生物多様性研究・教育プロジェクト Research Reports Ⅰ. サンゴ礁とサンゴ礁原 2024‒No. 4: 鳩間島の住居跡

2024年9月19日(木)

鳩間島へ
 平成6年(2024)は,6月21日から6月30日まで西表島にある琉球大学熱帯生物圏研究センター・西表研究施設(略して琉大熱研)に滞在して,海岸(潮間帯)や河口のマングローブ干潟でアナジャコ類(Gebiidae: Decapoda)の採集を行った。アナジャコ類の採集は,大潮(spring tide)の干潮時を中心に行われる。太平洋岸では,大潮の干潮時は13時前後から16時ごろになる。6月は21日から25日まではよく潮が引いたが,26日からは干潮は夕方5時過ぎになり,しかもあまり引かなくなる(潮位の目安はだいたい40 cm)。大潮を過ぎると午前中の潮も引かなくなるので,小潮(neap tide)の前後は,陸上の生物の写真撮影をして過ごすことが多い。移動日(7月1日)もいつも小潮のころになる。

 鳩間島は,西表島の上原港から海上の距離にして7~8 kmのところにある。船浦から見ると目の前にあるので,カヌーでもいけそうな気もするが,八重山諸島周辺の潮の流れは早く,またうねり(strong wave-motion)も高いので,体力にものすごい自信のある人でない限り,鳩間島にたどり着ける可能性はゼロである。

 いまは上原港から鳩間島にわたるのは非常に便利になっている。9時半ごろだったか,鳩間島に向かう八重山観光と安栄観光の高速船が出ている。週に1~2回だったと思うが,「平成かりゆし丸」の鳩間行きの便がある。また,夕方には石垣港発,鳩間島経由で上原港に来る高速船もある。興味のある方は時刻表をご覧になっていただきたいが,朝に上原港を出て鳩間島に行き,その日にまた上原港に戻ってくることができる。

 鳩間島は上原港からこんなに近い距離にありながら,実は今まで一度も訪れたことはなかった。島の地形と大きさからして河川はないだろうから,当然泥干潟はないだろう。泥干潟がなければ,アナジャコ類は生息不可能である。一方で,鳩間島はサンゴ礁原が隆起してできた島である。島にはどんな種類の地層があるのか?また,島の植生(vegetation)は航空写真ではわかりにくい。さらに,鳩間島はヤシガニの島としても有名だ。ヤシガニがどんな環境を好んで生活しているかも知りたい。・・・ということで,西表島から引き上げる直前の6月30日に鳩間島に行ってみた。

図1.鳩間航路。高速船だと上原から鳩間港まで20分。鳩間島は,スケールの大きなサンゴ礁に囲まれている。最近は,スキューバ・ダイビングやシュノーケリングに来る人が多い。私は,八重山諸島の海で泳ぐことはまずない。海岸に出る時には,長袖のシャツ,短パン,長靴を着用し,右手にはスコップとベイトポンプ,左手にはノミとトンカチを入れたポリバケツを持って行く。カメラ(RICOH WG-50)と水の入ったペットボトル(飲料水と手洗い用の水)は,リュックサックに入れて持って行く。強烈に暑い干潟の石の上に置いた飲料水は上手くないが,ないと困る。Google Earthから転載。

図2.鳩間島の散策。午前中は島の西側を回り,午後には東側を回った。集落の中は道が舗装されていたが,集落を出ると雑草に覆われ,埃の舞う小道が続いていた。午前中は,海水浴に来た人たちに会った。午後は誰にも会うことはなく,カンカン照りの中を1時間ばかり歩いた。鳩間島には小川が全くない。電気は,発電が石垣島で,西表島を経由して鳩間島に送られる。水道は西表島から送られる。鳩間島はよく発達したサンゴ礁原に囲まれており,訪れる観光客が増加している。Google Earthから転載。

図3.高速船のデッキから見る西表島の北側斜面。西表層最上部は,新生代の中期中新世初期(14.91 Ma~13.53 Ma)の堆積物で構成されている。琉球弧は,ユーラシア大陸プレートの東端とフィリッピン海プレートの西端の境にある。フィリッピン海プレートが大陸プレートの下に潜り込む反動で,大陸プレートの東端が隆起して,屋久島から台湾に弧状に連なる島々が形成されたのだろう。西表島の場合には隆起と相前後して,海岸に露出した地層(砂岩や泥岩)はがけ崩れによって削られ,図3に示すような急峻な地形になったと考えられる。現在も西表島は,北西の方向に向かって少しずつ海中に沈んでいる。西表島北部の山々の全形は,道路からではよくわからない。鳩間島行きの船に乗れば,概観がよくわかるのではないかと思った。

図4.海中に立てられたポールにとまるユリカモメ(?)のペア。八重山諸島の海は,サンゴ礁に囲まれていることもあって,水深は浅い。過去にはサンゴ礁の縁で座礁した船舶もあった。現在は,島々と石垣港の間を多数の船舶が往復しており,サンゴ礁の浅瀬には,船の航路標識として数多くのポールが立てられている。この場所(図4)だと,水深は5メートルもないぐらいだろう。島の近くにはよくアジサシが飛んでいる。このポールにはウミネコのペアがとまっていた。後ろに見えるのは西表島。住吉のあたりが写っている。住吉付近の地層は琉球石灰岩(要するにサンゴ礁原が隆起してできた地層)で,表面には赤土(赤黄色土)の薄い層が乗っている。リュウキュウマツ,ギンネム,モクマオウ,アコウ,フクギはこんな環境でよく育つ。

図5.桟橋から見た鳩間島の集落。鳩間島の人口は50人ほど。老人もいるが,シュノーケリングやスキューバ・ダイビングの指導をしている若い人たちが目についた。暑いせいもあるが,道を歩いている人は少なかった。

図6.鳩間島のカツオ漁。「竹富町史だより」(第1号)から転載。八重山諸島の周辺には好漁場が多く,鳩間島では明治の時代からカツオ漁が行われたようである。太平洋戦争前は3~4隻,戦後の最盛期には7~8隻がカツオ漁に従事していたとあるので,カツオ漁がおこなわれていた時期には,鳩間島の人口は優に100人を越えていたと思われる。尖閣諸島に進出して漁を行った人たちもいた。現在尖閣諸島を強く守れるのも,琉球列島のカツオ漁があったおかげであると言える。所有権を主張する「大義」ができた。一方で,次第にカツオ漁が下火になると,鳩間島の人口は徐々に減少していっただろう。人口減少は西表島でも起きた。太平洋戦争中は炭鉱(石炭)でにぎわったが,戦争が終わると多くの人たちが一気に島を離れた。鳩間島や西表島に出稼ぎに来て,マラリアにかかって亡くなった人は大勢いる。
 少し前までは,鳩間島に行くのは結構大変だったかもしれないが,今は石垣港直通の高速船や上原経由の高速船が毎日複数回運航している。週に1~2度「かりゆし平成丸」(カーフェリー)も通っている。最近は,スキューバ・ダイビングやシュノーケリングの客をサンゴ礁に案内する小舟も増加している。50年前に比べて人口は少し増加しているのだろうが,集落内に残った住居跡の数からみると,カツオ漁が盛んだったころの人口にはとても及ばないことがわかる。

図7(上),図8(左下)と図9(右下)。鳩間島の集落内の小道と住居跡。小道の両側には琉球石灰岩の塊を積んで敷地の境とした。住居を作るのと同時に植えたフクギやガジュマルは,人家が無くなってから伐採されずに大きく成長している。アコウやハスノハギリは,住居が廃墟になってから種が庭に飛んできて成長したのだろう。
 ヤシガニは,ベンケイガニのように土手に巣穴を作る習性はない。鳩間島に来る前は,ヤシガニは道の両側の琉球石灰岩の塀の中に潜り込んでいるのかと思った。しかし,実際に島に来てみると石垣にはヤシガニが入り込むスペースはないことがわかった。
 では,廃墟となった住宅の敷地にできた草むらに隠れているかというと,そんな気配も全く感じられなかった。集落の中ではヤシガニは一匹も見かけなかった。また,道の周囲にはオカヤドカリがいるかと思ったが,全然見当たらず,ただひたすら暑いだけの小道であった。

図10.竹富町立鳩間小中学校。学年別の児童数は,2024年度は小学校の方は1~3年生が0名,4~6年生が各1名,中学校の方は2年生1名,3年生3名,計7名が学んでいる。教職員は,小学校が教員2名,事務職員1名(2023年),中学校の方は教員4名,事務職員0名(2024年)が配置されている。小学校,中学校とも児童の入れ替わり(転校)がかなりあるようだ。親の都合で1年だけ鳩間小中学校で学び,次の年には別の学校に転校する場合もあるだろうし,平成30年度から始まった鳩間島留学制度を利用して鳩間島に来ている生徒もいるのだろう。

図11.集落のはずれにある物見台跡。右の碑文には「物見台復元之碑,昭和三十八年六月三十日〇」と刻まれている。〇は草に隠れて判読不能。
 集落を出ると草茫々の空き地が多くなる。集落のはずれに物見台跡があった。この場所が島で最も高いのだろう(標高29 m)。遠くを外国船などが航行していると,何らかの方法で西表島を経由して石垣島に通報していたのだろう。物見台は,太平洋戦争中だけでなく,何百年も前から使われていたと思われる。物見台に上がって遠くを見るのは,村人たちが毎日交代で行っていたのだろうか?私はそういう任務には耐えられないので(すぐさぼる癖がある),鳩間島に生まれたらすぐに村八分になったに違いない。西表島に逃げても,石垣島に逃げても居所はなかったと思う。沖縄本島にたどり着いて細々と生きられる場所が見つかった,などと言うことが現実にあったかもしれない。自分のできる職業は,教員ぐらいしかない。しかし,一度村八分になれば,教員になって戻ってきても村の人たちが態度を変えるなどまずないだろう。
 もう何十年も前のことになるが,西表島の網取(1971年ごろ廃村)にある東海大学の施設で技官として働いていた若い人(網取集落の出身だろう)がいた。しばらく網取にいたが,博多かどこかに移住したと聞いた。舟浮か白浜に居を構えることもできたと思うが,都会に住む方を選んだようだ。どんな職業に就きたいかにもよるが,故郷にこだわる者もいれば,あっさりと放棄する者もいる。私は後者の方である。故郷(伊豆)には未練はない。

図12.鳩間小中学校の脇にある海岸沿いの小道。モモタマナは海岸沿いの防風林として植えられている。葉からは昆虫を誘引する活性物質が出るらしく,ハエや小さなガ(蛾)がたかっている。もうずっと前のことになるが,グアム大学の臨海実験所に滞在して海産動物の研究をしたことがある。臨海実験所の近くの海岸で,モモタマナの葉の汁を吸いに大量のマルバネルリマダラが集結していた。道の左側に咲いている花の名前は知らないが,近縁種は岡山ではジュンテンドーとかダイキで売られているのではないだろうか?

<調査,写真撮影,原稿執筆の基本情報>
・調査者:三枝誠行(生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。
・調査場所と調査日時:2024年6月30日,鳩間島。
・撮影者と原稿の執筆:三枝誠行        
・編集:生物多様性研究・教育プロジェクト。

<参考文献>

  • Burggren, W.W., and B.R. McMahon (1988) Biology of the Land Crabs. Cambridge University press, Cambridge.
  • Castro, P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology. Fifth Edition. McGraw Hill, Boston.
  • 神谷厚昭(2001)西表島の地形と地質‒露頭の紹介を中心として。西表島総合調査報告書‒自然・考古・歴史・民俗・美術工芸。 沖縄県立博物館。(https://gbank.gsj.jp/ld/resource/geolis/200211804)
  • 木村政昭(1996)琉球弧の第四紀古地理。地学雑誌105: 259-285.
  • 小竹信宏・亀尾浩司・奈良正和(2013)沖縄県西表島の中部中新統西表層最上部の地質年代と堆積環境。地質学雑誌119: 701–713. doi: 10.5575/geosoc.2013.0051.
  • Lourens, L., F. Hilgen, N.J. Shackleton, J, Lasker, and D. Wilson, D. (2004) The Neogene Period., F.M. Gradstein, J.G. Ogg, and A.G. Smith eds., A Geologic Time Scale 2004, pp. 409–440, Cambridge University Press, Cambridge.
  • 小野幹雄(1994)孤島の生物たち‒ガラパゴスと小笠原。岩波新書。
  • 竹富町教育委員会・社会文化課(編)(1992) 竹富町史だより,第1号:8‒10.
  • Whittaker, R.J. (1998) Island Biogeography. Ecology, Evolution, and Conservation. Oxford University Press, Oxford.

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