令和4年(2022)のブッポウソウ情報 No 29. ミヤマカラスアゲハ,クロアゲハ,ゴイシシジミ

令和4年(2022)8月4日(木)

 7月18日に吉備中央町の和中から井原にある綱島さんのお宅に向かうために,三納谷(みのうだに)を通った。前日降った雨のせいで,狭い道路は濡れていた。道路の脇には,ミヤマカラスアゲハが吸水に来ていた(図1)。口吻(proboscis)を伸ばして盛んに水を吸っているかたわら,しっぽの先からはおしっこが勢いよくはじけていた。これだけせっせと吸水し,勢いよくおしっこを出し続けるには,何か理由があってのことだろう。羽化して翅脈を伸ばしきるには,多量の水分摂取が必要なのかもしれない。ミヤマカラスアゲハは,吉備中央町ではよく見かける。近縁種にカラスアゲハやリュウキュウカラスアゲハがいて,ミヤマカラスアゲハとは前翅や後翅の色彩に微妙な違いがある。どれも非常に美しいチョウである。

図1.ミヤマカラスアゲハ。道路の脇の湿った場所ですごい勢いで吸水(と排泄)をしていた。撮影:SONY RX10Ⅲ。

 私は,昆虫撮影は接写レンズ(マクロレンズ)を使って行うもの思いこんでいた。具体的には,PENTAX-KrのボディにSIGMA 50mm (1:2.8) DGMacroというレンズをはめて使っていた。確かにマクロレンズは,きれいな写真が撮れる。しかし,対象となる生物にそっと近づいて,ピントを合わせる作業には,相当な我慢強さが求められる。年と共に質の高い写真は撮影できなくなった。現在PENTAX‐Krの方は,台の上に乗せた固定標本を撮影するのに使っている。

図2.クロアゲハのオス。道路上に生えたコケの上で吸水していた。後翅の赤い紋はメスではオスより顕著に発現する。7月21日和中にて。

図3.車のボンネットの上にとまったゴイシシジミ。幼虫は植物ではなく,竹につくアブラムシを食べる。

 実は,年と共に辛抱強さが失せて,生物,特に昆虫類の接写がやりにくくなったことは,私にとって大問題であった。90mmマクロレンズ(Tamron SP Di)も使ってみたが,できばえはいま一つだった。困っていたところに天使の如く近澤峰男さんが現れ,SONY RX10Ⅲを貸してくださった。図1はミヤマカラスアゲハ,図2はクロアゲハ,図3はゴイシシジミ。どれもみな50mmマクロレンズを使って撮影してきたどの昆虫写真より優れていた。

図4.私が撮影したノスリ(SONY RX10Ⅲ)。7月20日,高梁市有漢町の林内(針葉樹と広葉樹)。シャッターを押す直前に飛び立ってしまった。ノスリであることは一応判別できるが,こんな写真では大きな「はったり」はかませないし,自慢することも難しい。写真家には完全無視されるか,バカにされるのが落ちである。なぜなら,対象の捕捉(認識)に関して,私は優れた能力を持っていないとみなされても仕方のない証拠写真だからである。

 7月20日に高梁市有漢町にあるL-07の巣箱に行く途中に林内の木の枝にとまっているノスリを見つけた。すぐにカメラ(SONY RX10Ⅲ)を取り出し,軽トラの中から撮影した(図4)。鳥は,シャッターを押す直前に飛んだので,どうも見栄えの悪い写真になってしまった。家に帰って,近澤峰男さんの撮影したノスリの写真ファイルを探した。予想したように,近澤さんの写したノスリの写真はレベルが高いものだった(図5)。これなら写真家も一目置くだろう。そして,コントロール(図5)があれば,私の写真(図4)の質を客観的に評価できる。

図5。近澤峰男さんが写したノスリ。平成24年(2012)11月8日,金ケ崎公園(明石市)にて。Canon 600mmレンズとEOS7Dで撮影したと思われる。この写真をコントロールにすれば,私が撮影したノスリ(図4)の質を客観的に評価できる。写真家から質が悪いと言われても,証拠(根拠)がある以上冷静に受け止めることができる。しかし,図5の写真よりも図4の写真を大切にしたいかというと,それは私の判断(好み)になるだろう。社会のスタンダードと自分のスタンダードが合致しないときには,例えば入学試験や採用試験のような場合には,自分の判断だけではどうにもならない。社会のスタンダードをクリアできるよう,それなりの努力と辛抱強さが求められる。

 皆さま,すでにお気づきだろうか?絵画と違って,写真(photograph)には,resolution(解像度)という客観的な基準が存在する。モノクロを含めて解像度の高い写真は,あいまいさが少なくなるため,質の評価が分かれにくいという特性がある。逆に言えば,解像度の高い写真を提示すれば,大きなことがいえる。ウソをつくのであれば,まことしやかに大きなウソがつける。従って,解像度の高いカメラを持っている人の能力(知性)は,解像度の低いカメラを持っている人の能力(知性)よりも優れているという詭弁も成立する。

図6.止まり木につかまるぴよ吉。撮影:RICOH WG-50。Resolutionということで言えば,600mmレンズよりも良いだろう。400mm~600mmの望遠レンズがないときには,それなりに工夫して通常の方法とは異なった手段で観察や実験を進めるという手がある。ただし,撮影することが動物を恐怖に陥れないことが絶対条件。

 動物では,エサの認識,他個体への攻撃,捕食者からの回避の際にresolution(解像度)の高い感覚器官があれば,成功率が高くなるに違いない。解像度の高い感覚器官を持つことは,その動物が優れた能力を持っていることを意味する。解像度の高い感覚器官を持つことは,人間で言えば,新しい技術を持つことに対応する。面白いことに,新しい技術を持つと今まで言えなかったことが言えるようになる。つまり,それが最新の技術であるうちは,随分と偉そうなことを主張できる。

 写真家は,解像度の高い望遠レンズを持っているとよい写真が撮れることを知っている。よい写真が撮れれば,いつの間にか自分は優れた人間であり,自分は大した存在だと思う心(慢心)が芽生える。しかし,心配には及ばない。慢心した人々の数が頂点に達するころには,さらに新しい技術が開発され,旧式の技術に頼ってきた方々は早晩没落を余儀なくされる。

 それでは,解像度の高い望遠レンズを持っていない場合には,どうすればよいのか?動物の近くに行って撮影させてもらえばよい(図6)。しかし,野鳥は感情の起伏が激しく,デリケートな心理状態を保ちながら生活している。環境の微小な変化にも敏感である。(人間でもそういうタイプの人はいる。)迂闊に近づくと,恐怖のあまり攻撃的になる(窮鼠猫を噛むみたいな)種類もいるが,多くの野鳥はすぐに現場から逃げてしまうだろう。しばらくして元に戻ってくればよいが,巣を放棄して2度と戻らないこともある。だから,動物に近づくためには,あの手この手を使って,人が近づいても逃げないように,人に慣れさせる作業が不可欠である。    

 ブッポウソウは,人によく慣れる。たとえば,ぴよ吉は,最初は部屋の中でびくびくしていたが,今ではパソコンのモニターの上に来て寝たり,遊んだりしている。エサをお皿に入れて止まり木の脇に置くと,好きな時に来て食べている。エサがないとギャーギャー鳴く。水を代えるときには,とまり木を伝ってどんどん近寄ってくる。(頭の上に乗ってくるのは,さすがに拒否。知らないうちにウンチが背中についていることがある。)水やエサやりの時も,鋭いくちばしでつつかれることもない。こんなブッポウソウなら,望遠レンズがなくても普通のコンパクトカメラで十分いい写真が撮れる(図6)。

 足環付けやジオロケータをつけることなども,野鳥に恐怖を与える作業のひとつである。野鳥の専門家を自称する人たちは,そんなことはないと主張するが,それは専門家なる人たちが,恐怖を与える作業に(自分たちが)慣れただけの話である。実際には,野鳥に相当なストレスを与えると思う。現状では鳥を捕獲し,足環やジオロケータをつけて行動をモニターする以外によい研究方法はない。だから,足環付けやジオロケータの装着には,専門家と言えども細心の注意が必要である。

 野生動物は,家で飼っている犬や猫のように人になついている訳ではない。迂闊に近づけば遠くに逃げてしまう。あるいは,クマやイノシシのように襲ってくるケースもある。野生動物の持つそんな特性を知ってか知らずか,野鳥の観察でも,動物に恐怖を与えることを平気でやる人たちがいる。世の中には野生動物の習性を理解できていない人たちがいて,そういう方々が深刻なトラブルを引き起こしている。   

 野鳥の撮影に関しては,撮影しようとする人たちに指導することが必要である。特にブッポウソウについては,全く予備知識もなく,購入したカメラ(割と高価な感じがする)を携えて吉備中央町に来る人は多い。動物園に来るのと同じ感覚なのであろう。何のために観察所を設けてあるかよく理解していないので,巣箱の真下まで車で乗りつけてブッポウソウの写真を撮ろうとする者もいる。そんなことをしたら,ブッポウソウは遠くに逃げてしまって何時間も帰ってこないだろう。その場にいる他の撮影者にも大変迷惑をかけることは,理解しておられないのだろうか?

 自分の持っているカメラとレンズの性能をよく理解し,野鳥にどれぐらいまで近づけるのか,巣箱からどのぐらい離れて、どういうところでレンズを構えたらよいかを記したガイドラインは必要だろう。ただ,ガイドラインは,目的のためには手段を選ばない者には通じないかもしれない。

 今まで写真家を目の敵にしたような表現があったかもしれないが,記事を書く目的は,写真家を世の中から駆逐することでは絶対にない。私が知りたいのは,いわゆる写真家を自称する方々の性格的な特性である。異なる仕事をしている人たちには,その仕事に関連した特性があるように思える。その特性を知ろうと思えば,いくらかのジャブを出してその反応を見るという方法がある。

 例えば,またまた登場する中山良二さんの持つ性格的特性があるだろう。ちょっときついジャブを出してレスポンスを見ると,中山さんの性格的特性は割とよく見えてくる気がする。

 ・・・ということで,写真家を対象とした次のジャブは,被写体の内容である。図7をご覧いただきたい。7月29日に,吉川と大和の中間にある巣箱(E-06)をのぞいてみた。巣箱には4匹のヒナがいて,いずれも巣立ち直前である。写真のresolutionは,図5に示したノスリよりもむしろ良い感じもする。しかし,しかしである・・・。このような写真をいわゆる写真家の方々に見てもらっても,全く反応がないのである。良いと言ってくれたのは近澤さんだけであった。
写真家にとって写真を評価するポイントは,resolutionに関係しているのか,実際のところよくわからない。同様に,ぴよ吉の写真(図6)も無視されている。もちろん,良いと言ってくれとお願いしている訳ではない。結局,写真家なる人々どういうstandardに基づいて,いい写真とかよくない写真とかを判断しているのか,私には大変興味深い疑問(課題)が残ってしまった。

 この巣箱(図7)も近づいて写真が撮れなかった。40mほど離れたところに公会堂があり,軒下に隠れて親の出入りを撮影しようとしたが,エサを持ってきた親に気づかれてしまい,その後は1時間待っても親は現れなかった。

図7.E-06の巣箱(吉川と大和の間にある。)多くの写真家の中で,図7のような写真を面白いと言ってくださった人は,近澤峰男さんただ一人だった。中山良二さんは,ちょっと関心があった。子供たちにこういう写真を見せると,ブッポウソウそのものよりもハエが飛んでいるとか,ウンチがたまって臭そうだとか,そういう返事が返ってくる。興味・関心がじいさん方とは基本的に異なることがわかるだろう。じいさん方の考えを子供たちに押し付けても,子供たちは聞くふりをして全然違うことを考えている。では,じいさんたちの考え方は間違っているかというと,それも一概には言えない。そういう状況で,子供たちにどんな教育をすればよいか,誰も正解を示しえていない。

<参考文献>

  • 池田嘉平・稲葉明彦(監修)1971. 日本動物解剖図説。森北出版。
  • 福田晴夫(1972)原色日本昆虫生態図鑑-3 チョウ編。保育社
  • 三枝誠行・加藤想・近澤峰男(2020)ブッポウソウ物語(ぼくが吉備中央町で生れたとき)。生物多様性研究・教育プロジェクト出版会 

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