令和5年(2023)4月25日(火)
1.はじめに
今年(2023)は,3月1日(水)に巣箱の掃除を始め,3月18日(土)に終了した。生物多様性研究・教育プロジェクトが管理する巣箱は,加賀郡吉備中央町,美咲町江与味,高梁市有漢町・巨瀬町・川面町,それに新見市北房町にかけて全部で200数十個に達している。
私一人で電柱に登り,全部の巣箱を掃除するのは大変であるが,基本的に一人でやらざるを得ない事情がある。つまり,私が来る分には文句は言いづらいが,他の人たち,特に若い人たちだけで行うと,大変困った事態になることが度々あった。私一人でやれば(正確には私が同行すれば),地元の人たちとのトラブルは確実に減る。
ブッポウソウの研究では,多くのトラブルを経験して,今ではほとんどの巣箱は,巣箱の設置に好意的な方々の家の近くにが設置されている。代変りがあると,トラブルが起きることがある。
トラブルが起きたときには,文句を言ったものは,県・市・町の関係する部署とか所属する組織(大学や研究所等)に連絡してくるか,直接怒鳴り込んでくる。当該部署とか所属する組織が「お客様撃退係」になってくれればよいが,部署や組織の担当者の判断が悪いところでは,トラブル解決に時間がかかる。
私個人の苦い経験から言えば,警察が動くようなトラブルでない限り,「どうもすいません」と一言を残し,迅速に現場を去るのが良いと思う。巣箱が残っていれば,誰もいないときにそっと電柱に登り,取り外す。後はその付近には一切行かないようにするのが一番良い。しばらく黙っていればトラブルは解決する。
繰り返すが,一度トラブルが起きた場所には2度と近づかない方がよい。大事なことは,そういう経験から,人間の持つ性質のvariationを学ぶことである。うまく野外研究を進めている人たちは,失敗を重ねながら,みな自分なりのトラブル解決方法を見出している。
巣箱の利用状況の調査(inspection)は4月13日から始まった。途中3日間は雨で中止した。一巡目が終わったのは,4月20日。5日間で一巡することができた。以下は,春の里山の風景と巣箱の近くで見られる昆虫類や花と,卵を温めている野鳥の写真を掲載した。
2.被写体と撮影に関する基礎情報
<撮影者と所属> 三枝誠行(生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。
<撮影場所と撮影日時>令和5年(2023)4月16日(月)~4月20日(木)。
<撮影機材> SONY RX10Ⅲ, およびCASIO Exilim。
<参考文献> Newton, I. 1998. Population Limitation in Birds. Academic Press.
図1.春の里山の景観。高梁市巨瀬町。このあたりに住む人たちも含めて,多くの所は好意的でトラブルは起きない。
図 2.ミヤマセセリ。ウスバシロチョウと並んで里山の春を代表するチョウ。岡山県北に行けば,少ないがギフチョウも見られる。
図 3.ツバメシジミ。高梁市川面町の里山ではたくさん見られた。春にはどこにもふつうにみられるチョウである。
図4.キジ。ペアでいることも多い。ブッポウソウよりもずっと美しい野鳥に思える。本種こそ保護してお客さんに見せたらよいと思う。
図5.天福寺の境内で写真を取っても怒られない。こういう所でブッポウソウを見ながらお弁当を食べると一日を楽しく過ごせる。
図6.ヤマガラの卵。吉備中央町和中にあるWA-01の巣箱。ブッポウソウが来たら卵やヒナは全部殺される。
図6.シジュウカラの卵。ブッポウソウが来れば,巣は荒らされて卵は全滅する。巣を移したら,今度はシジュウカラの親が世話をしなくなる。
図7.スズメの巣。積まれたワラの中には親が隠れている。多分卵もある。ブッポウソウが来たらスズメの巣も全滅する。
図8.ヤマガラの親と卵。親は巣箱に入ってきたカメラに驚いて巣箱の縁に移動。
図9.シジュウカラのメス親の威かく行動。プシュー・プシューという強い鳴き声を発する。シジュウカラの持つ言語と言ってよい。
図 10.シジュウカラ(オス)の威かく行動。やはりプシュー・プシューという鳴き声を発している。尾は広げたまま。
図 11.タラノキ。新芽は食べごろ。山林は個人所有の所が多い。基本的には,所有者の許可を得て芽を取ることは知っておくべきである。
図12.私は取っても怒られないが,初めてやってきて幹を切ったら,すごく怒られるかもしれない。怒られるだけで済めばよいが,それ以上の行動に出る爺さんがいる。私はそういうのを「因業じじい」と称しているが,彼らの期待する「誠実さ」は社会的常識を超えている。都会からやってくる人たちは,田舎の特殊性に気づいていない。どの社会(都会も含む)にもそういう特殊性がある。よく勉強しておかれたい。要は,たびたび里山を訪れて,人々と挨拶を交わせるようになればよい。このケースを道徳教育として導入しようものなら,道徳教育自体が強い批判にさらされ,授業ができなくなる。英作文の学習もそうだが,自分自身で試行錯誤(失敗)を重ね,目的達成に向けた良い方法を開発すること。