令和4年(2022)ブッポウソウ情報 No 33:生物の生と死

令和4年(2022)8月19日(金)

 巷(ちまた)では,森の宝石とか言って,ブッポウソウがいかにきれいかを紹介する写真が,インターネット上にあふれている。しかし,私はそのような記事に関心は持てない。

図1.オオカマキリに捕食されるヒグラシ。翅を震わせ弱々しく鳴いているが,頭部はすでに半分食べられている。

 私の関心は,里山に生きる生物を通じて,里山(woodland)の世界に分け入り,科学の言葉で世界を表現することである。今までに,絵画,音楽,彫刻,それに和歌を通して里山の世界に分け入る試みは多かった。「奥の細道」は,割と科学的な感じの物語になっているが,「徒然草」は,けち臭いじいさんが,何かにつけて気に入らんとボヤいている印象を受ける。

 里山という名称は,植物生態学者がつけたのだろう。照葉樹林帯などと同じように,事実よりもイメージの方が優先している。私には,常緑広葉樹林帯の方がより適切な名称と思える。

 里山と対比して里海もある。英語だとcoastとかinletが該当するのだろうか? 里海になると,さらにイメージの方が強くなる。一概に里海と言っても,瀬戸内海の沿岸域と高知県の(外洋に面する)沿岸域では,大きな違いがあるのではないか?事実からイメージの乖離が始まると,その延長線上には,オカルトの世界が見えてくる。今や巷でもてはやされるブッポウソウも,森の宝石というオカルトの折り紙に包まれて立派な「化け物」になりつつある。

図2.ヒグラシの亡骸(なきがら)を弔うスイレンの花。7月初めから花が咲き,花期は2か月に及ぶ。里山に生き,里山で命を閉じる多くの生命を弔うことができるだろう。有漢町上有漢・長代公会堂前にて。8月3日。

 吉備中央町の里山では,7月下旬に入ると毎日ヒグラシの大合唱を聞くことができる。大合唱は長くは続かず,8月上旬で終了する。ヒグラシのオスの生存期間は,10日から15日程度と予想される。

 8月3日は,巣箱(B-08)のある池の辺(ほとり)で撮影をした後に,上田西から井原に出て,広域農道(奥吉備街道)を通って上有漢に行った。「有漢どん詰まり」の状況を見てから,広域農道を通って,再び巣箱のある池に来てしばらくブッポウソウを観察した。

 観察が終わって,和中の基地に帰る途中で,コナラの木の根元近くで変な鳴き方をしているヒグラシの声を耳にした。軽トラを降りて,鳴き声のする場所を見ると,ヒグラシのオスがオオカマキリにつかまって頭部をムシャムシャと食べられているところであった(図1)。

 野外で仕事をしているとこんなシーン(図1)は,特段珍しくはない。田んぼの畔でトノサマガエルがキュー・・・キュー・・・と鳴きながら,鳴き声が草むらを移動してゆくことがある。これはシマヘビかヤマカガシがトノサマガエルをくわえて草むらを移動してゆくところである。ヒグラシやアブラゼミが木の幹で変な鳴き方をしているときは,大抵オオカマキリの捕食にあっているときである。共に里山ではよく目にする光景である。

 生物の世界では,どの命(life)も大変軽い。ヘビやカマキリ(捕食者)は気軽にカエルやセミ(被捕食者)を捕まえて食べている。如何に凶悪な捕食者であっても,時間が経てばあっけなく死ぬ。人の命も,戦場でも負けが込んでくれば,急速に軽くなって行くであろう。

 自然界のはかない命は,動物の生死と相前後して野に咲く花によっていくらか慰められるかもしれない。上有漢にある長代公会堂の横には小さな池がある。8月3日には池に咲いているスイレンの花を見かけた(図2)。清楚な色の花弁は,里山で命を閉じた多くの昆虫類の亡骸を弔っているようにも感じられる。しかし,とうとう自分のボケが始まったようにも感じられる。多分後者の可能性の方が高いのだろう。

図3.真夏に咲くサルスベリの花。原種に近いと思われる。右側奥の電柱にはI-03の巣箱が架けてある。I-03のブッポウソウのペアも警戒心が強い。このあたり(100mの距離)からだと,何とか撮影することができる。8月3日。

 上有漢の安元(やすもと)から棚田のある小道を下っているとき,道端に咲くサルスベリの花を見つけた(図3)。このサルスベリの花は白色をしているが,わずかに桃色が入っているのがわかるだろう。系統学的には原種に近いのかもしれない。誰かがここに植えたのではなく,自然に生えたと思われる。

 サルスベリというと,ピンク色の綺麗な花を連想する方が多いだろう(図4)。桃色の花をつけるサルスベリは,人家の庭とか公園でよく見られる。共通しているのは,全然虫が来ないことである。ハエぐらいは来るかもしれない。

図4.桃色のサルスベリの花。お墓参りの時に,お墓に供える花として,よく合う感じがする。8月9日,美納谷にて。

図5.クサギの花。葉っぱを破くと少し臭う。(ドクダミほどではない。)8月13日,上田東にて。

 サルスベリの背後に見られる棚田(図3)は美しいが,畔の斜面には雑草が分厚く生い茂っているのがお分かりいただけるだろうか?こんな斜面で草刈りをするのは本当に大変である。里山で行う仕事の6割から8割は,草刈りだろう。ブッポウソウを見に来る人たちも,たまには草刈りでもすれば,里山の本当の姿を知ることができるだろう。ブッポウソウなど見物しているよりは,草刈りをしている方がずっと楽しい時もあるが,さすがに炎天下での草刈はきつい。その日の体調にもよるが,1時間もしないうちに熱中症になるので,早く気付いて日陰で休むことが大事だと思う。年取ると,温度の感受性が鈍感になるので注意が必要である。すみません,差し出がましいことを申し上げました。

 8月に入ると,吉備中央町の里山にはクサギの花が目立つ(図5)。花は,派手と言えば派手だが,地味と言えば地味である。「くさぎな飯」はまだ食べたことがないが,お盆の頃に食べたら懐かしい感じがしそうだ。くさぎな飯は,吉備中央町下加茂にある片山邸で食べられる。

図6.四角錐のお墓。お墓には「(戦没者は)大石正志陸軍兵長。昭和19年7月13日ビルマ戦死。行年三十四」と刻まれている。「昭和19年7月13日ビルマ戦死」を入力してインターネットで検索すると,昭和19年(1944)3月に始まったインパール作戦が出てくる。大石兵長はインパール作戦の終盤に命を落としたのであろう。ご遺族には,どこでどんな戦闘中に戦死されたかの情報は伝わっていると思われる。6月20日撮影。

 サルスベリの場所(図3)から,県道49号に下りられる。この道を少し上がってから,右に曲がると300mのところにM-04の巣箱がある。M-04では卵の持ち出し事件が発生したが,親が戻ってきて再度産卵し,数匹の幼鳥が巣立った。巣箱の10m手前には,四角錐のお墓がある(図6)。佛法僧は,毎年この墓を守りに来ているかもしれない。残念ながら,ビルマ(ミャンマー)にすむのは,三宝鳥ではなくベンガルブッポウソウの方だろう。渡りはしないと思う。

図7.スギの木のてっぺんにとまるダイサギ。奥に飛んでいるのは,キジバトなのだろうか?ダイサギは,キジバトの方を見ていると思う。キジバトが自分を襲うことはないと「学習」しているので,落ち着いている。里山感(woodland impact)あふれる写真と思いたいが,皆さまはどう思われるか・・・?6月30日,巨瀬町にて。

 クサギの花が咲き終わると秋も近い(図7)。そういえば,今年はカナブンが極端に少ない年であった。コオニヤンマは多かったが,オニヤンマは少なかった。この場を借りて訂正したい。

<参考文献>

  • 小田敦巳(2010)ビルマ最前線―白骨街道生死の境 。光人社NF文庫。
  • 竹山道雄(1959)ビルマの竪琴。 新潮文庫。

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