったので,ぴよ吉のいる巣箱には 1 日数回登るのが限度であった。なるべく大きなエサを食べさせた方がよいと思い,オニヤンマやアブラゼミを与えた。ふ化してから 1 週間近く経っているので食べてくれたが,こんなに大きく硬いエサは,ふ化後 4~5 日の間は食べられない。
(右)野鳥(ドバト)の消化系(「日本動物解剖図説」 Plate 14 から転載)。ブッポウソウの場合には,首は短く,口のすぐ後に「そ嚢」がある。そのため食べるとのどが膨れる。脊椎動物の小腸は何でこんなに長いのだろうか?
図 3.やっと目が開いて,外の景色を見ることができるようになったぴよ吉(2017 年 7 月 24 日)。ブッポウソウのヒナはふ化してから 1 週間近くは両岸の表面が薄い膜で覆われている。ふ化してから 4~5 日の間は,視覚系が未発達なのだろう。脳や視神経を含めて,目の周辺の構造が完成するのと前後して.目の上を覆っている薄い皮ふが裂けるのだろう。裂けた皮ふは目の周りで丸く固まり,上眼瞼(うえまぶた?)と下眼瞼(したまぶた?)に変化するのだろう。鳥には目を保護する瞬膜がある。上眼瞼と下眼瞼ができるときに,いっしょに瞬膜もできるのだろう。最初に目の上の薄い膜に亀裂が入るのは,亀裂の入る部分に位置している上皮細胞が,今までくっついていた他の細胞から自発的に離れるためである。細胞の数は何億になるのかわからないが,それぞれの細胞は胚(embryo)の位置に応じて自分が何に分化するかが決められている。細胞自身が遺伝子発現によって自発的に分化(differentiation)してゆくところが面白い。
図 4.2017 年 7 月 27 日のぴよ吉。頭部に羽毛が生えてきた。ニワトリの卵をゆでて,卵黄を食べさせたので,くちばしの周囲が汚れている。ちょっと脱水症状の兆候があるが,水をやりすぎるとかえってまずい。このころはヒナにどんなエサをやったらよいかわからなかったので,ゆでた卵の卵巣を口に突っ込んだり,アブラゼミ,オニヤンマ,バッタをとってきて口に突っ込んだりしていた。今考えれば,よく育ったと思う。どんなエサをやればよいのか,公共の機関では教えてもらえない。それどころか,犯罪者扱いされるのが関の山である。日本の社会は,身内には手厚い世話をするが,一見(いちげん)さんには門戸を開かないところが多い。
図 5.2017 年 7 月 27 日のぴよ吉。翼(wing)の羽(feather)が伸び始めた所。胸の羽毛(feather or plumage)はすでに青緑に色づいている。ふ化してから 2 週間もすれば,エサはよく食べるようになり,羽毛の伸長も著しく,体の表面からいっぱいフケが落ちる。体全体に「かわいらしさ」が漂う。
図 6.2017 年 8 月 2 日のぴよ吉。鳥でもヒトでも「かわいらしさ」については近い感覚を持っているのではなかろうか? 鳥の子供は,どの種類を見てもみんなかわいらしく感じられる。鳥の場合には大脳が発達しているので,かわいらしいとかあまりかわいくないとかの感覚はあるのだろう。ブッポウソウのヒナも,親が望むようなかわいらしさが発現すれば,親からより多くのエサをもらえるのかも知れない。親からかわいいと思われると,余計に世話をしてもらえる時間が増え,丈夫な個体が育つのだろうか?ヒトの社会でも,子供たちは競ってかわいらしさを演じている。かわいらしければ親に大事にされることに気づいているのだろう。しかし,ヒトの場合にはかわいらしいことで,親から過剰に甘やかされることがあるだろう。
図 7.羽毛がだいぶ色づいたぴよ吉(2017 年 8 月 4 日)。かわいらしさが増している。やっぱりかわいらしいと思うと,うんと世話をしてやりたい気持ちになる。STAP事件で自害した笹井芳樹氏は,小保方晴子さんをすごくかわいらしい人だと思ったのだろう。かわいらしいと思う気持が募ると,脳の中に魔物(小保方さんのことではない)が現れる瞬間がある。その時から正常な判断力は失われる。だから小保方さんが宇宙人みたいな原著論文を書いても,笑って見過ごしたのだろうか?小保方さんの書いた論文(実際には笹井芳樹氏が完全に書き直していると思う。)に不正が多数あることが社会で問題になった時に,はっと我に返ったのだろう。その時,さらに凶悪な魔物が現れて脳がパニックに陥った。享年 52・・・。家族は困る。世間体さえ気にしなければ,今は理研をクビになっても十分に生きられると思うが・・・。
図 8.自宅に引き取られたぴよ吉(2017 年 8 月 15 日)。ぴよ吉がふ化したのは,7 月 10 日前後だったと思う。ブッポウソウのヒナは,親からエサを与えられると,ふ化してから 23~25 日ぐらいで巣立ちする。ぴよ吉の場合は,ヒナの時に与えたエサが少なかったせいで,巣立ちまで 35 日ぐらいかかった。たびたび巣箱から顔を出して巣立ちの意思を示していたが,親から巣立ちを促すコール(ケッ・・・,ケッ・・・,ケッ・・・と周期的に鳴き続ける)がなかったので,結局一人では巣立ちすることができなかった。たとえ巣箱から出られたとしても,自分でエサは捕れないだろうから,自然の中で生きるのは無理だと判断し,自宅に持って帰った。(2017 年には偶然にも環境省から終生飼養の許可をもらっていた。)輸送に使ったカゴから出ようとしているところを写真に撮った。カゴから出たらあとは部屋の中で放し飼いにした。
図 9.ノートの上で寝ているぴよ吉(2017 年 8 月 16 日)。吉備中央町の繁殖地だと,8 月 10 日前後から秋の渡り(autumn migration)が始まる。渡りは 9 月上旬には終わるので,秋の渡りと言っても実際には真夏の渡りになる。しかし,真夏の渡りと言ってしまうと,何のことだかわからなくなる。つまり,渡りは秋に行うという先入観があるため,真夏の渡りではボルネオに帰るのではなく,どこか別の繁殖地に向かうのかと勘違いされる恐れがある。鳥(migratory birds)は渡りに先だってZugunruhe という固有の行動が発現する。渡りの時期になると,鳥たちがせわしなく動きまわる行動のことを言うが,英語でも Zugunruhe。日本語だと「ツーグンルーヘ」で良いと思う。ぴよ吉は,エサが十分でなかったせいか,Zugunruhe は顕著ではなかった。鳥は昼夜構わずよく昼寝する。瞼(まぶた)は眼の下から上がる。
図 10.石鎚山登山道に立つ近澤峰男さん。近澤さんは私と同い年と思う。おそらく 2011 年か 2012 年あたりまでボイラーの製造会社に勤めておられ,在職中から山登りをされていたのだと思う。近澤さんが石鎚山(1,982m)に登ったのは 2014 年(平成 26 年) 6 月 18 日。近澤さんの実家は兵庫県明石市にある。6 月 18 日には朝 3 時ごろ起きて,自家用車に乗り,明石海峡大橋を渡ったのだろう。淡路島から大鳴門橋を渡り,徳島県に入ってから徳島自動車道(E32)に入り,西進して四国中央市から高松自動車道(E11)に入り,おそらく伊予西条市から一般道(県道 142 号)を南下し,石鎚山登山道の駐車場をめざしたのではなかろうか? ふもとには石鎚登山口ロープウエイがあるので,きっと利用したに違いない。もし明石市を午後に出たとすれば,石鎚山温泉旅館京屋に宿泊した可能性がある。
図 11.氷ノ山の山頂(1,510m)で腰を下ろす近澤さん。平成 18 年(2006)5 月 25 日に撮影。近澤さんは令和元年(2019)の初夏にお亡くなりになった。お亡くなりになる前に兵庫県を中心に多くの山々に登られた。近澤さんにお預かりしているハードディスクの中には,野鳥の写真に加えて山の頂上で撮影された多くの写真ファイルが収められている。氷ノ山(ひょうのせん)の登山の写真は,お預かりしているファイルの中で一番早い時期に撮影されていると思う。2006 年というと,私の方は日本化学工業協会の「環境ホルモンプロジェクト」(正式な名称は忘れた)を進めるべく,日本列島の干潟を回って環境汚染物質が泥干潟に住むアナジャコ類の形態に及ぼす研究の真っ盛りであった。私が近澤さんに初めてお会いしたのは,お亡くなりになる 2 年ほど前のことだったかと思う。
図 12.御嶽山(3,067m)の頂上付近に立つ近澤さん。 平成 26 年(2014 年)7 月 23 日に撮影。大岩に囲まれて案内標識と小さな神社(?)がある。案内標識には,左から「摩利支天乗り越え」「五の池小屋 20 分 至 濁河温泉」「摩利支天山」「サイノ河原 二の池経由 至る 90 分」と書かれている。神社の戸板には「山を汚す登山者に 蛙たちも あきれかえる 空き缶・ごみ・良心は持ちかえろうね」と書かれている。文言からすると,頂上からかなり下ってきたあたりで撮影されたのだろうか? 茶色い山肌を見ると今にも硫黄の蒸気が噴き出して来そうな感じを受ける。御岳山は,近澤さんが登られてから 2 か月後の 2014 年 9 月 27 日,11 時 52 分に大噴火を起こして,多くの人たちが犠牲になった。噴石はこのあたりにも飛んできたのだろうか?噴石は直径 10 cm 以下でも,頭部を直撃すれば命を落とす。
図 13.御嶽山のライチョウ(メス)。ライチョウの生息地は,ハイマツ帯と思われる。御岳山ではハイマツは,標高 2,500m から頂上(3,067m)付近に分布していると思われる。2014 年 9 月 27 日の大噴火では,犠牲になったライチョウもいたのだろうか? 私がライチョウを見たのは,北アルプスの蝶ヶ岳(大滝山だったかもしれない)に登った時に,ハイマツ帯でみた。1971 年 7 月下旬のことである。蝶ヶ岳では頂上付近でキャンプした時,夜に激しい雷雨にあって難儀をした。
図 14.乗鞍岳(3,025m)の頂上に立つ近澤さん。2018 年 7 月 19 日撮影。乗鞍岳の頂上は,御岳山に比べてだいぶ穏やかな感じを受けるが,紫外線は半端なく強そうである。太陽に顔を向けて昼寝をすると,1 時間で顔はとんでもないやけどになる。乗鞍岳は北アルプスにあるが,私は登ったことがない。私は高い山の山頂めざしてせっせと上るのはあまり好きではない。むしろもっとハイマツ帯よりも標高の低いブナ・ミズナラ帯とか夏力樹林帯の山道を歩くのが好きである。北アルプスで言えば,島々谷林道から徳本峠(とくごうとうげ)を越えて上高地に降りる山道は,とんでもなく道のりは長いが,楽しい思い出として頭の中に残っている。島々谷林道には土場もあったし,徳本峠の付近ではショウマの花にとんでもない数のハナカミキリが集まっていた。島々谷には 1971 年 7 月下旬と 8 月中旬の 2 回行った。
図 15.乗鞍岳のライチョウ(オス)。2016 年 6 月 22 日撮影。御岳山と同じで,乗鞍岳もハイマツ帯に分布していると思う。ブナ帯まで標高が下がってしまうと,捕食者が増えて,ライチョウの生活様式では種を維持できないと思う。性格は穏やかそうだが,こんな石ころだらけの場所で,何を食べて生きているのだろうか?インターネットで調べたところ,冬には亜高山帯に自生するガンコウラン,アオノツガザクラ,コケモモの葉などを食べるようだが,これらが少ない年にはダケカンバの冬芽を食べると述べられていた。春から秋にかけては,生息地に生える植物の葉や花,昆虫も食べているようである。野鳥の食性は割と特化している感じを受けるが,与えれば何でも食べる種類が多いのではないだろうか?ブッポウソウのぴよ吉は,食パン大好きだし,クッキーやアンパンも食べる。おいしいかどうかは知らない。
図 16.産まれてから 7 年後のぴよ吉(2024 年 10 月撮影)。部屋の窓枠に乗って外を見ている。ぴよ吉は,オスではなくメスであることが判明している。幼鳥のころのかわいらしさは消えて,精悍な感じがする。柔らかいエサばかり与えるので,上側のくちばしの先が真下に伸びている。自分でうまく餌をついばむことができない。
図 17.窓枠に腰(?)を下ろしてくつろぐぴよ吉。2024 年 10 月に撮影(以下は同じ時期に撮影)。ブッポウソウは, 生態学的分類では樹洞営巣性鳥類(secondary cavity-nesting birds)に入る。元々は古い樹木の幹の「うろ」に入って産卵していた。樹洞に出入りするという習性のために,足根中足骨が他の鳥に比べて短くなったのだろう。ブッポウソウは止まり木の上で休む時に,体を足で支えるのではなく,腹部をとまり棒の上にどっかりと乗せて支える。ヒトで言えば,ちょうど腰を下ろして椅子に座るのと似ている。ブッポウソウはエサもよく食べるが,ウンチもたくさん出す。ちょうどウンチが出かかったところが写っている。ウンチが見えるとすぐさま勢いよくビュッと排泄する。鳥かごで飼うとよく便秘をするらしいが,放し飼いにすると便秘になることはない。ウンチのしつけもある程度はできるが,結構床にばら撒く。
図 18.窓枠の縁側で日向ぼっこをしているぴよ吉。ブッポウソウの尻尾(尾羽の付け根付近)には皮脂腺がある。秋から冬にかけて,皮脂腺に被る羽(feather)を持ち上げて体を激しく震わせる。胸部や腹部の表面に油の膜ができて雨を浸み込みにくくするのだろう。皮脂腺分泌行動は,野外では 5 月から 6 月にかけて雨の降る寒い日に頻繁に行われると思われる。家の中でも,秋になって部屋の温度が下がってくるとよく見られる。冬は暖房が聞いているのでほとんど見かけない。ブッポウソウが日向ぼっこをするときには,首を横にかしげて太陽光を浴びる。口も大きく開くので(この写真では閉じている),前から見るとアホみたいな顔になる。
図 19.ネコのエサを入れたお皿の隣に降り立ったぴよ吉。我が家に来てから数年間は,エサとして昆虫を与えていた。吉備中央町に行っては,コオロギ,バッタ,キリギリスなどの直翅類を採集して与えた。自然の中でブッポウソウがコオロギを食べるのは見たことはないが,エサとして与えてみて,実は大好物であることが分かった。夏の終わりに田んぼの上で群れを成して飛ぶウスバキトンボも,野外ではブッポウソウが食べるのは見たことがない。しかし,採集して与えるとよく食べる。ナツアカネやアキアカネも同様である。昆虫は秋の間にたくさん採集し,冷凍して冬には解凍して与えた。昆虫が無くなると,スーパーで買った鶏肉,エビ,鶏卵をゆで,ビタミン剤を振りかけて食べさせていた。今ではネコのエサを買ってきて,水でふやかして与えている。ブッポウソウのくちばしは,甲虫類捕かく仕様になっているので,ネコやイヌのエサは自分でついばむのが下手である。・・・なので,先の丸いピンセットでエサをつまみ,ぴよ吉に差し出すとよく食べる。ぴよ吉はお腹がすくと,カ・カ・カ・カ・・・・・と大きな「エサくれコール」を発する。幼鳥の時だけに発するエサくれコールが成鳥になっても続いている。
図 20.止まり木から飛び立つぴよ吉。ブッポウソウの人へのなつき方は半端ない。最近では眼を合わせると私の顔めがけて飛んできて,目の前でホバリングをする。頭を手で覆うと,手の甲にタッチしてから(要するに引っ掻いてから)部屋の反対側の棒にとまる。ブッポウソウ愛好家が欲している写真は,いくらでも撮れる。ただし背景は,あまりよろしくない。「ケエー・ケ・ケ・ケ・ケッ・ケッ・ケッ・ケエー・・・」と,とにかくけたたましく鳴く。犬がやたらに吠えまくっているような感じで鳴く。鳥の社会では鳴き声が重要な役割を果たしている。ブッポウソウのけたたましい鳴き声を聞くと逃げ去る小鳥が多い。ゲッ・ゲッとかグーグルグルグーというのは愛情表現。
図 21.ぴよ吉のシュワッチ。昼夜に関わらず,ぴよ吉と目を合わせるとすぐに私の顔めがけて飛んでくる。野鳥は松果体の中に,異なる光周期(photoperiod)に反応する概年時計(circannual clock)をたくさん持っていると思う。夜でも照明があれば,昼間と同じようにエサを食べるし,部屋の中も飛び回る。時々窓枠の縁側にとまって外を見ていることがあるが,私がいると部屋の内側を向いて止まり木につかまることが多い。私の方を向けば,ウンチは壁側に落ちる。音楽を流しても無表情である。野鳥は他の種の鳴き声も理解すると聞いて驚いている人たちがいるが,カラスはブッポウソウの激しい威嚇音を聞いて逃げて行くことを考えれば,シジュウカラがエナガ,コガラ,ヤマガラの鳴き声を聞き分ける(学習する)ことなど,特に驚くには値しない。
図 22. ぴよ吉との共同生活。ぴよ吉と目を合わせると,すぐに私の顔めがけて飛んでくる。・・・なので,こんな写真はいくらでも撮れる。室内で飼育していると,野外で見られる行動の意味がよくわかってくる。ぴよ吉は,イヌやネコのように愛玩動物として飼っている訳ではない。野鳥の生態を知るために,許可を取って飼育していることをご理解いただけるとありがたい。時々段ボールの箱に入って,ガサガサ動き回って紙をつついている。
図 23.Seasonal variation in reproduction and food abundance. Histograms: frequency of fledging dates in percentage of the annual maximum. Shaded areas: food in percentage of the annual maximum. (A) Great Tit and Blue Tit; caterpillar frass fall (Gibb 1950). (B) Coal Tit (Lack 1950); mg caterpillars/m2 (Gibb and Betts 1962). (C) Snow Bunting and Lapland Longspur; chironomid midges (Hussell 1972). (D) House Martin; aerial insects (Bryant 1975). (E) Rook, Cambridgeshire (Multon and Westwood 1977); foraging yield (cal/min‒1), Scotland (Feare et al. 1974). (F) Buzzard; Common Vole density (Mebs 1964). (G) Eurashian Kestrel; foraging yield (voles per hour). Dashed line: vole trapping index (D. Masman et al., unpublished data). 左図は Daan et al 1989 から転写。
図 23.いろいろな種類の野鳥における繁殖時期とエサの発生量(数)の季節変化。記事を書く目的は,英語を翻訳して市民の方々に,野鳥の研究をわかりやすく解説することではない。私の経験から言えることは,わかりやすく解説すれば,記事を読んでもらえるだろうという期待は妄想に過ぎないということ。英語を読まない方々は,自分で勉強してこなかったのだろうから,そういう人たちに理解を求めるというのは,土台無理な話である。繰り返すが,自分で努力して基礎知識を身につけてこなかった人たちに,いくら平易に解説しても,すぐに文句を言い出して感情をあらわにする。お互い,貴重な時間を無駄に使うのは避けたい。・・・なので,どうしても必要な時以外は,私の各記事では,英文は原文のまま掲載することが多いだろう。私の研究は,アマチュアの人たちや野鳥の専門家とは真逆の立ち位置にある。アマチュアの人たちは野鳥を望遠鏡で見たり,写真を撮って自然を楽しむ。生態学の専門家はもう少し進んで,まず仮説を立てる。例えば,地球温暖化は野鳥の渡りを早める。結果として,子育てが不適な時期に繁殖地に飛来する・・・,みたいな仮説。仮説を検証するために,2 つのデータ系列(例えば,繁殖場所への到着の時期と年ごとの気候変動)との相関を統計学によって判定する。こういう発想は,アマチュアの人たちの感覚から出たものだと思う。実証主義者の発想ではない。しかし,野鳥の行動は,私たちが思いつくような単純な仮説では説明できないことが多い。また,統計的検定によって仮説が検証できると言っても,仮説自体が稚拙なものならば,詭弁になる。文学の領域ならば大変面白いアプローチになるだろうが,分子生物学の分野から見れば怪しげな研究だ。私の生態学は,大多数の生態学者のやっている研究とは,真逆の立ち位置にある。しかし,権威主義的自然科学者から見たら,私の学問もまた怪しげに映るはずだ。
図 24.(左)渡りをする野鳥の生活史 (Cornelius et al. 2013, Fig. 1 を転写)。(右)ブッポウソウが渡りをする時期を決めている環境要因。
現在私がブッポウソウで進めている研究テーマのひとつ。ブッポウソウの社会には,産卵と子育てをめぐる生存競争(struggle for existence)がある。どのような環境要因が渡りの時期を決めているのか,そしてどんな生理学的過程を経て渡りが実現するかを明らかにしたい。私の研究は,野外の生物が示すいろいろな行動を詳細に観察し,行動の生態学的意義について分子生物学,内分泌学,発生学,生理学,分子系統分類学の技術を使って明らかにしようとしている。実証主義的生物学ではあるが,それを言い出すとすべての学問に実証主義が蔓延する。生態学では,統計的解析が実証的手段だという。分類形態学では模式標本を作ることが実証的という。宗教学でさえも,神様のお告げがあったので実証的学問だと主張する人も出てくるだろう。
<結論>
私は,ファーブル(昆虫の行動学)やラマルク(分類学)は大好きである。もちろん,ダーウィンの自然選択説にしても,ヘッケルの反復説にしても,面白い仮説だと思う。割と最近では,エルドリッジとグールドの提唱した区切り平衡説も,高等な体制を持つ生物がどのように進化したかをうまく説明できていると思う。理解しやすい理由は,研究の出発点に仮定を置かず,まずは観察や実験によって得られた数多くの事実(経験)を基にして,仮説を発表しているからである。仮説の確からしさは,自分自身の頭で判断できる。もちろんそこまで頑張って勉強する必要はあるが・・・。
一方で,今西錦司氏の提唱した「すみわけ理論」とか,リチャード・ドーキンスの著作である「盲目の時計師」とか「利己的遺伝子」などは,全然勉強してみたいとは思わない。生物の特性に関してどんな素晴らしい洞察があったとしても,最初に仮定を置いて物語を作ると,結局は今流行のサプリメントの効果とか,怪しげな医薬品の効果で健康になったみたいな話になる。ジークの脊髄液を飲むとジークの吠える声で巨人になってしまうみたいな,まことしやかなトンデモウソ話でさえ作ることができる。今はテレビのスイッチを入れると実に4分の3ぐらいのチャンネルでそんな番組をやっている。トンデモウソ話は娯楽としてはいいが,やみくもに信じると何とか真理教で怪しげな治療を施して逮捕されたお医者さんみたいになる。
過去にたくさんのウソ話が生物学の世界に持ち込まれて大きな社会問題になった。小保方さんのSTAPもそのひとつである。何が問題かというと,最初に置かれた仮定(assumption)を絶対正しいと信じてしまったことがすべての過ちの原点になっているように思える。遺伝子に関しては,突然変異遺伝子は実在するだろうから,その動向に関する統計学的研究を行い,種がどう変化するか,あるいは変化したかを好いていることは可能だと思う。しかし,利己的な遺伝子(肥満遺伝子はそのひとつ?)があるとか,小さな突然変異遺伝子の積み重ねでゼロから新しい器官ができるとかいう話(木村資生氏)になると,私にはやりすぎ(眉つば話)のように思えて仕方がない。
眉つば話と同じノリで言えば,私の進化論はヘッケルの反復説を越えて盗作説に分類される。盗作というと言葉が悪いが,どんな生物も祖先の形質を受け継いで,多かれ少なかれそれに改変を加えて新しい生物を創り出している。人間の社会で言う盗作そのものではないか?人間の社会では盗作は不正に当たるが,生物の社会では盗作がなければ新しい生物は生まれない。
生物学者の中には,小さいころから昆虫や動物が好きだったという人たちがいる。高等学校で生物学の研究をして学術論文までパブリッシュできる運のよい人たちもいるが,大学で将来どの道を歩むか決める人が多いと思う。ムツゴロウ氏みたいな道を歩んだ人もいるが,理学部出身者としては非常にまれなケースである。ムツゴロウさんは,麻雀の天才だったようだ。天才的麻雀師であれば,ものすごく勘が鋭く先の読める人だったと思う。そういう人があの大学の動物学教室でおとなしく生物学の研究を続ける・・・なんてことはあまり考えられない。相当な自由人だったということだろうが,そう考えると今西錦司氏もムツゴロウ氏と同じような道を歩んだと言える。大学というところは,自由に対してものすごくネガティブな力が働いている。ふたりとも,権威主義に負けずに自分の道を歩き通したことは称賛に値する。
小さいころに昆虫採集が好きだった人達の中には,大学の生物学科に入学するケースが多かったかもしれない。(少なくとも,昔は・・・。)私もそのひとりである。大学に入学後も昆虫採集を続けると,生態学(ecology)の道が待っている。・・・が,上に述べたように,生態学は基本的に文科系の学問である。随分我慢して勉強したつもりではあるが,どうしても生態学の道は歩めなかった。もしついて行ったら,私は大学紛争のリーダーみたいな存在になり,場合によったら逮捕される事態になったかもしれない。そうならなかったのは,ひとえに野生生物のおかげである。良くも悪くも虫の知らせで自分の人生が導かれてきた。
私の場合には,研究対象がずっと野生生物だった。ただし,研究分野は発生学,系統学,生理学,分子生物学が含まれるだろう。こういう道を歩んできた人は,昔は割といたが,今は非常に少なくなっている。
撮影と執筆の基本情報
<撮影> ぴよ吉の写真は私が撮影,登山の写真は近澤さんがおひとりで撮影された。
<撮影機材> ぴよ吉は,Canon EOS 7D に Tamron のレンズ(28‒300mm, F/3.5‒6.3 Di VC PZD)をつけて撮影された。山の写真は,近澤さんがどんなカメラをお使いになって撮影されたか不明。
<記事の執筆> 三枝誠行(NPO 法人 生物多様性研究・教育プロジェクト理事)。
<参考文献>
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