令和4年(2022)10月18日(火)
春から夏にかけては,ブッポウソウの行動研究に時間を取られ,「令和4年ブッポウソウ情報」の方は継続できたのだが(令和4年は,10月17日現在でNo. 36まで発刊済み),「四季折々の自然の風景と野鳥」の方は,この期間(春から夏いっぱい)ちょっとお休みをいただいた。
「四季折々の自然の風景と野鳥」は,今は亡き近澤峰男さん(図1)が残された数多くの写真をもとに,四季の自然の移り変わりと野鳥の行動を,近澤峰男さんの想いに沿って記述してみようという試みである。近澤さんの撮影された写真は素晴らしいが,写真自体は物を言うことはない。だから優れた写真の羅列(つまり写真集)では,自然の本当の姿に気づきにくい。文章を付け加えることによって,写真から得られる情報量は飛躍的に増加する。
図1.白山(兵庫県西脇市)の頂上(35º02’50’’N, 135º01’19’’E)の岩に腰掛ける近澤峰男さん。平成24年(2012)4月19日ご自分でタイマーを使って撮影されたのだろう。
野鳥の繁殖時期は種類によって異なるだろうが,一般的に言えば,ヒナに与えるエサが豊富な時期に集中している。里山や森林で子育てをする野鳥は,昆虫を食べる種類が多いだろうから,繁殖時期は昆虫の発生に合わせて,春から夏に集中しているように思われる。一方,多くの野鳥が子育てを終える夏以降は,どんな種類がみられるのか,近澤さんの残した数多くのファイルから10月に撮影された野鳥をいくつかピックアップしてみた。
図2.タラノキの枝にとまるオオルリの幼鳥(メス)。平成24年(2012)10月24日,岡山県内で撮影。岡山県内ではタラノキは里山に多いので,あるいは吉備中央町あたりで撮影されたのかもしれない。こんな美しい野鳥の画像を見たら,最新のカメラと最高級レンズを駆使して撮影してみたくなる気持ちはよく理解できる。
図2はオオルリの幼鳥がタラノキの枝にとまっている写真である。タラノキの幹や枝にはとげが生えていて,こんなところにとまったら足が傷つきそうである。偶然そこにとまったのか,エサがいてそれを食べに来たのか不明。タラノキは葉も幹(枝)も昆虫(カミキリムシの幼虫が多い)に食害を受けることはめったにないので,多分偶然にここにとまったのであろう。
オオルリの幼鳥(図2)の羽(feather)や羽毛(plumage)の色を見ていると,多くの図鑑によく似た色合いの野鳥が掲載されていることがわかる。巣立ちしてから間もない野鳥は,頭部から背中の前半部にかけて羽が茶色になる傾向があるのだろうか?ベンガルブッポウソウ(Coracias benghalensis)の成鳥もそんな感じである。なお,Coracias benghalensisはIndian Roller(インドブッポウソウ)と呼ぶことが多いようだが,種名にbenghalensisとついているので,ベンガルブッポウソウと呼んでも差し支えないだろう。特に日本人に多いということではないだろうが,生物の呼び名や数え方で異常と思えるほど,「正しい(?)」呼び方や数え方にこだわる人たちがいる。野鳥を数えるのに1羽2羽でなくても,1匹2匹と言っても全く問題はない。私はこのような記事では,1匹,2匹,論文(日本語と英語)では1個体,2個体ということが多い。形式に異常なこだわりを持つから,ひとつのことだけが正しいと思うようになってしまうのだろうか?つまらない形式(formality)に固執するよりは,「数を数える」とか「歌を歌う」とかの日本語の原始的な表現を何とかしたらどうか?
こういう話をしても,誰も関心を示さないので,オオルリの幼鳥(young)の話に戻る。この幼鳥(図2)は10月24日に撮影されているが,えらくのんびりしている感じがする。渡りの時期はとっくに終えたのではないだろうか?ちょっとばかり心配になった。
ちなみにブッポウソウ(Eurystomus orientalis)は,7月いっぱいで9割以上のペアが子育てを終える。巣立ちしてから2週間程度は親子で生活し,ほとんどの個体は8月半ばまでには渡りに入ると思われる。2022年は,8月24日に和中で幼鳥の鳴き声を聴いた。私にとっては,8月24日が最も遅い時期だったが,9月1日に聴いたという方もいた。
図3.樹木の小枝を飛ぶジョウビタキのオス。樹木の種類は不明だが,写真の下部に見える葉の感じから,サクラのような気がする。ただ,小枝の方は桜っぽくない感じだ。平成26年(2014)10月28日撮影(場所不明)
図3は小枝に飛び移ろうとするジョウビタキである。右足の人差し指に対応する部分が欠落している。足は先端がかぎ爪になっているので,どこかにひっかかってもげたのだろう。野鳥は,足の指が欠けている個体をたまに見かける。撮影場所は近澤さんのご自宅の付近だろう。
図4.平成27年(2015)10月28日。チョウゲンボウ(Falco tinnunculus)のホバリング。撮影場所は不明だが,近澤さんのお宅(兵庫県明石市)の近くなのだろう。
図4は,獲物を見つけようと空中でホバリング(hovering)をしているチョウゲンボウである。撮影は10月28日。Wikipediaによれば,チョウゲンボウは,日本では夏季に本州の北部から中部で繁殖し,冬季は繁殖地に残る個体と暖地に移動する個体に分かれる。また,本種は日本全国各地に冬鳥として飛来する,と書かれていた。夏季と冬季がそれぞれ何月なのか不明だが,冬季には繁殖地に残る集団と暖地に移動する集団に分かれること,そして日本各地に冬鳥として飛来するところが面白い。
図4に示した個体は,どのタイプなのだろうか?西日本各地は,主要な繁殖地ではなさそうなので,10月28日に近澤さんのお宅の付近に現れた個体(図4)は,夏季に本州の北部から中部のどこかで繁殖した個体が,越冬のために飛来したか,あるいはもっと南へ移動している最中なのかもしれない。チョウゲンボウは,越冬場所への移動と越冬時は,ペアではなく単独で行うのだろうか?
図5.泥干潟の上を飛ぶタゲリ。平成27年(2015)10月24日。撮影場所は不明だが,近澤さんのお宅の近くにある浜辺なのだろう。
図5は,泥干潟(mud tidal flat)の上を飛ぶタゲリ。タゲリは小集団で飛翔する姿をよく見かける。結構なスピードで飛翔しているだろうから,ISOは5,000前後,シャッタースピードは5,000分の1秒(あるいはもっと短い)ぐらいにしないと,こんなシーン(図5)は撮影できないと思う。今私がお預かりしているCanon 600mmレンズとEOS 7Dを使われたのだろう。
2015年の秋と言えば,私の方はブッポウソウの研究をめぐって危急存亡の時であった。2015年の春に,多様性プロジェクトの研究用として吉備中央町に多くの巣箱が架けられた。しかし,吉備中央町は自分の調査範囲と決めているので,自分の許可なく設置した巣箱はすべて撤去するか,もしくは全部自分のものにするという訴え(恐喝)を起こした者(名前は伏せる)がいた。何ともまあ,自分勝手な主張である。
この件について,2015年秋に吉備中央町の美原集落センターで話し合いがもたれた。その時には,多様性プロジェクトは管理する巣箱については,多様性プロジェクトが研究してよいと決まった。もちろん相手を排除した訳ではない。
しかし,その者の激高はそんなことでは収まらなかったようだ。第三者の会を招集して自分の主張を強く述べたのかもしれない。その後何が起きるか気にかけていたが,2016年にブッポウソウが飛来する時期までには,何も起きなかった。その者は,ブッポウソウの調査はもう吉備中央町ではやらないという声がどこからか伝わってきた。それ以上のことは知らない。
図6.ダイサギのペア。平成27年(2015)10月24日。ここも泥干潟だろう。撮影場所は明石市の海岸だろう。
私は,その者から何度も脅迫を受けた。今思えば,脅迫に屈しなくて本当に良かったと思う。脅迫の度に負けていたら,ブッポウソウの研究は続けられなかっただろうし,近澤峰男さんにお会いすることもなかっただろう。吉備中央町に一歩も足を踏み入れられなくされて,寂しい人生を送っていただろう。
太平洋戦争の頃は,空襲で火事が発生したら,風下に逃げるのではなく,(火が襲ってくる)風上に向かって逃げて,命が助かった人たちがいたと聞く。危険が迫っていれば,恐れてすぐに戦場を離脱する者もいるが,苦しいけれども戦って敵陣を突破するという逃げ方もある。どちらが成功するか,運不運も関わってくる。
野鳥の世界は,分類学の世界とよく似ていて,学問の基盤は証拠(evidence)とか証明(proof)とかの客観的な基準(standard)の上に成り立っているのではない。偉い人がこう言ったからとか,世間ではこういう常識になっているとか,権威者の主観に準拠した行動規範(権威主義)の上に成り立っている。
なお,権威主義(英語はauthoritarianism)とは, 権威をたてにとって思考や行動すること,権威に対して盲目的に服従する個人や社会組織の態度をさす,と説明されている。
地域にある多くの自然保護団体の中には,大学・博物館・研究所等も含めて,証拠とか証明とかの客観的事実に基づくのではなく,権威者の衣を借りて自分の意見を強く主張する者がいる。日本では,権威に逆らえば処罰されることが多い。だから,組織の中で働く人々は,権威に逆らうことを恐れる。会議では,権威を利用する一部の者(しばしば狂気が入る)の意見が通ることが多くなるだろう。そうすると,組織の同僚が権威を利用する者のご機嫌伺いをするようになり,結果として組織や団体全体が一気に権威主義に傾いてしまうことが多い。
日本で自然誌(natural history)研究が進まないのは,権威主義を傘にして自己主張を強める(つまり利権を求める)各種団体や組織の縄張り争いや小競り合いが横行して,本来の目的が達成できにくいためである。私は,お金を儲けることは考えていないので,そういう組織や団体とのつながりは,可能な限り排除したい。また,権威を傘にして自己主張を強める組織や団体,あるいは個人は,いかに権威者であるかは知らないが,まだ自分で判断できない無垢な(?)学生に,自分たちの偏った価値判断を植え付けて,研究室に持ち込ませるのは,やめていただきたい。大きなトラブルになることは,目に見えている。まず,自分たちに偏った価値判断がある可能性をよく自問自答してほしい。
湿っぽい話はそれぐらいにして,図6をご覧いただきたい。ダイサギのペアが,海岸の泥干潟に下りるシーンである。どっちがオスでどっちがメスかはわからない。足の形をよく見るとちょっとグロテスクな感じもする。こんなのが頭の上に乗っかったらと思うと嫌な感じだ。(しかし,そんなことを想うのは滑稽だという人もいるだろう。)前々から思っていたことだが,ハクチョウやタンチョウ,そしてダイサギ(鳥綱)の長い首の動きは,ヘビ類(ハ虫綱)の体の動きによく似ている感じがして仕方ない。系統的な要因が絡んでいるかは不明であるが,どうもあのくねくねとした首の動きは好きになれない。
・・・が,図6には首の動きは写ってはいない。全体的には和やかな雰囲気が漂っている。目つきもアオサギに比べて穏やかであるし,何よりも常日頃ペアで行動しているという安心感も感じ取れる。
野鳥は,単独で活動している種類は多いが,図6のようにペアで活動している種類も多い。繁殖期だけペアで活動する種類もいるだろう。ブッポウソウは,同じ巣箱には毎年同じペアが やってきて子育てをしている。また,繁殖地にやってくるときにはペアで飛んでいる姿をよく見かける。ブッポウソウは,キジバトと同じように,一年中ペアになっているケースが多いように思える。沖縄本島に生息するノグチゲラもペアが成立すると,どちらかが死ぬまで同じペアでいる傾向が強いことをどこかの記事で見た記憶がある。
だからと言って,ブッポウソウの巣箱に飛来する日にちは,すべてのペアで同じという訳ではない。例えば,吉備中央町の和中にある巣箱のうち,WA–96は毎年同じ日にペアが現れる。しかし,WA–01の方は,毎年違った時期に巣箱に現れる。オスの方は,メスそっちのけで近くにあるWA–02に入ろうとするペアを追い出すことに余念がなく,産卵が近づくまでWA–01は空っぽ状態になる。
図7.セイタカシギのペア。平成27(2015)年10月12日。撮影場所は海岸ではなく,池のほとりであろう。
図7は,池のほとりにある砂泥底に降りるセイタカシギのペアを示している。私は野鳥がペアになった姿が好きで,近澤さんが残した多くの写真の中からペアで行動する姿を多く掲載することになるだろう。しかしそれは,私にとって好感の持てる写真ということであって,生物とはそうあるべきだと主張するつもりはない。ましてや,人の社会もそうあるべきと主張するつもりは毛頭ない。
<参考文献>
- Gibb, J.A. 1950. The breeding biology of the great and blue titmice. Ibis 92: 507-539.
- Lack, D. 1950. The breeding seasons of European birds. Ibis 92: 288‒316.
- Lack, D. 1968. Ecological Adaptations for Breeding in Birds. Methuen, London.