生物多様性研究・教育プロジェクト Research Reports VI. 比較系統学と進化 (Comparative Phylogenetics and Evolution) 2024‒No. 5: 塩屋湾の泥干潟

2024年8月19日(月)

1.はじめに
<泥干潟の悪いイメージ>
 陸地の風化で生じた泥(mud)や砂(sand)は,河川によって海に運ばれる。河口域は,一般に平たんな地形になることが多く,また海洋における潮(tide)の干満の影響を受けて,河川水や海水が淀む(stagnate)場所がある。泥や砂は,そのような場所に堆積する。また,泥や砂の堆積は,入り組んだ地形が作り上げる内湾(inlet)でも見られる。

 泥と砂は,粒径によって区分される。泥は,粒度の大きさによって2つの種類に区別される。粒径が4 µm以下はシルト,粒径4–62 µmはクレイ(粘土)と呼ばれる。粒径が62 µmから2 mmの範囲は砂,2 mm以上になると砂利(gravel)という。がけ崩れで住宅を倒壊させる土砂には,泥,砂,砂利に加えて大量の石や岩が含まれるだろう。

 泥は軽いので水中に浮遊し,泥水(muddy water)となる。河川水に含まれた泥は,川の流れや潮の流れが停滞する河口域(estuary)や内湾(inlet)の浜に堆積する。河口域や海岸の水位は,潮の干満の影響を受け,干潮時には干潟(tidal flat)が出現する。河口域や平坦な海岸では,泥が堆積しているので,潮が引くと「泥干潟」が出現する。瀬戸内海の笠岡湾や九州の有明海では,広大な範囲に大量の泥が堆積して,それこそヘドロの海と化している。ヘドロ(sludge)の堆積は地球上のいたるところで起きていて,海洋の中で重要な環境である潮間帯(intertidal zone)や浅潮下帯(shallow subtidal zone)の生物相を破壊している。どこの国でも潮間帯や浅潮下帯の環境保全は2の次,3の次とされて,(人間のための)環境保全と称して海岸の埋め立て工事が盛んに行われている。

 ヘドロというと聞こえは悪い。しかし軟泥層(soft sediment layer)というと,いかにも行政に忖度している印象を受ける。ヘドロは,実は田んぼの泥と全く同じである。つまり,粒径の小さい土壌は植物(海ではアマモや藻類)の生育に役立つだろう。・・・なのに,何でヘドロは多くの海産生物にとって有害なのかをよく理解しておかないと,環境保全や環境改善の努力が台無しになる。

図 1.瀬底島から塩屋湾(国頭村大宜見村)に至る道のり。瀬底島には琉球大学熱帯生物圏研究センター・瀬底研究施設があり,沖縄本島における採集の時にはいつもここに泊る。本部半島に行くには瀬底大橋を渡る。本部町からは県道 84 号線に入り,伊豆味から半島の北側の海岸にある県道 505 号に出る(瀬底から 30分ぐらい)。海岸沿いを東に行くと,10 分もすれば国道 58 号との交差点(真喜屋)に出る。国道 58 号を島伝いに 15 分も走れば塩屋湾に着く。沖縄本島は海岸の傾斜がやや強いらしく,多くの河川ではよく河口閉塞が起きる。河口閉塞の起きる河川にはアナジャコは生息しない。

 この疑問についてはすでに書いているが,もう一度要約しておきたい。役立つ面の方は,泥の粒径と密接に関係している。つまり粒径の細かいシルトやクレイは,粒径の大きい砂に比べて有機物の保有量が高いことがよく知られている。砂や砂利になると,表面に有機物を結合させる化学的な「力」が弱まるのだろう。だから植物を育てるのには,砂や砂利でなく土(水に溶かせば泥になる)が使われる。

 では,デメリットは何か?これは,シルトやクレイという粒径の著しく細かい泥は,堆積して層を作る場合には,底質の中で水の透過性が著しく低下することにある。泥の中には有機物が多く含まれている。最初は好気性の細菌によって無機物に分解されるが,水の流れが止まれば酸素不足になる。有機物の分解は,好気性細菌に代わって嫌気性細菌が担うことになる。嫌気性細菌による分解により硫化物が生成されると,底質(泥)の層は悪臭を発するようになる。土壌の色も正常な状態では茶色や黄土色をしているが,硫化物ができると黒くなる。嫌気性細菌の中には,病原性の細菌も含まれている。自然災害の後は感染症に注意しろと言われるのは,このような事情のためである。

 笠岡湾では,ヘドロの厚さが3 メートルに達する場所がある。桟橋からダイブしたら,ヌタヌタ層にズブッとはまる。太ももまではまると,一人では抜け出せなくなる。本当に命の危険があると思う。さらにヌタヌタ層の中では病原性の細菌が繁殖しているかもしれない。こんなところでは子供たちを遊ばせるわけにはいかない。地球環境がこんなに変ってしまったのは,新生代第四紀どころか,つい最近(この100年間)のことではないだろうか?

<ヘドロの海に適応した生物>
 かつての笠岡湾(岡山県)は,潮が引くと広範囲に干潟が出現し,干潟の上には多数のカブトガニが群れを成して産卵にやってきた。干潟から浅潮下帯にかけてはタイラギ(二枚貝)やガザミ(十脚甲殻類)がたくさん捕れたし,シャコ(口脚目)など二束三文の価値しかない甲殻類であった。このような自然豊かな干潟は,干拓事業でほとんど失われてしまった。干拓事業の影響を一番強く受けたのはカブトガニである。笠岡湾では完全に全滅状態で,保護活動にもかかわらず個体数が増加しているという話は聞かない。細々と残った生息地には大量のヘドロが堆積し,海水に浮遊した高濃度の泥粒子が,カブトガニの鰓に詰まるのではなかろうか?タイラギは養殖をやっていないので,ほとんど見られなくなってしまったが,ガザミは毎年2令か3令の稚ガニを瀬戸内海に放流しているので,個体数は維持されている。シャコはヘドロの影響か,漁獲量が減少したままである。

 笠岡湾は,干拓事業の前から富栄養化が進んでいた。カブトガニ,タイラギ,シャコは,干拓事業がなくても個体数は減少の一途をたどったと思う。その理由は,これらの生物は海洋に浮遊する高濃度のシルトやクレイの粒子をうまく処理できないからと思われる。ガザミは,泥粒子の濃度が高くなれば)水質の良いところに避難できるが,他の生物は水環境が悪化しても逃げることができない。結局個体数は激減し,絶滅に陥る種類も出てくるだろう。カキ(二枚貝)は岩に付着する種類とか筏に吊るされる場合には,富栄養化が進んだ内湾では大きく成長する。

図 2.塩屋湾とヨコヤアナジャコの採集場所(国頭村大宜見村)。
海岸沿いにある国道 58 号線を走ると,宮城島に入る。宮城島は塩屋湾の中にある。湾の南側には県道 9 号,湾の北側には県道 331 号がある。ヨコヤアナジャコの採集場所は,湾を 2 km ほど奥に入ったところにある。この場所(採集場所)は以前に何度も来たことがあるが,アナジャコやスナモグリを採集した記録はない。
 塩屋湾には 2008 年にも来た。その時には橋の上流のマングローブでハサミシャコエビとチワラスボ(硬骨魚)を採集した記憶がある。2008 年には 331 号を行ったので,川の南側にできる泥干潟には気づかなかった。
 県道 331 号を真っ直ぐ行けば,東側の海岸(平良)に出るが,9 号の方はカーナビがないと,山の中で道に迷ってしまいそうだ。
 国道 58 号沿いでは,塩屋の次の集落は大兼久,その次は喜如嘉。喜如嘉と饒波には昔(50 年前)に行ったことがあるが,どこを歩いたか全く覚えていない。そのころはまだバス道路は舗装されていなかったと思う。今はレンタカーでどこにでも行けるので,干潟の動物の採集は昔に比べて格段に楽になった。

 ノリの養殖事業も海洋(内湾)の富栄養化(eutrophication)を歓迎している。ノリ(褐藻類)は若芽を筏につるして育てられる。日差しが届かないほど水質が悪化すれば別だが,富栄養化が進んだ湾では品質の良いノリができるようである。逆にアマモ(被子植物)は海底に固着して成長するため,ヘドロの堆積は死活問題になる。

 堆積したヘドロの層には,海水が浸透しない。層の中は無酸素状態になる。ヘドロ層の中では,酸素呼吸をする生物は生きられない。酸素呼吸をする生物が生きるには,堆積した層から自身の体を遊離させるか(泳ぐ?歩く?),ヘドロの層に外から穴をあけ,外から水を流入させる(循環させる)しかないであろう。後者の道を開発したのが,アナジャコ(Gebiidae)やスナモグリ(Callianassidae)の仲間である。スナモグリは中生代のジュラ紀に,アナジャコは新生代第四紀に入ってから,サンゴ礁原に住んでいたそれぞれ別の種類のアナエビ類(Axiidae)から進化したと思われる。

図 3.オスのヤハズアナエビ(Axius acanthus)。
頭胸部背面のマークは upo(ひょうたん)ではなく,水枕のような形をしている。アナジャコ類の頭胸部背面の形態(構造)は,ヤハズアナエビとよく似ていて,アナエビ類の一種から進化したことがわかる。アナエビ類の鋏脚(かんきゃく)は左右で大きさが異なる。左右性発現の機構は,ロブスター(Homarus americanus)と同じメカニズムで発現しているだろう。糸満市名城ビーチで採集(2024 年 7 月 5 日)。なお,ヤハズアナエビは泥干潟の湾(塩屋湾)にはいない。

<水増し仮説>
 アナジャコやスナモグリは,ヘドロの層に穴を開け,外の海水を穴の中で循環させてエラ呼吸をする。食物は水中を浮遊するシルトやクレイである。海中に浮遊する泥の微粒子を,歩脚や顎脚に生えた多数の毛(setae)を使って濾しとり,口に運ぶ。

 生態学者の中には,アナジャコやスナモグリがヘドロを食べて,水をきれいにしてくれると信じている者が多いようだ。アナジャコやスナモグリは,泥を消化している訳ではない。また,泥の粒子にアグリゲイトされている有機物を摂食したところで,排泄されるウンチは有機物なので,有機物の総量は減らない。

 ヘドロに穴を開けて外の水を循環させれば,巣穴の表面には酸素が行き渡るため,好気性細菌が有機物を分解することができる。しかし,これらの動物が作る巣穴の容積は,堆積したヘドロの量に比べれば比較にならないほど小さい。しかも,分解されて生じた無機物はすぐさま植物プランクトンによって消費され,元の量と同じか,それ以上の量の有機物(環境汚染物質)が再び水中を浮遊する結果になる。水草と同様に,アナジャコやスナモグリの個体数が増えたところで,水環境の改善にはつながらない。

 生態学者であっても分子生物学者であっても,環境汚染という単語(word)は,基礎知識としてよくご存じのはずである。しかしながら,環境汚染に対する対応の仕方となると,両者では大きな違いがみられる。分子生物学者は,環境汚染を汚染物質の特定という視点から研究を進める。ヘドロの堆積に関しては,水中の微粒子の粒径とアグリゲイトする有機物の量との関係,環境汚染物質が胚発生や個体の成長に与える影響について,実験的手段を用いて解析する。一方,生態学者は,環境汚染を説明する概念(concept)として,湾の富栄養化やヘドロの堆積という要因を仮定する。分子生物学者と違うのは,持ち出した概念の重要性について研究者間でのコンセンサスがない点である。それぞれ少しずつ違った概念(キャッチコピー)を用いて環境汚染を説明する訳だから,お話は人によっては大げさなものになる。例えば,ハブを駆除するためにはマングースを導入すればよいとか,水草の増殖が池の水質改善に大きく寄与するとか,地球の温暖化で渡りの時期にミスマッチが起きるとか・・・。私はそういうのを「水増し仮説」と呼んでいる。

 ダーウィンの自然選択説は,生存競争という概念を使って生物の進化を説明した。ダーウィンは,数多くの実験的な証拠をもとに自然選択説を導いた。だから,自然選択説は水増し仮説とは言えないだろう。注意すべきは,現代の多くの生態学研究に見られるように,「統計的検定によって仮説は正しいことが証明された」というペテンに引っかからないことである。ラマルクの提唱した用・不用説(use and disuse theory)は大幅な水増し仮説ではあるが,ラマルクの生きていた時代(進化学の夜明け前)を考えると,用・不用や獲得形質の遺伝は先進的な概念であった,と私には思える。

 結局,生態学的現象の説明がどれだけ本質をついているかは,持ち出す概念の「品質」にかかっていると言える。品質の良し悪しをどれだけ正確に見分けられるかで,人間社会の将来は大きく違ってくるはずだ。

図 4.巣穴から身を乗り出しているヤハズアナエビ(Axius acanthus)。
アナエビ類の巣穴は,アナジャコやスナモグリの巣穴と異なる。アナエビ類では,自分で独自の巣穴を作るという感じではなく,サンゴ塊の隙間に体を隠すという祖先(アカザエビの仲間)の習性を引き継いでいる。一方,アナジャコやスナモグリは,泥(ウンチ)で表面をコーティングした巣穴を自分自身で作る。糸満市名城ビーチで採集(2024 年 7 月 5 日)。

<一時の流行を作る水増し仮説>
 水増し仮説は,基礎に置く仮定にインチキが含まれているので,よく考えれば夢物語であることがわかる。しかし,人は新しい概念とか,新しい可能性を提示されるとすぐに飛びつく。テレビでサプリやダイエットの広告が流されると,すぐに商品を購入する人たちがいる。人という生物は,精神的状況が悪化すると,目の前にぶら下がった救済の道に飛びつく習性がある。生物には,外界から特定の刺激が与えられると,特定の行動が発現する性質(条件反射)がある。例えば,おなかが減ったときに目の前においしそうな食べ物があれば,買って食べたい衝動に駆られる人は多いだろう。空腹の程度が強ければ,衝動も強くなり,中には発狂する人さえ現れる。

 水増し仮説は,人の心を強く惑わせる魔力を秘めている。魔力の原因は,生物の持つ条件反射(conditioned reflex)という性質にあるのだと思う。不便の種類は,時代によって変化する。時代を先取りした水増し仮説は,社会に急速に拡散し,流行を作る。社会が不安定になるほど,過激な水増し仮説が歓迎される。水増し仮説は度が過ぎるとオカルトに変身する。社会がオカルトにとりつかれて,行く先を間違えた事例は枚挙に事欠かない。太平洋戦争もその一つではないか?

 文系・理系に関わらず,まるで鬼の首を取ったように水増し仮説を主張する科学者は多い。(当然のごとく,彼らは絶対に水増しとは言わないだろうが・・・)大学紛争のリーダーなどもまさにそんな人たちだったと思う。今考えれば,実に幼稚な水増し仮説を社会に向けて発信していた。しかし,次元の低い水増し仮説でも,時代によっては社会に大きな影響を与えうる。社会が不安定な時には,つまらない主張でも人々は素晴らしい啓示であると錯覚する時がある。その錯覚に憑(つ)かれたとき,社会は大きく動く。その動きが良い方向に向けば新しい社会を作ることができるが,悪い方向に向けば社会はさらに混乱する。

 自然科学における流行も,もとを正せば水増し仮説を主張する科学者が作ったのでないだろうか? ダーウィンの自然選択説にしても,ヘッケルの提唱した反復説にしても,フィッシャーやホールデンの起こした集団遺伝学にしても,もとは水増し仮説が時間をかけて社会に定着したのであろう。最盛期を迎えている流行りの分子生物学にしても,はやる前は水増し仮説だったと思う。

 カルト性の強い水増し仮説の提唱者は,自分たちの考えを強く主張するあまり,自分に批判的な競合者を激しく排斥する傾向がある。キュビエ(生物進化を一切否定し,ラマルクを犯罪者扱いして排斥した)などは良い例である。

 水増し仮説は,論文の出版にも影響する。水増し仮説を強く主張する人々の研究には,初めからバイアスがかかっている。研究にバイアスがかかれば,論文の審査にもバイアスがかかる。自分たちの主張の正当性を社会に反映させるべく,review systemを利用して自分たちの主張に合致する論文のみをアクセプトする。その意味ではジャーナルのimpact factorは高かったとしても,内実はpredatory journal と変わらないケースもあるだろう。どっかの国立大学の図書館(複数)から出されているアジビラ的な文書に騙されることなく,何が本当にpredatoryかをよく考えてみたい。

図 5.那覇港における潮位(tide height)の変動。(気象庁「潮汐・海面水位のデータ,潮汐表」から転写。)アナジャコは,干潮時に出現する泥干潟に生息する。採集は大潮の干潮時(11 時から 16 時ごろ)に行われることが多い。なお,干潮と満潮の時刻は毎日約 50 分ずつ遅れる(周期は 12.4 時間)。

2.潮の状態,撮影,原稿執筆に関する基本情報
<撮影> 三枝誠行(NPO 法人 生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。
<撮影場所> 沖縄県国頭村大宜見村・塩屋湾。
<撮影日時> 2024 年 7 月 7 日(日)と 8 日(月)。
<潮の状態> 大潮(spring tide)の干潮時(low tide)。潮位は,潮が一番引いた時(昼過ぎ)で 15cm から 20cm。
<撮影機材> EOS 7D(風景)と RICOH WG-50(接写)。
<原稿の執筆> 三枝誠行・増成伸文(NPO 法人 生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。

3.参考文献

・Castro, P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology. Fifth Edition. McGraw Hill, Higher Education. Boston.
・藤本 潔・三浦正史・春山成子(2015)西表島仲間川低地におけるマングローブ林の立地形成過程と地盤運動。Mangrove Science 9: 3‒15.
・ Futuyma, D.J. (1998) Evolutionary Biology. Third Edition. Sinauer Associates, Inc. Massachusetts.
・ 池田嘉平・稲葉明彦(編)1971. 日本動物解剖図説。森北出版。
平明彦(1990)日本列島の誕生。岩波新書。
・石田壽老(1948)孵化酵素。北隆館。
・Kikunaga, R., K. Song, S. Chiyonobu, K. Fujita, R. Shinjo, and K. Okino (2021) Shimajiri Group equivalent sedimentary rocks dredged from sea knolls off Kume Island, central Ryukyus: implications for timing and mode of rifting of the middle Okinawa Trough back-arc basin. Island Arc 30, e12425. (https://doi.org/10.1111/jar.12425)
・木村政昭(1996)琉球弧の第四紀古地理。地学雑誌 105: 259–285.
・木村資生(1988)生物進化を考える。岩波新書。
・Nybakken, J.W. (2001) Marine Biology. An Ecological Approach. Fifth Edition. Benjamin Cummings, San Francisco, CA.
・新城竜一(2014)琉球弧の地質と岩石:沖縄島を例として。土木学会論文集 A2(応用力学), Vol. 70, No. 2(応用力学論文集 Vol. 17), I_3-I_11。
・氏家宏(1998)陸協と黒潮変動:沖縄トラフからの発信。第四紀研究 37: 243–249.

図 6.上空から見た塩屋湾(2024 年 7 月 12 日撮影)。沖縄本島からの帰りは,那覇空港 18:30 発の岡山空港行き(JAL)に乗った。飛行機は那覇空港から南に向けて飛び立ち,左に U ターンして沖縄本島の上空を飛んだ。進行方向左側の窓側席から塩屋湾がきれいに見えた。時刻は 19 時前後。

図 7.塩屋湾の泥干潟(2024 年 7 月 7 日)。7 月 7 日は大潮(spring tide)に当たり,干潮は 14:18,潮位は 15cm。採集場所な湾の奥なので,潮の干満は,海岸に比べて 30 分から 1 時間近く遅れると思う。写真は,潮が引き始め,川岸近くの泥干潟が現れたところ。12 時半ごろではないかと思う。干潟にはアナジャコの巣穴がたくさん見られた。川岸の付近は堆積している泥が少なく,楽に歩くことができる。もう少し潮が引くと,川の中央付近に干出する干潟は泥が厚くなり,歩くときに泥に足を取られる。石垣島の宮良川河口では,長靴が抜けなくなるほど川底はぬかるんでいたが,塩屋湾はそこまで厚く泥は堆積していなかった。また,宮良川では泥の下はサンゴ礫だったが,塩屋湾は砂が堆積していた。

図 8.塩屋湾沿いの護岸とヒルギの植林。塩屋湾は 2010 年にボート競技場として護岸工事が行われたようだ。その際に小規模であるが,辺士名高校の生徒たちが記念植樹を行ったのだろう。土手には整然と石が積まれており,環境への配慮が感じられる。しかし,産卵のために川岸に下りてくるベンケイガニやオカヤドカリは道路の横断の時に車に轢かれ,全滅状態になったのではないか?この場所は過去に何度も(4 回から 5 回は)訪れていると思う。

図 9.植林されたオヒルギ(中央の 1 本)とメヒルギ群落。植林されてから 14 年経つが,ヒルギの成長は芳しくない。このあたりの川岸には,もともとヒルギは生えていなかったのではなかろうか?現在修理中の橋の上流には,オヒルギの群落があったように記憶している。

図 10.干出した泥干潟に現れたハクセンシオマネキの群集。
ものすごい密度になっている。ハクセンシオマネキは,西太平洋の島々の河口域を中心に生息するのだろうか?中国やバングラディッシュの干潟では,ベニシオマネキはたくさんいたが,ハクセンシオマネキの姿はなかったように記憶している。塩屋湾のこのあたり(図 10)には,ハクセンシオマネキの他に水際にヒメシオマネキが出ていたと思う。カニが出現したのは,中生代のジュラ紀で間違いなさそうだが,十脚甲殻類の何から進化したかは不明である。分系統学的解析からは,カニ類がヤドカリの祖先に近いということは示されるが,具体的にどんな種類かと言われると,該当する十脚甲殻類が見当たらない。カニ類は浅潮下帯から潮間帯や河口域に多い。カニ類の進化も,海岸の浅いところ(浅潮下帯)で始まったのだろう。

図 11.大潮の干潮時に出現した塩屋湾の泥干潟。写真右奥に海岸がある。川岸から 50m ほど離れた水際で撮影。このあたりだと泥は 20 ㎝から 30 ㎝ほどの厚さ
で堆積している。石垣島の宮良川の河口や西表島の白浜にある強富栄養化川(ともにマングローブ干潟)では,ヘドロ(軟泥層)が 30 ㎝から 50 ㎝の厚さに堆積していて,長靴を履いて歩くことは不可能だった。宮良川や白浜の小さな川では,軟泥層の組成は,いわゆる泥であったが,塩屋湾では赤土が相当混じっていた。宮古島の泥干潟も赤土が多く含まれていた。
 泥干潟の土壌から見て,塩屋湾の富栄養化(eutrophication)の程度は低いと言えそうである。赤土自体が陸上の植物由来の有機物を多く含んでいないのかもしれない。・・・とすると,付近の山々に生える樹木の成長速度も少し遅いかもしれない。

図 12.泥干潟の表面に見られる十脚甲殻類の巣穴。
巣穴の入り口は背の低い煙突状になっている。アナジャコ類は,巣穴の内側を泥(ウンチだろう)でコーティングする。コーティングされた層は,周囲の泥に比べて硬い。周囲の泥は水に溶けて流されるが,巣穴の方は水に溶けずにそのまま残って,煙突状になる。スナモグリやハサミシャコエビが作る泥や砂のマウンド(塚)とは,でき方が異なっている。なお,写真左上にはマウンドが 2 つ見える。両方ともハサミシャコエビの巣穴だろう。スナモグリやハサミシャコエビは,巣穴の中の泥を鋏脚ですくって巣穴の表面に移動し,巣穴の外に捨てる。捨てられた砂や泥が多くなると,巣穴の周囲にはマウンドができる。堆積した泥には赤土が多く含まれているので黄土色をしている。この辺りは健全な(正常な)干潟と言える。

図 13.泥干潟に作られたヨコヤアナジャコの巣穴。
 堆積した泥はシルトやクレイを多く含むため,粘土質になっている。堆積した泥は薄茶色をしており,これは泥の中に酸素が行き渡っていることを示す。堆積層が還元化していないのは,砂利(gravel)を多く含むからだろう。一方,ヒルギ林の中に堆積する泥は,粒度の非常に細かいシルトやクレイが主なので,還元化しやすい。それでも,人間由来の有機物が大量に混入しなければ,多少匂いがしても正常な干潟と言える。
 干潟に堆積する泥に粘土質の割合が高まると,層の中を通過する水の量が制限され,層の硬度が増すために巣穴は崩れにくくなる。泥を掘ると崩れずに残っている巣穴が出てくる。

図 14.ヨコヤアナジャコの巣穴。アナジャコ類の巣穴は,泥の表面に近いところでは二股に分かれている。巣穴の中の水を効果的に循環させるためには,巣穴の入り口付近では二股になった方が良いのだろう。泥には砂利(gravel)がたくさん含まれていることがわかる。巣穴の中は水の出入りがあるために,巣穴の表面は還元層にはならない(巣穴の内側は茶色の層)。しかし,巣穴の外側(泥の層)は,富栄養化が進めば還元層(右側の黒い色の部分)に変化する。地球上のあらゆる地域で,河口や内湾の富栄養化が進行し,川岸や海岸には大量の軟泥層が堆積している。軟泥層(ヘドロ)に含まれる酸素は少なく,泥に潜ると生物は生きて行けない。アナジャコやスナモグリのように,泥の中に巣穴を作って水が出入りする空間を作れば,泥に潜って生きて行くことができる。しかし,そんなことができるのは十脚甲殻類の中でも一部の進化した種類に限られる。

図 15.巣穴の中にいるヨコヤアナジャコ。写真だけ見てヨコヤアナジャコと断定するのは不可能。斜め横からは,小型のイセエビのようにも見える。アナジャコは,巣穴からほとんど外に出ることはなく,巣穴の中で一生を終える。だからと言って,ミミズ(環形動物)のように頭の先から腹部末端まで柔らかくなると,巣穴の入り口から侵入する外敵を追い払うことができなくなる。外敵の侵入に対抗するため,アナジャコは頭部(head)と鋏脚(cheliped)の外骨格は厚く,硬い。頭部の周辺には凶悪なトゲや角が配置され,鋏脚の力も強い。胸部から後ろ(胸部後半と腹部)は,巣穴の中を迅速に移動できるように,外骨格は柔らかい。頭部や鋏脚の構造は,種(species)によって多少異なっているため,これらの器官の形態で種や属(genus)を判定することは可能だろう。分子系統解析は,形態学的解析とは別の視点で行われる方法なので,両者の結果は一致しないケースが多い。

図 16.ヨコヤアナジャコの脱皮殻。カニやザリガニのように,外骨格を持つ動物(節足動物)は,脱皮して成長する。脱皮殻は多くの場合,脱皮した場所に放置される。アナジャコは巣穴の中で脱皮してから,脱皮殻を外に押し出すのか,自身が巣穴を出て脱皮し,すぐに巣穴に戻るのか不明。ヨコヤアナジャコの生息地では,脱皮直後の抜け殻がいっぱい落ちている。甲殻類の脱皮は,胸部背面の外骨格が縦に割れて始まる。まず体の前半を抜き,次に後半を抜く。鋏脚や歩脚はもちろんのこと,エラまで脱皮する。エラは歩脚(pereiopod)の外肢が起源だろうから,内肢(歩脚)と同様に脱皮がある。腹部体節に生える 7 対の腹肢も同様に脱皮する。脱皮の時にどうして胸部の背中側が裂けるのか,研究した人がいたかどうかは知らない。脱皮寸前に外骨格の成分であるキチンの分子構造の一部を切る酵素(enzyme)が出ている気がする。同時に背中の筋肉を膨らませると,胸部背面の外骨格が避けるのではないだろうか?カニ類幼生のふ化と同じ機構があると予想している。・・・でもこんなことを研究する人は,今は全くいない。

図 17.塩屋湾のヨコヤアナジャコ。RICOH WG-50 で撮影。この写真では,頭部背面の「Upo マーク」が明瞭に見えている訳ではない。特に「ヒョウタン」の全部からくびれにかけては剛毛が密集していて,外骨格の構造がよくわからない。この写真では,この個体が Upogebia 属の一種であると言い切ることは不可能である。インターネットを見ると,こんな写真を添えてヨコヤアナジャコと言っている記事を見かけるが,完全な詐欺である。分類学の専門家は,この写真から得られる情報でヨコヤアナジャコと断言するだろうが,もっとよく見てからでないと種を判断できない。現に,塩屋湾の個体は,本州や四国の個体と体色が異なる。本州や四国の個体は泥と同じ色をしているが,塩屋湾の個体は橙色やピンク色が強い。しかも,体長(body length)は佐方川(広島県廿日市市)河口の個体と同じか,それ以上に大きい。採集している時には,別種に違いないと思っていた。

図 18.ヨコヤアナジャコ地域個体群に見られる Upo の形態変異(variation)。琉球列島には,分子系統解析で得られたクレード B, C, D の 3 種が分布する。各々のクレードに対応して形態的にも異なる 3 種を区別できた。塩屋湾には Clade C と Clade B の両方が 4 対 1 ほどの割合で分布する。それぞれ別種か種内変異かについては,本州・四国・九州に分布するクレード A, E, F も含め,生殖隔離が起きているかを考慮して判断することができるだろう。

図 19.Clade C に対応する個体。塩屋湾では沖縄本島タイプ(Clade C)が 4 分の 3,石垣島タイプ(Clade B)が 4 分の 1 の割合で採集された。西表島タイプは採集されなかった。要するに沖縄本島には沖縄本島に分布する遺伝子型(C)と石垣島に分布する遺伝子型(B)が混じっていることが分かった。3 つの遺伝子型の個体は形態的にも違うので別種にできるかというと,事はそう簡単ではない。私の実証的系統学では,新種の発見と記載を第一目標に掲げている訳ではない。自然界がホントはどうなっているのか,自然科学の先進的手法を駆使して実証的視点で明らかにしたい。

図 20.黒潮の流れと遺伝子型(A~F)の拡散。
 地球上の海洋では,コリオリの力によって海流が生じる。北半球の西大西洋岸では,赤道付近からユーラシア大陸に沿って暖流(黒潮)が北上している。現在では,台湾の東を通過した黒潮本流は,沖縄トラフの真上を通り,奄美大島の北西海域に達する。戦艦大和の沈没地点(30º22’17” N, 128º04’00” E)より少し南(50 km ぐらいか)で 2 つの方向に分岐する。
 ひとつは九州沿岸に沿って北上し,有明海の西方でさらに分岐し,黄海や日本海に入るルートである。もうひとつは,奄美大島の北にあるトカラ列島を横切って東に向かい,九州,四国,本州の沿岸を通るルートがある。
 一方,最終氷期が最盛期になったころは海水準が下がり,琉球列島の島々は陸橋で連結された。琉球列島を結ぶ陸橋(琉球–台湾陸橋)は,7 万 5,000 年前から 1 万 2,000 年前まで続き,最終氷期が去ってから陸橋は解消し,再び琉球列島として島々が残ったのだろう。
 琉球–台湾陸橋があったころは,黒潮の本流は現在とは大きく異なり,陸橋の遥か南をマリアナ諸島の方に向かっていたようだ。現在の黄海は巨大な淡水湖になり,泥干潟の十脚甲殻類が分布したとは考えられない。
 また,氷河期には琉球–台湾陸橋にはマングローブはなかったのだろう。西表島では,一番古い場所で 8,000 年前にできたようである。しかも,氷河期における黒潮の流れから見て,十脚甲殻類の幼生や成体は,台湾の南でマリアナ諸島の方面に拡散していたと思われる。
 現在琉球弧を含めて日本列島に十脚甲殻類が分布したのは,氷河期が終わ
り,琉球–台湾陸橋が切れて,黒潮本流が八重山諸島と台湾の間を抜けて沖縄トラフの上を通るようになってからと思われる。
 ・・・ということであれば,日本列島の島々への定着には 2 つのルートがある可能性が強まる。ひとつは中国大陸の沿岸を北上するルート,もうひとつは琉球列島を島伝いに北上するルートである。
 私の仮説(概略)は,以下のとおりである。九州や本州(日本海側)には大陸沿岸ルートを通って分布を拡大できる。しかし,琉球列島ルートは黒潮本流のトカラ列島付近での東に抜けた後に,九州・四国・本州の太平洋岸を離れて蛇行するので,これらの地域の干潟には分布拡大のチャンスは少ないだろう。つまり,九州・四国・本州に分布する個体群と,琉球列島に分布する個体群では生殖隔離が成立している可能性が高い。・・・とすれば,互いに別種として取り扱いできる。

図 21.ハサミシャコエビ。塩屋湾ではアナジャコに混じってハサミシャコエビもたくさん捕れる。ハサミシャコエビの祖先か不明。オキナワアナジャコと同じ時期(新生代第四紀)に地球上に出現したのだろう。ハサミシャコエビは,本州,九州,四国の河口域の泥干潟にも生息する。本州・九州・四国の個体群と琉球列島の個体群の間には,生殖隔離が起きている可能性がある。しかし,今のところは琉球列島に分布する個体群と九州・四国・本州に分布する個体群は同種と考えたい。

図 22.タイワンガザミ(?)。潮が引いて川底が浅くなると,小さな個体は泥に浅く潜る。化石の記録から,カニ類は中生代のジュラ紀に出現したことがわかっている。しかし,直接の祖先はアナエビではなく,原始的なヤドカリだろう。浅潮下帯にいた古いヤドカリが,殻(貝殻とは限らない)を抜け出て,砂浜で生活するうちに,腹部が縮小(幅は拡大)して胸部の下にカールして収まったのだろう。
 ・・・だが,この形態変化により,担卵肢(ovigerous seta)に付着する胚(embryo)では酸素の供給不足が起きた。コシオリエビやカニダマシでは,付着する卵数を減らすことで解決したが,カニは予想を超えた方法で解決した。だから,ガザミでは何百万の卵(胚)を抱えることができる。しかし,酸素供給方法の改良によって,多数の幼生を孵化させることができれば,自然はさらに数多くの幼生のふ化ができるように,生物に過大な負担を課すだろう。負担が極限に達した時,生物は破滅の道(絶滅)に傾くのだろう。地球の自然は,自ら生み出した生物に対して決して friendly ではない。

図 23.塩屋湾で遭遇したスコール(2024 年 7 月 7 日)。
泥干潟で作業をしていると,午後になると海の方からモクモクと積乱雲が湧いてくるのが見える。しばらくすると稲光がして,ゴロゴロと雷鳴がとどろく。海の上空で鳴っているうちはいいのだが,雷雲が迫ってきたときには,早めに川岸に非難して雷雲が通り過ぎるのを待つことにしている。稲妻とともに周囲が黄色くなる時が一番危ない。塩屋湾から 10 km ほど 58 号を南に行ったところに真喜屋という集落がある。現在の真喜屋運動場には,真喜屋小学校があった。もう 50 年経つが,真喜屋小学校の移転後,校舎はユースホステルとして使われていた。ここにいく晩か宿泊したことがある。夜中にハマダラカが襲ってきて,よく寝られなかった記憶がある。明け方,外でゴロゴロという音を聞きながら転寝をしていると,突然部屋の中が(瞼を閉じていても)黄色く光った。瞬間にドカーンとばかでかい音がして,部屋の電灯がついた。それから停電になってしまった。すぐ近くに落雷があったのだと思う。地球温暖化が進めば,日本列島には落雷確率が高まるのではないか?

図 24.泥干潟の研究に不可欠なアイテム。長靴,スコップとベイトポンプ,それに大量の水。車はガッツレンタカーで借りた。1 日 2,000 円。保険がつかないと言われたが,岡山で使っている車の保険(損保ジャパン)が使用できることがわかり,不測の事態に備えることができた。

4.あとがき
学問は個人の興味に加えて,個人の体力的,社会的制約に応じていろいろなやり方があると思う。私の場合には,興味としては,日本列島の泥干潟に生息するアナジャコ類(十脚甲殻類)が,いつ頃どんな祖先から,どのような経過を経て進化したかを知りたい。また,私は十脚甲殻類の生息する泥干潟(mud-tidal
flat)の環境特性と形成機構にも興味がある。
 文献を調べてみると,泥干潟の環境特性については,海洋汚染(特に富栄養化)との関係で,精力的に研究が進められているようだ。一方,干潟に生息するアナジャコ類に関しては,日本列島にどんな種類のアナジャコ類が分布しているのか,まだよくわかっていないといったところだろう。
 日本の研究は,分類学者にしても生態学者にしても,研究者個人の視野が極端に狭いため,幅が広がらない。個人の人間関係が悪いと,研究の行く先は,結局は個人の政治力を背景にした縄張り争い,派閥争い,利権争いにつながって行く。太平洋戦争中の軍隊組織の考え方からあまり変わっていないのだろう。

<誤審だらけの生物科学論文の review>
 珍しいアナジャコが捕れたという断片的な記録はあるが,実際に分布しているのか不明なケースが多い。しかも,採集者も不明なケースはたくさんあるだろう。仮に採集者がわかったところで,間違った採集場所が記録されていることもある。分類学者は証拠として標本のスケッチを描くが,私には理解できない基準
(standard)で形態を描画するため,これがその種だといわれても「そうですかね?」としか答えようがない。さらに,種の判定は比較によって可能になるが,比較対照としてのコントロールがない。私のような素人にとって,分類学は疑惑だらけの学問である。種の判別(discrimination)に職人技だけで挑む時代は,もう限界にきているのではないだろうか?
 生物の分類に関して,どんなに造詣の深い専門家に尋ねても,結局わからずじまいになることが多い。そして,後にはいつも感情的なしこりが残る。感情的なしこりが残るのは,分類学に限らない。自然科学のどの研究分野でも同じである。共同研究が難しいのはここに原因がある。研究の国際的競争力を高めるには,共同研究を行いやすい環境(人事体制)を作る必要があるだろう。
 世界的な専門家を自認する人と話すと,おかしなことを言っているなと感じるケースも多い。私と同じように感じる人たちは,世界中にたくさんいると思う。そして,私のような不届き者を封じ込めるために,社会の中に「権威」が導入されているのだろう。しかし,人は感情によって動く動物である。強力な権威をも
ってしても,争いごとは簡単に収まるようには思えない。

<結論>
 多くの人たちは権威に頼って研究を進めると思う。権威のお墨付きがあれば,論文は出しやすい。しかし,私のような不心得者は,権威に頼っていては研究が進まない。現地に行って泥干潟の環境を調査し,生息する十脚甲殻類を採集し,形態を詳しく見てみたい。私は,生態学者に記述的なデータは意味がないと言われても気にしないだろう。生態学者のように,水増し仮説で勝負するのではなく,実証的な証拠に基づいた仮説で勝負したい。
 幸いなことに,私は自然を見るのが好きである。・・・が,体力は,若いころに比べれば相当落ちている。一方,若いころはレンタカーでフィールドを巡ることなど不可能であったが,今はそれができる。宿泊する研究施設も大学院生のころに比べて格段に快適である。記述的(実証的)なデータをたくさん取って,できるだけ多くの検証可能な仮説をパブリッシュしたい。仮説を実証するために研究するのではなく,できるだけ多くの経験的なデータに基づいて仮説を立て,それを可能な限り実証的手段により検証することで,より本当の自然の姿を理解できるだろう。

図 25.塩屋湾におけるアナジャコ類の採集。
 泥干潟のすぐ近くに休憩所があった。干潟に飲み水を持って行くと,高温になる。水とカメラは日陰において,スコップとベイトポンプのみ持って行って採集した。
 また,雷が近くなってきたら,休憩所のようなところに避難できるとよいが,海岸だと岸に上がって,低いところに身を隠すぐらいしか方法がない。海岸が崖になっているところは,雷と同時に落石にも十分な注意が必要である。
 私は自然を見るのが好きだが,車や船に乗って遠くから眺めるだけでは面白くない。生物の生息場所に行き,泥だらけになって採集できたりすると,大きな満足感が得られる。今まで長くやってきた昆虫採集の影響だろうか?昆虫の方は,写真は撮りたいが,標本は要らない。

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