1.はじめに
アナエビ類(Axiidea)は,サンゴ礁の海岸に穴を掘って棲む十脚甲殻類である。系統学的な立ち位置(phylogenetic status)は,確信をもって答えられるという専門家がいるとは思うが,私は全くわかっていないと思う。系統的な位置がわからないということは,祖先もわかっていないことを意味する。アナエビ類の進化については,私たちはひとつの仮説を立てている。まだ仮説というよりも,思い付きに近い考え(notion)なので,証拠を集めて専門誌にパブリッシュするには時間がかかる。アナエビ類はサンゴ礁に棲む種類が多く,体色も実にカラフルで美しい。カラフルな美しさは,サンゴ礁に棲むことと深くかかわるのだろう。一方,相模湾の深海にすむアナエビ(和名はソーヨーアナエビ)もいる。色は地味。アナエビ類の形態を詳しく観察すると,祖先はロブスター(Homarus)に突き当たる気がする。
ロブスターの祖先の一部が,中生代の三畳紀末から沿岸域に発達したサンゴ礁に生息域を広げ,サンゴ礁という新しい環境に適応する形で,アナエビ類の種分化が起きたのだと思う。古代(中生代のジュラ紀あたり)のアナエビ類は,沿岸域や河口の泥干潟や砂干潟,細かく壊れたサンゴ塊(coral rubbles)に分布を広げ,それぞれ異なった環境の下で,種分化が進行したのだろう。そして,ジュラ紀から白亜紀にかけて,多くのスナモグリ類,アナジャコ類(オキナワアナジャコを含む),ハサミシャコエビ類を生み出したのだろう。アナジャコ類は,ヤドカリ類や他の異尾類,カニ類とは異なった道を歩んできたに違いない。
アナエビについて,私たちが観察する形質は,分類学者とは大きく異なる。また,形態だけで生物を分類する手法は,形而上学的な「種」を祭り上げることにつながる。生物界の実際ある姿を掘り下げて行くには限界がある。分類学者とは基本的に目的が違うのだから,分類学者にいつまでもお世話になる訳には行かない。私たちは,私たち独自の基準(standard)を明記した資料を作成する必要がある。
2.系統(phylogeny),分類(classification),生態(ecology)に関する情報
西表島のサンゴ礁では,今までに5種類ほどのアナエビを採集している。その中で私たちが「シロオビアカアナエビ」と呼んでいる種類について紹介したい。分類や生態,系統関する情報はそれぞれの写真の説明文に含めている。
生物の写真は,印刷費の関係からA4サイズの用紙に何種類かまとめて入れることが多い。どうしても個体の大きさは縮小され,詳細な構造が分かりにくくなっている。その点,多様性プロジェクトの記事(博物館報告とほぼ同じ)では,個体ごとに1枚全部を使うことができる。大きな写真だと,種だけでなく,属とか科も判断しやすい。
分類学者の判断は,人にもよりけりだが,基本的には尊重したい。一方,生物の種には形質の種内変異が存在する。種内変異を「亜種」と呼ぶ人もいるが,種の輪郭さえもつかめないのに,何をもって亜種と定義してよいか,よくわからない。アマチュアの世界では,形態的に少し違いがあれば,亜種と呼ぶことが多いが,専門家の世界では直観的な定義を使うと嫌われる。種(species)の違いと種内変異(intraspecific variation)の区別は,困難なことが少なくない。困難さを解消するために,種の認定には個体発生の知見や新しい技術(遺伝子解析)も使うことができる。すべての個体に新しい技術が適用できるか不明だが,遺伝子データはできるだけ多く蓄積したい。
分類学者は多くの場合,種内変異を考慮せずに種を分ける。分類学者の断定は,ご意見としては受け賜るが,私はどうも鶴の一声は苦手である。分類学者の最終的な判断は「直観」にあるが,私たちは「検証可能な証拠」の上に立って,最終的な判断をしたい。しばらくの期間は,角は立つが情には流されずに済む。若い人たちは,古い分類のしきたりにとらわれずに,新しい技術を導入して生物の世界を見てみたらどうか?古い世界の矛盾と,今までとは違う世界が見えてくる。
3.記事の執筆に関する情報
三枝誠行・増成伸文(生物多様性研究・教育プロジェクト,常任理事)
4.参考文献
・Poore, G. C. B. (2018). Burrowing lobsters mostly from shallow coastal environments in Papua New Guinea (Crustacea: Axiidea: Axiidae, Micheleidae). Memoirs of Museum Victoria. 77: 1-14., available online at https://doi.org/10.24199/j.mmv.2018.77.01.
・Wolfe, J.M., J.W. Breinholt, K.A. Crandall, A.R. Lemmon, E.M. Lemmon, L.E. Timm, M.E. Siddall, and H.D. Bracken-Grissom (2019) A phylogenomic framework, evolutionary timeline and genomic resources for comparative studies of decapod crustaceans. Proc. Roy. Soc. B 286: 20190079.
5.分類
Phylum(門)
Arthropoda(節足動物)
Class(綱)
Crustacea(甲殻綱)
Order(目)
Decapoda(十脚目)
Suborder(亜目)
Pleocyemata(抱卵亜目)
Infraorder(下目)
Axiidea(アナエビ下目)
Family(科)
Verrcous-axiidae(イボアナエビ科)Shield表面に多数のイボ状突起。
Genus(属)
Axiopsis(シロオビアナエビ属)
Species(種)
A. Serratofrons(シロオビアカアナエビ)
上記の情報があれば,系統分類学の研究には十分足りるだろう。下目,科,属の名称についてはWikipediaの記述とは一致しない。和名は,別な呼び方をする人たちもいる。また,種の命名者について記入すべきだが,孫引きにしかならないので,どうしても必要な時以外は省略する。
図 1.シロオビアカアナエビ(Axiopsis serratifrons)。体長は,アナエビ類の中では大きい方に入る。異尾類,アナエビ類,ザリガニ類,スナモグリ類,アナジャコ類などで,私たちが注目している特徴は分類学者とは異なり,主に個体発生学的な証拠が中心となる。また,胸部背面にある shield(日本語にすれば「頭盾」か?「シールド」でも良いだろう。)や第 3 顎脚の付け根にある「腹節」の有無などである。私は,個別の名前よりも進化に興味がある。
図 2.シロオビアカアナエビの生息地。採集場所は,西表島・イダの浜奥の海岸。イダの浜に出て海岸沿いを 20 分ばかり歩く。大潮の干潮時に潮間帯下部の石の下に穴を掘って棲んでいる。個体数は少なく,巣穴を見つけるには時間がかかる。運がよければ,ひとつがいぐらいは採集できる。
図 3.イダの浜からさらに奥に行った海岸(西表島)。奄美大島と同様に,海岸には崖崩れが目立つ。目の前にある石や岩もすべて崖崩れで,海岸に転げ落ちたものである。サンゴ礁の島々では,生物の進化と多様性を促す 2 つの重要な環境因子がある。ひとつはサンゴ礁原。もうひとつは,海岸の地層の崩落。転げ落ちた石や岩は,海洋生物の住処を提供する。また,崩壊や降雨によって陸上から流出した泥や砂は,河口域や海岸に堆積し,泥干潟を形成する。泥干潟は生物の隠れ場所(つまり穴を掘る)を提供するだけでなく,泥に含まれる有機物は干潟で生きる生物の重要な食料になる。
図 4.イダの浜からさらに奥に行った海岸(西表島)。内湾では,陸上から泥が流れ込んでいる。ウチパナリとソトパナリの間には,波によって運ばれたサンゴ砂礫(サンゴの砕けた破片)が堆積している。サンゴ礁原の泥干潟には,スナモグリ,アナジャコ,カニ類,ヤドカリ類 カニダマシ,テッポウ
エビが多い。泥干潟にならないサンゴ礁原には,サンゴ塊(生きているのも,死んで石灰岩になるものも)があり,コエビ類,イセエビ類,アナエビ類の生活場所を提供している。多くの十脚甲殻類の起源は中生代(三畳紀後半からジュラ紀にかけて)だろう。話が戻るが,サンゴ礁の島々では,海岸の崖崩れは,生物多様性の維持と生物の進化をもたらす重要な自然現象である。海岸でがけ崩れがあると無造作に護岸工事をすることが多いが,がけ崩れの果たす役割をよく研究し,工事は必要最小限にとどめたい。西表島の海のブルーはサンゴ礁とサンゴ礁原由来である。「サンゴ礁原ブルー」はどうか?
図 5.シロオビアカアナエビの液浸個体(メス)。2017 年 5 月の大潮の干潮時に採集。生物はエタノールに漬けると退色が進行する。特にアナエビ,スナモグリ,コエビ類のようにサンゴ礁に棲む十脚甲殻類は生きているときは美しい色をしているが,液浸標本になると研究意欲を低下させる。
図 6.シロオビアカアナエビ(オス)の胸部と腹部(液浸個体)。図 5 は,1 週間ほどエタールに漬けた標本。それ以上長く漬けると図 6 のように,体表全体が黄土色になる。体色の違いが種の違いをどれほど反映するかよくわかっていないが,生きているときの外皮の色(体色)はぜひ知っておきたい。アルコール漬けの標本(図 6)は十脚甲殻類の体の構造の研究に用いられる。あまり古くなければ,DNA の抽出も可能のようだ。
図 7.シロオビアカアナエビのペア。分類学者の書いた論文は,スケッチを基礎にしてどこの部分がやや長いとか短いとか,主観的な記述が多く,科学
論文らしくない。外形を見て種を直観的に判断する習慣がそうさせているのだろう。芸術と同じ主観的手法が使われている。文章で表現すると,スケッチと同様にファジーな面が強くなる。一方,写真という技術は,主観的視点が排除できる点ではよいが,全体が写ってしまう。どこがポイントかわかりにくいというデメリットがある。しかも,エタノール付の標本(昔はホルマリン)は,写真に撮るとおよそ見苦しい図(figure)になり,論文には載せられない。写真の技術が生きるのは,生存時の色を表現できるケースに限られることが多い。最近は,ミトコンドリアや核の DNA の塩基配列を比較することで,種内変異の程度を客観的な基準を使って知ることができる。私たちは,主に生きている生物の写真と DNA の塩基配列という 2 つの方法を使い,生物種の実態を明らかにしようとしている。私たちの方法は残念ながら商業ベースには乗らないので,図鑑等の作成には使えない。
図 8.干潮時の海岸。この辺りの石の下を掘り返せば,アナエビが採集できる可能性はある。ここはオカヤドカリが多い。潮が引いた後にぞろぞろと現れる。海のヤドカリとも思ったが,陸上から降りてきたオカヤドカリだろう。採集に夢中になって崖に近づきすぎないこと。波打ち際のすぐ背面に崖が続いていて,地震による津波が来たら逃げようがない。携帯(au)はつながるようだが,負傷してもすぐには来てくれない。そもそも 119 番というのがどこにつながるのか不明。自然の中には多くの危険が潜んでいる。観光気分でいるとひどい目に合う。採集中は風景を楽しんでいる余裕はない。
<関連資料>
Figure 1:パプアニューギニアで捕れたアナエビ 4 種類。
a, b: Alienaxiopsis clypeata. c: Allaxiopsis picteti. d, e: Axiopsis pica. (d は固定標本,e は生きている時)
f, g, h, I, j: Axiopsis serratofrons. (f は固定標本と思われる。)
<コメント>
・固定標本にすると退色が激しい。固定した標本で種を認定するのは難しいのではないだろうか?
・属(genus)を判定する形質の特徴がよくわからない。4 種類のアナエビは同一の属ではまずいのか?
・Axiopsis serratifrons はオスとメスで鋏脚の大きさが異なる。
・Axiopsis serratifrons は,西表島で採集されている個体と同じ種と言ってしまってよいか,多少の不安を感じる。例えば,パプアニューギニアの個体は,鋏脚の掌節(propodus)は明るい赤色なのに,西表産はかなり黒みがかっている。
・第 2 歩脚の propodus(掌節)もオスとメスで大きさと形状が異なっているかもしれない。
・西表島には,Axiopsis に属するアナエビ(シロオビアオアナエビ)がいる。生息場所は潮間帯の中部から下部にかけて。Axiopsis serratifrons の個体変異ではないと思う。また Axiopsis pica(d とe)にしてはあまりにも色模様が違い違いすぎる。
・スケールがある方が比較しやすいのだが・・・。
・西表島のシロオビアカアナエビと同じ種である確率(同種確率)は 50%だろう。ミトコンドリアの塩基配列を比較すると別種と認定される可能性は高い。同じ属(Axiopsis)は間違いない。その場合には,例えば Axiopsis iriomote とかいう学名が考えられる。種名は,iriomotensis とか iriomoteus などにこだわる必要はない。生息地の情報や生息場所の特徴をそのまま入れる方がよい。Axiopsis(属の名称)は近い将来に変わる可能性が大きい。
Figure 2 の説明。a と b: Parascytoleptus papua。c と d: Paraxiopsis brocki(d は固定標本だろう)。e: Ralumcaris bisquamosa。日本には分布しないと思う。
Note:
Figure 6(上図)のスケッチ(特に f, h, i)と照合して,図1 の個体を Axiopsis serratifronsと特定することは不可能である。多分「種」を間違えて特定することになると思う。
どうして不可能なのか,理由はお分かりいただけるだろうか?
スケッチは,観察者の主観が入りすぎる点が問題である。スケッチを現代科学に取り入れる場合には,表現する部位の条件を明記してからでないと,他の研究者にとんでもない誤解を与える結果になる。
狭い学会や組織の中に閉じこもり,自分をおだててくれる人々(自分に忖度してくれる人々)の中で過ごしていると,社会の変化に気付きにくくなる・・・のだ。
野田元総理より・・・。ウソ・・・。生物多様性研究・教育プロジェクトより。