生物多様性研究・教育プロジェクト(研究と教育の原点を考える) Ⅰ. サンゴ礁とサンゴ礁原 2024‒No. 3:岡山→宮古島→西表島→沖縄本島→西表島→岡山

1.Introduction
 西表島にはいつも 5 月に行くことが多かった。5 月は梅雨の時期に当たるが,大潮のころは昼間の潮がよく引くので,海産無脊椎動物の観察と採集には適しているからである。ただし,5 月の西表島の陽射しは強烈に強い。上半身裸で海に出ようものなら,日焼けを越えて大やけどを負うこと請け合いである。ワイシャツを着ても紫外線は防げないので,やはり日焼けは免れない。日焼け止めクリームをべたべたと塗ってからワイシャツを着れば,帰ってから上腕から肩と首すじにかけて陽膨れになることは防げる。私は,過去に何度もクリームは塗らずに野外に出たためか,顔にはたくさんシミが残っている。

 5 月の大潮(spring tide)は,魚類にとっても予期できない事態が起きる。潮が引いてタイドプールができると,スズメダイを始めとしていろいろな魚がサンゴ礁原に取り残される。タイドプールが強い日差しにさらされると,海水はどんどん蒸発する。やがてタイドプールは干上がると,スズメダイなど小魚が群れになって干からびる光景を見ることができる。こういう日には,サンゴ礁原のタイドプールを見て歩けば,礁原に取り残された多くの魚類を採集することができる。もっとも,採集したところでその場に捨てるしかないが・・・。ただし,そんな光景が見られるのは,潮がよく引きだす 1~2 日間だけで,3 日目ぐらいから魚は学習して,潮が引きだすとサンゴ礁原からさっさと退散して行く。

 平成 28 年(2016)は,お役御免になったこともあって(どちらかというと追い出された感じ),4 月から先島諸島に行った。まずは,4月 10 日から宮古諸島を訪れた。宮古島では,ミヤコヒメアナジャコを採集した。4 月 14 日に宮古空港を発ち,新石垣空港からバスで離島桟橋に行き,西表島に渡った。

 同日から琉球大学熱帯圏研究センター西表研究施設に滞在し,アナジャコ,スナモグリ,オキナワアナジャコ,アナエビ類の採集を行った。西表島には,4 月 14 日から 4 月 27 日までの 13 日間滞在した。そして 4 月 27 日に西表島から石垣島に渡り,石垣空港から沖縄本島に行った。那覇空港からレンタカーで,まず糸満市の名塩に行き,広大な干潟でイシアナジャコを採集した。それから,本島を北上し,本部半島に行った。4 月 28 日から 5 月 1 日までの 4 日間,本部半島や周囲の屋我地島や奥武島に行き,海岸でイシアナジャコ,アナエビ,ハサミシャコエビを採集した。

 ・・・ということだが,まだ話は終わらない。5 月 2 日に名護から那覇空港に戻りレンタカーを返した。そして再び石垣空港に向かい,離島桟橋までバス,それから高速船で西表島に着いた。西表島には 9日間滞在し,5 月 12 日の午後に石垣空港を発ち,岡山空港には 20:30ごろ到着した。1 か月以上も沖縄に滞在したのは,もう 20 年前の海産動物プランクトンの採集の時以来,計 2 度目と言いたいところだが,大学時代にも 2 度 1 か月いたことがあるので,計 4 度になるだろう。

 西表島は,4 月上旬になると完全な夏になる。キジバト,アオバト,カンムリワシ,シロハラクイナは留鳥なので 1 年中見られるが,アカショウビン,アオバズク,コノハズクは南から飛来する。西表島の夜は素晴らしい。道端には多数のツチボタルが光を発しながら移動してゆく。近くに水たまりや池があれば,多くのカエルの鳴き声が聞こえる。ポン・ポン・ポン・ポン…と鳴くカエル(通称ポンポンガエル)がいる。変な鳴き声を発する野鳥(リュウキュウヨシゴイ?)もいる。

 しとしと雨が降る晩は,サキシマハブの姿を 1 晩で 10 匹以上も目にすることがある。電灯があれは,その下にリュウキュウヒメカミキリ,ヒゲナガヒメカミキリ,フトガタヒメカミキリ,テツイロヒメカミキリ,アオスジカミキリ,ヤノヤハズカミキリなど,多くのヒメカミキリの仲間が集まっている。近くに伐採した林があれば,ウスバカミキリやトゲウスバカミキリも飛んでくる。ガについては,稀にはヨナグニサンの姿を見ることもできる。

 電灯の下には,昆虫を食べるホオグロヤモリがいて,キョッ・キョッ・キョッ・キョッと鳴いている。西表島で昼に夜に活動する動物たちを見ると,こんな動物たちの存在と生き方を現代生物学の目を通して社会に発信したい気持ちになる。この目的のために,西表島は格好の研究場所である。亜熱帯の自然林に囲まれた「島」(island)という雰囲気が心地よく心に響く。

2.記事の執筆と撮影に関する基礎情報
<撮影と記事の執筆> 三枝誠行(NPO 法人 生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)

3.文献
・海老名卓三郎(2015)海洋地質学者・父・田山利三郎の足跡‒パラオ共和国・南洋群島・明神礁。地図 53 号:30‒35(田山利三郎博士の生涯と
業績)。
・Harde, K.W., F. Severa(1984)Der Kosmos-Käferführer. Kosmos Gesellschaft der Naturfreunde Franckh’sche Verlagshandlung Stuttgart.
・石原勝敏・庄野邦彦・他 13 名(2010)新版生物Ⅱ。実教出版株式会社。
・板野徹(2020)〈島〉の科学者 – パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究。勁草書房。
・木村政昭(1996)琉球弧の第四紀古地理。地学雑誌 105: 259-285。
・京浜昆虫同好会(編)1973.新しい昆虫採集案内(Ⅲ)離島・沖縄採集地案内編。内田老鶴圃新社。
・児島圭三・林匡夫(1969)原色日本昆虫生態図鑑(Ⅰ)カミキリ編。保育社。
・佐藤崇範(2017)「パラオ熱帯生物研究所日誌」の概要と今後の利活用について。みどりいし 28: 33‒39.
・MacKinnon, J., and K. Phillipps. 2000. A Field Guide to the Birds of China. Oxford University Press, New York.
・琉球大学ワンダーフォーゲル部 OB 会(2006)南海の秘境・西表島。(http://skillet.jp/ruwv/iriomote/)
・周文一(2004)台灣天牛圖鑑。全新美耐版。
・東清二(編著)1996.沖縄昆虫野外観察図鑑(全 4 巻)沖縄出版。
・吉見光司(1993)西表島 マングローブの生き物たち。ニライ社。

図 1.巨大な鳥の模型。
島のどのあたりだったか記憶がないが,大岩(あるいはコンクリート)の上に巨大な鳥の模型があった。遠くから見えたので,鳥の模型がある公園に行ってみた。
 コンクリートのどこかに入り口があって,胸のところにある展望台に出られる階段があるのだろう。お客さんは全然いなかった。大阪の万博記念公園にある太陽の塔(行ったことはない)と同じ趣向で作られたのだろうか?大岩の上にコンクリートを塗り固めて,上に展望台だけ作ると殺風景な感じがする。巨大が森の胸部から展望台に出るというのは,実に斬新なアイデアだが,こういう figure は設置してから何年かすると表面が汚れてくる。何よりも,お客さんがすぐに飽きてしまうことだ。飽きるとみんな好き勝手なことを言い出す。
 お客さんを飽きさせなくするのは難しい。だから,せめても定期的に鳥の表面の掃除を行う必要がある。お寺や神社で毎年行われる行事と同じことを,島にある鳥の模型にもしなければならない。そのためには維持費や修繕費を毎年計上しておく必要がある。維持や修理のことまで考えて,設計と制作が実施される社会になってほしいと思う。
 私個人の意見としては,近くで見ると鳥の模型はなかなかうまくできていると思う。階段を上がって胸部から展望台に出るというアイデアも非常にいいと思う。
 問題は,そういう面白さを理解しない人たちが世の中にはたくさんいることである。

図 2.伊良部島と下地島の間にある内湾の泥干潟。伊良部島と下地島の間は潮の干満はあるが,瀬戸内海のように,海水が滞留しやすく,小川に流れ込んだ泥が溜まるのだろう。ヘドロの厚さは,深いところで 50cm 以上になっている。川の中央部を長靴で渡るのは無理である。2019 年 4 月 11 日。

図 3.ミヤコヒメアナジャコ。学名については,属(genus)も含めて検討中。私たちは,生物を「整理する」ための分類学ではなく,進化生物学の研究に利用できる分類学をめざしている。以前の十脚甲殻類分類学(アルコール固定した形態で種を決める)は,私たちの将来にはなじまない。アナジャコの仲間は,新生代第四紀になってから種分化が急速に進行しているように思える。穴掘り生物ということもあって,100 万年にも満たない期間では,目に見える形態の違いは出にくいだろう。過去の分類学はこの点を無視して分類したことと,体の形態をくまなくスケッチすれば,それが客観的な証拠になるという認識があった。結果は,権威のお墨付きがなければ何もできない人が増え,検証不可能な芸術的学問ができあがった。

図 4.ミヤコヒメアナジャコの鋏脚。アナジャコの仲間は,新生代第四紀になってから種分化が急速に進行しているようだ。種分化は干潟の環境,特に底質(substrate)や潮の干満との関係が深いと推察される。Thalassinidea(アナジャコ下目)に属する十脚甲殻類は,底質(生息環境)によってうまく分類できると思う。なお,私が言う Thalassinidea には,アナジャコ類,スナモグリ類,オキナワアナジャコが入る。アナエビ(Axiidea)は含まない。

図 5.ミヤコヒメアナジャコ(学名は検討中)の受精卵。アナジャコ自体もきれいだが,受精卵のウグイス色もきれいだ。アナジャコの仲間は,新生代第四紀になってから種分化が急速に進行しているように思える。形態的に明確な区別がつくには,平均して 300 万年ぐらいかかるのではないか?(Futuyma 1998)。受精卵の色が異なるのを見て,すぐに別種というのは危険だが,リンネが考えたように種は不変であるという認識を持つ必要はない。

図 6.宮古島空港。2017 年 4 月 14 日は,宮古島空港から新石垣空港行きの飛行機に乗った。滑走路に向けてゆっくりと走行中,ボーイング 767(?)がとまっていた。左側にカラフルな色彩を施したサメが描かれている。鰓穴(5 つ)までしっかりと書き込んであった。どこに行く飛行機だろうか?

図 7.宮古空港を離陸中の飛行機。新石垣空港に向かう飛行機はプロペラ機である。このプロペラ機の動力は,レシプロ・エンジンだろうか,それともターボエンジンか?また,宮古島発だと,高度は 3,000m まで達しないうちに(多良間島の上空あたりで)石垣空港に向けて降下を始めるだろう。

図 8.石垣島の桟橋から西表島大原港へ。正面の高速船は,石垣港に向かっているのだろう。船の奥に見えるのは竹富島と思う。さらに奥に見えるのは石垣島。竹富島と黒島のちょうど中間にいると思う。水深は 10m 程度だろうか?天気が悪いが,波は比較的穏やかである。

図 9.西表島に近づいた高速船。古見から由布島のあたりが見えている。南西諸島は 3 月から 4 月にかけては天気の安定しない日が多い。

図 10.石垣島から沖縄本島へ。2017 年 4 月 27 日。この日は,南西諸島は雨。写真右に見えるのはカーラ岳。左は,上の方に鉄塔が見えるので,バンナ岳ではないだろうか?新石垣空港は旧石垣空港より,10 数キロ北東方向に移ったので,サンゴ礁原の写真が撮りやすいと思うが,雨では難しい。

図 11.沖縄本島名塩(糸満市)の海岸にできる広大な干潟。私はイシアナジャコを採集に行ったが,大潮の干潮時に干潟に出ている人たちは,モズク(褐藻類)を採集しているのだろう。手前に見えるのはアマモ(被子植物)の群落。本州とは種類が違う。アマモは食べられない。

図 12.名塩の泥干潟にある柔らかい泥岩とイシアナジャコの巣穴。名塩の干潟に生息するイシアナジャコは 2 種類いるだろう。ひとつは,rupicola という種類で,分子系統学的には西表島にいる iriomotensis に近かったように思う。もう一種類は,宮古島にいるのと系統的に近いヒメアナジャコである。

図 13.泥岩に住む rupicola。すでに他者によって rupicola という種名がつけられているので,種名の方はそれを踏襲できる。属(genus)については,現在慎重に検討中であり,決まり次第お知らせしたい。属の命名については分類学者と分子系統学者では,全く見解が異なることに注意。

図 14.泥岩の中に入って生活する貝(軟体動物)。名塩でも西表島でも,柔らかい泥岩があると,その中に入り込む貝がいる。形はほぼ完全な球形。右側に見える貝殻の奥に入水管と出水管がある感じがするので,巻貝ではなく二枚貝だろう。種名はよくわからないが,専門家に尋ねてもヤブヘビになることは目に見えている。コミュニケーションは拒否されると思う。普通種なので,図鑑や文献を見れば容易に種名はわかるだろう。

図 15.屋我地島におけるヒメアナジャコの採集。写真に写っているのは私(三枝)ではなく,現地(沖縄本島)の協力者。正面にうっそうと茂っているのはオヒルギ。手前左側と右側にある背の低いヒルギはメヒルギ。干潟は普通に歩けるほど硬い。底質には,砂の割合が高いのだと思う。

図 16.奥武島の手前にある泥干潟。20 年前に来た時には,今の橋(羽地奥武橋)があった。橋の下に近いところに砂泥岩があり,ヒメアナジャコとイシアナジャコをたくさん採集した思い出がある。2017 年に行った時には,すでに砂泥岩はなく,両者の生息地(5m 四方ぐらい)は失われていた。仕方なく,海岸沿いの砂干潟を掘ったら,数は少ないがヒメアナジャコを採集することができた。ヒメアナジャコは,20 年前と同じ種類だろう。

図 17.オキナワヒメアナジャコ(仮称)。体色の美しい個体。西表島で採集されるイシアナジャコと大きさや形態は酷似する。とりあえず,オキナワヒメアナジャコとして命名する。何度も繰り返して恐縮だが,私たちの研究の目的は,アナジャコ類を分類・整理することではない。形態学的な多様化に加えて,どの程度遺伝的に多様化しているか調べたい。手始めに生息場所や生息環境ごとに名前(和名)をつけ,地域ごとの形態的特性と遺伝的多様性を調べ,地域個体群のたどってきた道を明らかにしたい。今までの呼び方を使うと,研究にひどくバイアスがかかる。地域ごとの新しい名称を付与し, 分子系統解析の結果を含めて,属の名称を決定する。新しい名称とは,新種という意味ではない。生きているときの標本を見ることも大事である。

図 18.奥武島の海岸に住むルリマダラシオマネキのメス。宮古島の干潟にいるルリマダラシオマネキに比べ,体色は地味である。

図 19.みそ汁定食。渡久地で食べたと思う。20 年前に来た時も同じ食堂で,同じメニューを食べたと思う。若いころは食が細く,食べられるメニューは少なかった。初めて沖縄に来た頃は,沖縄そばさえも食べられなかった。唯一食べられたのは「みそ汁定食」だった。

図 20.泥干潟でのアナジャコ類の採集(屋我地島)。トゲスナモグリがいてもよさそうだが,この干潟には生息していなかった。ヒメアナジャコも採集できなかった。しかし,景観だけは抜群である。自分はこういう仕事をしているからこそ,長続きしているのだと思う。

図 21.ピナイサラの滝。2017 年 5 月 2 日には,沖縄本島から西表島に戻り,泥干潟で採集を行った。琉大の熱研から海岸沿いの道路に下りて 1 km ほど東に走れば,陸側(ヒナイ湾の奥)に滝が見える。西表島は,船浦から北側の海岸にかけて海岸沿いに垂直の崖がそびえている。

図 22.カンムリワシ。電線にとまっている。カンムリワシは,かつてはヒナイサラ滝の周辺など,原生林の上空で声を聞くことが多かったが,最近は野良に出てきて道路沿いの電線によくとまっている。人慣れしてしまい,撮影に近づいても逃げることが少なくなっている。飛翔中の雄姿は見られなくなっている。個体数は 20 年前に比べてずいぶん増えている感じがするが,道路沿いにいることが多くなったせいかもしれない。

図 23.アオバト。本州で冬に見られるアオバトと遺伝的にどれだけ違っているか不明である。留鳥なので本州に生息するのと同じ種とみなしてもいいかもしれない。ただこれは私の主観であって,どうしてもリュウキュウアオバトでないといかんと思う人は,そういうふうに呼べばよい。アナジャコ類の時もそうだが,ただ見てくれだけで同種かどうかを激しく議論することに加わりたくない。同種であれ異種であれ,アオバトの特性に興味がある。

図 24.電線にとまるアオバト。アオバトは西表島には多い。カンムリワシのように人懐っこくない。撮影しようと思って近づくとすぐ逃げてしまう。もっと敏感なのはリュウキュウキンバト。これはなかなか写真に撮れない。

図 25.アカショウビン。アカショウビンは渡りをする野鳥(migratory bird)で,5 月ごろから西表島ではよく見られるようになる。リュウキュウアカショウビンと呼ぶ人もいるようだが,琉球弧に来ている個体群をそう呼んでいるのだろう。「リュウキュウ」をつけずただのアカショウビンと言っても,全く問題ない。そんなことで議論することより,本種の繁殖行動をよく調べて研究論文として公表していただきたい。

図 26.道路わきに下りてきたリュウキュウイノシシのペア。手前の黒いのがオスで,後ろの焦げ茶色がメスと思う。本州に生息するイノシシとは,大きさも形態も違うので,こちらは「リュウキュウ」をつけて本州のイノシシと区別した方がよい。ただ,いつごろ琉球弧に定着したのかわからないが,大陸に生息する種から分かれたのであれば,地質時代のいつ頃分離したか推定できる。性格は穏やか。メスなら子供の時から飼えばペットになりそう。

図 27.カラスに襲われるウリ坊。4 月は,リュウキュウイノシシは,新しく生まれたウリ坊を連れて移動している。ヒナイ大橋を越えて数キロメートル東に行ったところの道路わきに親が現れた。親は私を見ると逃げたが,何匹か連れていたウリ坊のうち,一番幼い個体が道路わきに取り残された。そこに早速カラスが 2 匹現れてウリ坊をさらってゆこうとした。急いでウリ坊のところに行き,大声を出し必死でカラスを追い払った。

図 28.必死で土手を登ろうとするウリ坊。カラスを追い払ってから,ウリ坊の行動をしばらく見ていた。ウリ坊は土手を登ろうとするが,途中まで登るとずるずると滑り落ちてしまった。獣特有の臭いは発していなかった。

図 29.土手を登ろうとするウリ坊。少し上っては動かなくなってしまう。手足の筋肉がまだ発達していないせいだろう。助けてやらないと,親からはぐれてしまうだろう。そうなると一人で生きて行けるかどうか?

図 30.疲れ果てて地面に腰を下ろすウリ坊。結局ウリ坊は一人ではこの土手を登れなかった。万が一かまれると困るので,近くから棒を 2 本持ってきて,棒で体を支えて土手の途中まで上げてやったら,一人で登って行った。へたっていたのは 10 分ほどだったので,親は土手の奥でウリ坊を待っていたと思う。私のウリ坊助けを遠くから車の中で見ている人がいた。何と思っていたかはわからない。道路わきに車を止めると危ないと言われた。

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