令和5年(2023)1月22日(日)
1.はじめに
私はかつてある大学(複数)で,教員として一般教育科目や専門科目の授業を担当した。名称は色々変えたが,環境生物学(Environmental Biology)とか,動物系統進化学(The Realm of Life)とか,進化生物学(Evolutionary Biology)の名称の授業が多かったと思う。生態学は,そもそも私の肌に合う学問ではなかったので,そういう科目名にしたことはない。また,動物行動学Animal Behavior)は研究分野としていいが,授業科目として成り立たせるのは難しい。日本ではまだ学問分野として成立していない。生物リズム学(Chronobiology)だと範囲が狭すぎる。生物分類学(Taxonomy)だと,途中で(自分が)飽きる。
私の場合には,専門科目の授業であっても,専門分野の最新の研究結果の受け売りはしなかった。最新の研究成果は,研究者にとっては把握するのは当然だが,学問の背景がよくわからない学生に詳しく説明しても,理解できる人はまずいない。これは学生の基礎学力の不足もあるが,主要な原因は現代社会における学問分野の多様化や細分化に関する教員側の理解不足である。最近の科学技術の目覚ましい発達により,それを支える研究分野は多様化し,細分化している。同時に,新しい学問の台頭を受けて,消えてしまったり,著しく立ち遅れてしまった研究・研究教育分野も多い。
日本の大学では,既得権(例えば科学研究費補助金を審査する分野とか,誰が審査員になるとか)の維持をめぐって大きな力が働いている。既得権を大事にする人たちの特徴は,生まじめな性格である。生まじめさゆえに,新しいもの・変わってゆくものを受け入れるのが苦手という側面を持つ。結果として,古き良き時代の学問にこだわり,新しく台頭した分野を頑なに拒否したり,学問が複合的・融合的な方向に向かうことに著しい抵抗を示す人たちが多い。早い話,古き良き時代に成功した人に限って,学問の新しい流れに乗れない人たちが多くいるということなのだが,そういう方々は,視野が狭く,いつまでも自分中心の政治や教育をすることが特徴である。
私は,複雑な要素が絡んだ研究・教育分野(複合的な分野)が好きである。授業の中身は,過去の研究や監察の結果として世に出された事実や学説を,私見を交えずに解説し,続いて自分の意見を述べる。研究分野の複合的な要素,具体的には分子生物学,動物生理学,発生生物学,集団遺伝学の知見はできる限り多く取り入れたので,高校の生物教科書で言えば,すべての領域を解説していたような気がする。
・・・とは言え,一方的な解説(自分の独りよがりの説明)だと,聞いている学生は少ない。双方向的な教育を目ざして,視聴覚的な効果を試してみた。人は何かインパクトのあるものを見せられたり,聞いたりすると,その情報に注目するという性質がある。中国の三国時代(220年~280年のわずか60年間)では,人の持つそんな習性が盛んに利用された。だまされて,のこのこと敵陣に出て行き,首を取られた人々が大勢いただろう。日本の社会でも,どの時代にあっても,インパクトのある視聴覚情報は,戦(いくさ)に多用された。
私の授業も,学生をインパクトのある画像でだまし,きれいな画面に見入っているうちに,専門用語をちりばめてつじつまを合わせるやり方だったと思う。ちょっと卑怯な手段だが,歴史を見れば,みんなそうやって他人をだまし続けてきた。不謹慎な発言だが,教育の効果は,ある意味,人をどれだけ騙せたかで評価できるのではないか?
授業の内容を,多くの学生が答えられるレベルに下げてしまうと,学生をおだてて卒業させることしかできなくなる。「ちょっとは苦労しておくんなまし・・・。」ということで考え出したのが,授業内容をA4判の用紙にうまくまとめて記述していただくことであった。授業時間の中だけでも,勉強していただくことにした。
毎回のレポートは10点満点で採点し,次回の授業の前に学生に返却した。この方法だと,男子学生に比べて女子学生の成績がはるかに上回る。女子学生の中には,幼少のころから習字を習ったり,楽器を演奏したりする機会を持った人も多いだろう。その成果が,大学に入ってからこういう形で開花したのかもしれない。
この方法には欠点もある。履修できる学生数が限られることである。50名ぐらいまでなら何とかなるが,100名になると採点に1日中かかり,研究に大きな支障が出た。こんな授業を週に3つも持ったら,私の人生すぐにパンクする。
それと,今考えれば,評価の基準を厳格に守ればよかったと思う。毎回授業を聞いていて,授業の終わりにレポートを提出すれば,全員が合格できる。だから,総点が6割に満たないというのは,授業の内容とか,私の人格とかの問題ではなく,学生の方にやる気がないと考えてよいだろう。だから合格点は,総点にして6割以上を堅持できたはずである。自分の弱さに負けていた。
「サンゴ礁とサンゴ礁原」のテーマについては,過去に授業に使った多くの写真が残っている。それらの写真や資料を活用して,環境保全学や環境教育学のお役に立てそうなテキストを作成したい。
日本列島と西表島の位置
1.西表島の基本情報
<西表島の位置> 24º20’ N; 123º48’E
<岡山から西表島への行き方>
岡山空港からは,トランスオーシャン航空(昔は南西航空),8:15発の那覇行きの便がある。那覇には10:30着。那覇からはトランスオーシャン航空,11:00発の便があったが,今はないみたいだ。(14:50発だと当日に西表島に到達できない可能性がある。)以前は,新石垣空港に12:00について,12時15分ごろの離島桟橋(りとうさんばし)行きのバスに乗れば,13時前後には石垣港に着いた。13:00発の大原航路(高速船)に間に合えば,それに乗ると13:40に西表島の大原港に着く。
そこでレンタカー(西表レンタカー)を借りて島の西側(上原)にある琉大熱研の西表実験施設に行く。南西諸島には,大潮(spring tide)に合わせて行く。北回りの途中では,14:30ごろだとまだかなり潮が引いているので,海岸に立ち寄って採集を行うことが多い。しかし,赤離(アカパナリ)から実験所までは,30分かかるので,遅くとも15:30には海岸から戻ってくる必要がある。採集はわずか1時間で終了。実験所のある上原には16:30までに着いて,すぐに宿泊手続きをする。
時間はかかるが,船で行く手もある。昔(1970年ごろ)は,晴海埠頭から那覇港まで直行便があった。現在は,その航路はないと思う。
昔のことを紹介すると,晴海埠頭は,昼過ぎに出港したと思う。那覇丸(琉球海運)とかいう船名だったような気がする。春(3月)に行くと,九州の沿岸からトカラ列島までは風が冷たい。晴海ふ頭から那覇港までは,3日間かかった。
最初の晩は,紀伊半島の付近にいた。早い人はすでに船酔いに悩まされ始める。船酔いは最初の日の晩が一番激しい。夕食後は,多くの人が我慢してトイレまで来るが,便器にたどり着く前にもどしてしまう。1日目の夜は,部屋(トイレ)自体が便器と化す惨状となっていた。(すみません,変な話を持ち出して・・・。),2日目は,カラ列島を航行する。寒さもあってデッキに出た記憶がないので,一日中寝ていたのだろう。
3日目は,奄美大島の付近から始まるだろうか?やっと歩けるようになって,船内を行ったり来たり。デッキに出ると,昨日までと違って,吹く風が妙に生暖かい。うねる波の隙間を縫ってトビウオの集団が波の上(と言っても,水面からせいぜい数十センチ上空)を集団で滑空する姿はいつまでも忘れられない。3日目の昼頃に那覇港を下りても,体はずっと上下左右に揺れ続けていた。
那覇では1日おいて泊港から石垣港行きの船が出たと思う。1,000トンぐらいの船で,海は荒れているので揺れる・揺れる・・・。荒波はデッキにまで押し寄せ,波をかぶってずぶ濡れになる者もいた。船は昼過ぎに出て,1番船中で過ごし,次の日の朝に石垣港に着いたと思う。那覇–石垣間では,私は強い船酔いには悩まされなかった。夜にデッキに出ると満天の星が輝き,長周期のうねりの波が月明かりに照らされて移動しているさまは,美しさを通り越して怖い感じさえした。
当時は,東京を出てから西表島に着くまでに1週間かかった。船旅は,船酔いという苦痛を伴う。しかし,こんな苦痛でも,楽しかった思い出となって心に残った。しかし,なぜ苦痛が楽しい思い出となって残るのか,いまだによくわからない。一方,楽しい思い出に浸る時間が長くなると,今度は,自分はなんとダメな男だったのかという後悔の念に変って行く。人間というのは矛盾した存在なのだ。
船で行く場合には,2月下旬から3月上旬までに出港することになるだろう。南西諸島で1か月にわたって旅を続けるのは大変良いことである。しかし,遅くとも4月10日から15日前後までに帰らないと履修手続きができなくなるので注意されたい。
<西表島の四季と生物の活動>
冬(1月から2月)の平均気温は高いが,体が高い気温に慣れるため,冬はやはり寒い。3月後半になると夏らしい気候になる。小雨が降り,気温が昼から下がらない日の晩(つまり生暖かい風が吹く晩)になると,サキシマハブがいたるところで見られる。カミキリムシ(ヒメカミキリ類,ヤノヤハズカミキリ,サビカミキリ類)やヒラタクワガタも電灯に飛来する。3月後半で,しとしと雨が降り,生暖かい風が吹き,夜になっても気温が下がらない晩があったら,それが西表島に春,いや夏が来たサインである。
2.被写体と撮影に関する基礎情報
<撮影者氏名> 三枝誠行(NPO法人生物多様性研究・教育プロジェクト常任理事)。
<撮影場所> 西表島(沖縄県八重山郡竹富町)。
<撮影時期> 2005年前後。大潮(spring tide)の期間。4月から5月。(今はブッポウソウがあるから,4月から8月は行けない。)
<撮影機材>南西諸島に行ったときには,同行者にはPENTAXのOptioという水中でも使えるカメラを持たせてやったと思う。Oputioは,子供たちを対象にした野外観察の事業(事業名は忘れたが,文部科学省の事業だった気がする。)を実施する際に校費で10コほど購入した。管理上は備品ではなく消耗品にした。もちろん売ったりすることは絶対になかったが,壊れたり,持ち出して返却されなかったりで,6~7年で全部消えた。Optioはよく働いたカメラだったと思う。今はOptioの後継機種ではなく,NIKONのCoolpixやRICOHのWG–50を使っている。
なお,図中の矢印で示した厚岸・菅島・牛窓(うしまど)・西表島は,海産動物プランクトンのサンプリングを行った場所を示している。海産プランクトンのサンプリングについては,別な機会に紹介したい。
3.参考文献(文献は新しいものほど良い場合もあるが,古い文献にもいいものはたくさんある。)
- Castro, P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology (Fifth Edition). McGraw Hill, Higher Education.
- ファビアン・クストー(内田至監修)(2018)改訂新版 海洋大図鑑-OCEAN。DKブックシリーズ。
- 畑中幸子(1967)南太平洋の環礁にて。岩波新書。
- ハンソン(八杉竜一訳)(1975)動物の分類と進化。現代生物学入門6。岩波書店。
- 平尾正治(2007)ソロモン軍医戦記―軍医大尉が見た海軍陸戦隊の死闘。光人社NF文庫。
- 星野義延・吉川正人・星野順子・齊藤みづほ(2004)西表島渓流辺植物群落の成立要因の解明と保全に関する調査研究。西表島渓流植生調査団報告(https://www.nacsj.or.jp/pn/houkoku/h15/h15-no03.html)。
- 池原貞雄・安部琢哉・城間侔(1978)尖閣列島, 南小島を訪ねて。沖縄生物学会誌16:39-44。
- 神谷厚昭(2001)西表島の地形と地質(露頭の紹介を中心として)。西表島総合調査報告書:自然・考古・歴史・民族・美術工芸。Pp. 3–20。
- 沖縄県立博物館。
- 京浜昆虫同好会(編)(1973)新しい昆虫採集案内(Ⅲ):離島・沖縄採集地案内編。内田老鶴圃新社。
- 小島圭三・林匡夫(1969)原色日本昆虫生態図鑑。I:カミキリ編。保育社。
- 菊池俊英(1976)人間の生物学。理工学社。
- 石原勝敏・庄野和彦(他13名)(2007)新版生物Ⅱ(新訂版)。実教出版株式会社。
- 今堀宏三・田村道夫(1978)系統と進化の生物学。培風館。
- 坂野徹(2019)島の科学者―パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究。勁草書房。
- 三宅貞祥(1983)原色日本大型甲殻類図鑑 Ⅰ・Ⅱ。保育社。
- 仲底善章(2001)西表島総合調査報告書:自然・考古・歴史・民族・美術工芸。Pp. 131–148。沖縄県立博物館。
- 西村三郎(1983)動物の起源論:多細胞体制への道。中公新書。
- Nybakken, J.W. (2001) Marine Biology: An Ecological Approach. (Fifth Edition). Benjamin Cummings.
- 小野幹雄(1994)孤島の生物たち。岩波新書。
- 小川功(2017)50 年前の沖縄の船旅:本土復帰前の「アメリカ世」の「島ちゃび」瞥見。跡見学園女子大学マネジメント学部紀要,第24号。
- オパーリン(江上不二夫編集)(1956)生命の起源と生化学。岩波新書。(大学の一般教育科目の「化学」を履修した際のレポートに使った。)
- 琉球大学ワンダーフォール部(1972)南海の秘境・西表島。出版社不明。(Web復刻版:http://skillet.jp/ruwv/iriomote/)。
- Saigusa, M., and K. Oishi (1998) Emergence of small invertebrates in the sallow subtidal zone: investigations in a subtropical sea at Iriomote-Jima in the Ryukyu islands, Japan. Benthos Research 54: 59–70.
- Saigusa, M.(2001)Daily rhythms of emergence of small invertebrates inhabiting shallow subtidal zones: a comparative investigations at four locations in Japan. Ecological Research 16: 1–28.
- Saigusa, M., Hirano, Y., Kang, B. J., Sekine, K., Hatakeyama, M., Nanri, T. Hamaguchi, M., Masunari, N. (2018). Classification of the intertidal and estuarine upogebiid shrimps (Crustacea: Thalassinidea), and their settlement in the Ryukyu Islands, Japan. Journal of Marine Biology & Oceanography. 7 (02): 1-12. available online at https://doi.org/10.4172/2324-8661.1000192。
- シュレーディンガー(岡小天・鎮目恭夫訳)(2008)生命とは何か:物理的にみた生細胞。岩波文庫。
- 周文一(2004)臺灣天牛圖鑑(全新美耐版)。貓頭鷹出版。
- 高良哲夫(1969)琉球の自然と風物:特殊動物を探る。琉球文教図書。
- 竹富町誌編集委員会(1974)竹富町誌。竹富町役場。
- (西表島・網取にある東海大学臨海実験所(正式名称は知らない。)で見た「竹富町誌」と同じか不明。)
- 内田亨(196)動物系統分類学の基礎。北龍館。
- 山田真弓・西田誠・丸山工作(1981)進化系統学。裳華房。
- 横塚眞己人(2004)西表島フィールド図鑑。実業之日本社。
- 吉見光治(1993)西表島:マングローブの生き物たち。ニライ社。
石垣港を出て西表島(大原港)に向かう。後ろに見えるのは石垣市内。大原港には出港後40分で到着する。
北回りの航路。1971年に第三幸八丸で干立に行ったときには、3時間以上かかった気がする。正面に見えるのは古見岳(470m)だが、海や山ではカメラの中央が正面になるだけなので注意。
西表島における研究の拠点となる琉球大学熱帯生物圏研究センター(熱研)西表研究施設。かつては,宿泊棟の周囲に夜に電気がついて多くのカミキリムシやガが飛来した。
ヒナイ川の河口。正面はどこも絶壁で,登れないし下れない。写真の後ろ側(北側)も絶壁が続く。西表の山は深い。山の中で道に迷ったら必ず魔がさす時がある。危機的状況から一刻でも早く解放されたいというあせる気持ち(苦痛の一種)から,まっすぐ進めば見慣れたところが現れるにちがいない,という幻覚が現れる。人の行ういろいろな判断の中で,一番危険な瞬間である。その時には,渾身の力を振り絞って幻覚を打ち消せるかどうかで,自分の命を救えるかどうかが決まる。西表島では木に括り付けたリボンを見つけながら山歩きをするのがコツ。
ヒナイ川河口(船浦湾)にかかる橋(通称「船浦海中道路」)。開通したのは1976年。湾の奥にはピナイサラの滝がある。橋の手前にはモクマオウの群落がある。
祖納岳中腹にあるNHKの電波中継所から見たサンゴ礁原。右手に干立の集落がある。10年後に同じところから撮影したが,景観は全く変わらなかった。
祖納岳の中腹にある休憩所から見たサンゴ礁原。潮(tide)が上げているときに撮影したと思う。
祖納岳の中腹にある休憩所から見たサンゴ礁原(南側の海岸)。ここ海岸は舟浮海運のじいさん(前社長)に頼まないと行けない。陸伝いは無理。
干立の裏側(つまり西側)のサンゴ礁原。大潮(spring tide)の干潮時(low tide)に撮影。リーフの縁にはここから行ける(100m ぐらい)。
干立の裏側(つまり西側)のサンゴ礁原。遠くに見えるのはゴリラ岩。同じ景観が 1,000 年以上全く変わらずに続いてきたと思う。人に会うこともない。
サンゴ礁原のタイドプールにおける生命活動。サンゴ塊(死骸)には褐藻類と緑藻類がくっついている。底質(substrate)は泥ではなく,砂である。
上原の電波中継所から見た鳩間島。上原から目の前に見えるが,まだ一度も行ったことがない。