サンゴ礁とサンゴ礁原プロジェクト No. 6:トカラ列島の活火山

<トカラ列島>
 最近,阿蘇山をはじめ日本列島各地で火山の噴火が相次いでおり,ちょうどよいタイミングなので,トカラ列島における火山活動について紹介したい。

 吐噶喇(トカラ)列島は,屋久島(30.2º N, 130.5º E)と奄美大島(28.5 N, 129.7º W)の間,直線距離にして200kmに点在する(図1)。北から,口之島,中ノ島,平(たいら)島,諏訪之瀬(すわのせ)島,悪石(あくせき)島,小宝島,宝島の7つの有人島と,臥蛇(がじゃ)島,小臥蛇島,小島,上ノ根島,横当島の無人5島から成り立っている。トカラ列島の島々の行政区は,鹿児島県・鹿児島郡・十島村になる。

 トカラ列島には,同じ地域や他の地域の島々と同じか,よく似た名称の島々が多い。まずは口之島。トカラ列島を往復するフェリー(としま2)は,鹿児島港を出てから,最初に着くのは,口之島港(30.0º N, 129.9º N)である。ちょうどフェリーの航路上に口永良部島(30.4º N, 130.2º E)があるが,この島は素通りになる,口永良部島は,行政上は鹿児島県・熊毛郡・屋久島町に属していて,屋久島の宮之浦港から往復便がある。屋久島町にあるのが口永良部島,十島村にあるのが口之島。よく似た島名である。

 なお,口永良部島も火山島で,平成27年(2015)5月29日に新岳(標高640 m)で大規模な噴火があり,火砕流が海岸まで達した。その後も小規模な噴火活動が継続している。

 紛らわしい島の名称はまだある。図1に示された硫黄島(30.8 º N, 130.3 º E)は,太平洋戦争の激戦地だった硫黄島(24.8º N, 141.3º E)とは異なる。硫黄島(薩摩硫黄島)は,東西5.5 km, 南北4.0 kmの島で,人(125人)が住んでいるのは島の西側にある平地に限られる。薩摩硫黄島の主峰である硫黄岳は標高704mもあり,google mapで見ると,中央に活動中の噴火口がはっきりと確認できる。

 また,中之島は愛媛県にある中島とは違う島。黒島も八重山諸島の黒島とは別の島。さらに,悪石島は名前からして,険しい崖が多くありそうな感じがする。宝島と小宝島は面白い名前だ。小宝島は,間違えて子宝島と書かないように。宝島と小宝島の名前の由来は不明であるが,宝の島という意味だろうから,どちらの島にも何かすごいお宝があると期待している。

図1. トカラ列島の島々と連絡船の航路。現在就役している「フェリーとしま2」は,夜の23時ちょうどに鹿児島港を出港する。7つの島を経由し,奄美大島の名瀬港に着くのは,次の日の15時20分である。各島の乗船時間は,鹿児島港と口之島の間が一番長い。船は朝5時に口之島港に着くので,乗船時間は6時間。人にもよるが,多少船酔いがきつくなったころに到着する。しかし,停泊時間はわずか10分ほど。口之島から先は,ほぼ1時間ごとに港に着いて10分停泊を繰り返す。宝島と名瀬の間は少し長く,3時間50分かかる。鹿児島港から名瀬港までの運行料金は,大人二等席で片道12,170円也。船のデッキで感じる気温(体感温度)は,鹿児島から名瀬までだと,どこもそんなに大きくは変わらないと思う。

 口之島を出た「フェリーとしま2」は,次は朝6時に中之島にとまる。中之島は,周囲28 kmで十島村の中では一番大きく,トカラの島々の中では人口が最も多い(図2)。

図2(左)。中之島の地図。道はどこも激しく曲がる。港(中之島港)から集落のある平坦な場所までは険しい坂を上る。図3(右)。島の北部にある最高峰の御岳(979 m)。山腹のつづら折りの道を登りきると中之島デジタル放送中継局がある。中之島は200年前に大噴火を起こして以降平穏な状態が続いている。頂上にかかっているのは噴煙ではなく,雲である。Google mapで見ると噴火口の跡地で何か(硫黄か?)採掘したような形跡が認められる。奥に見えるのは口之島と思う。図2と図3とも,瀬尾央著「吐噶喇」から転写。

 中之島の北部には最高峰の御岳がある(図3)。御岳は200年前に大噴火を起こしたことがあるが,それ以降噴火は収まり,現在は山頂まで歩いて行けるようだ。しかし,中之島港から徒歩で山頂まで行くには,2時間はかかるような感じがする。(レンタカーがあるかは不明。)つづら折りの坂道を横切って行くチョウは,クロセセリ,モンキアゲハ,アサギマダラ,ツマグロヒョウモン,アカタテハぐらいだろう。運がよければツマベニチョウが見られるかもしれない。チョウの種類は,種子島とそんなに変わらないように思われる。

 中之島の30 kmほど南に諏訪之瀬島(29.5º N, 129.6ºE)がある。フェリーが港に着く時刻は朝7時10分。停泊時間はやはり10分間。諏訪之瀬島は,中ノ島に次ぐ大きさで,島の中央には標高799mの御岳があり,以前に噴火した旧火口の北東にある新火口が活動を続けている(図4)。令和3年(2021)10月24日にも中規模の噴火が4回観測された。

図4.諏訪之瀬島の御岳山腹。噴火口から流出した溶岩流により,山腹の植生は破壊されている。海岸は崖になっており,がけ崩れも頻繁に起きているだろう。写真の左奥に見えるのは,中之島と思われる。2ページにわたる写真を一つにしたため,中央に縦の線が残っている。瀬尾央著「吐噶喇」から転写。

 諏訪之瀬島は,御岳という時々噴火を起こす活火山がある影響で,人が住めるのは島の南端にあるほんのわずかな平地に限られる。島には診察所や小・中学校はあるようだが(波が荒いので中之島や平島の小・中学校に毎日通うのは無理と思う。)毎日の生活は非常に狭い範囲に限られる。島の東側と西側には港があり,フェリーがつくのは東側の切石港である(図5)。連絡船の運航は,名瀬港行きと鹿児島港行きがそれぞれ週2回ずつだが,臨時便が出るときには,それぞれ週3回になっているようだ。

 名瀬港発のフェリーが切石港に着くのは朝9時10分である。もし自分が小学生だったら,その時間に港を見に行ったらきっと先生に怒られるだろう(図6)。一方,鹿児島港から来るフェリーは,週2回朝7時10分に切石港につく。この時間なら,学校が始まる前に港に行けばフェリーと荷物の積み下ろしを見ることができる。自分が諏訪之瀬島に住んでいたら,船の着く日には必ず片道1 kmの道のりを歩いてフェリーの発着を見に行ったに違いない。そして御岳の噴煙を見ながら,連絡船を見に行く自分の日常は,いつしか脳裏に深く刻み込まれ,一生続いて行くかもしれない。たとえ人からバカなやつだと思われても,そういう日常があることで心が休まるのであれば,それはそれでよい人生になるのではないだろうか。

図5.諏訪之瀬島の御岳の噴火口。ここは現在も活動中である。こちらの白い煙は雲ではなく,火口から上がった噴煙。諏訪之瀬島の集落は,島の南側にあるのみで,島を回る道路もなければ,御岳に上がる小道もない。瀬尾央著「吐噶喇」から転写。

図6.諏訪之瀬島の集落と切石港。諏訪之瀬島の生活範囲は狭い。集落は写真中央と切石港のへりにある少数の民家だけである。平成22年(2010)の国勢調査では人口は52人とあるので,現在はさらに減少しているかもしれない。写真を撮った時刻(時間は不明)には,フェリーは港には停泊していない。左側の海岸沿いに立つ白波から,サンゴ礁があることが推察される。礁原は不明。瀬尾央著「吐噶喇」から転写。

 中之島の25 km西には臥蛇島(無人島)がある。ここにも噴火口の跡が見られる。

 また,諏訪之瀬島と同緯度に平島(たいらじま)がある。平島(29.7º N, 129.5º E)の海岸は諏訪之瀬島と違って,海岸の波打ち際に礁を縦方向に区切る溝が何本も見える(図は示していない)。海岸沿いにサンゴ礁が少し発達しているのだと思う。さらに,諏訪之瀬島から16~17 km南に悪石島(29.5º N, 129.6º E)がある。噴火口はなさそうである。

 悪石島からさらに38 kmほど南に行くと小宝島(29.2º N, 129.3º E)がある。小宝島は,他の島々のように急峻な地形ではなく,海岸は平たい地形である。さらに10数キロ南には, ヤマイモの葉のような形をした宝島(29.2º N, 129.2º E)がある。宝島も小宝島ほどではないが,平地の部分が多い島である。島の周囲には,発達したサンゴ礁原が見られ,礁縁もはっきりと区別できる。宝島の中央部は堆積岩だろうが,周辺の大部分は隆起して化石となったサンゴ礁と思われる。

図7.横当島の噴火口跡。横当島は,島全体が噴火口みたいな感じになっている。山腹は崖になっている。海岸はほぼ垂直な崖になっている。山腹の緑色は植物。シロバナセンダングサ,ススキ,ギンネム,ツツジ,それにシャリンバイぐらいが生えていそうな感じである。また,海岸を取り巻くようにわずかにサンゴ礁がある。このような礁は裾礁(fringing reef)と呼ぶ方がいいと思うが,そう呼ぶのは,いまのところ私だけと思われる。そのあたりの事情もおいおい述べて行きたい。

 宝島を11時15分に出港した「フェリーとしま2」は,約4時間かけて15時20分に最終目的地の奄美大島の名瀬港に到着する。その途中,宝島と奄美大島を結ぶ航路のちょうど真ん中から30 kmほど西に横当島がある(図7)。横当島は,島全体が噴火口の跡になっている。なお,上ノ根島については衛星写真のresolutionがいまひとつ不鮮明で,火口の跡があるかは判別できなかった。

図8.琉球列島の海底地形。琉球弧の総延長距離は,1,200kmにおよぶ。ユーラシア大陸の東縁にあり,琉球弧の東側には最深7,500mに達する琉球海溝がある。ユーラシア・プレートとフィリッピン・プレートの境目より西側に広がる東シナ海(大陸棚)は,水深100m以内の浅海になっている。琉球弧を挟んで西側には沖縄トラフがある。
 なお,尖閣諸島は,沖縄トラフの縁に位置する。石垣島の北北西155kmにあり(東シナ海の水深2,000mを示す実線が水深100mを示す境界線と交差するあたり),石垣港から漁船(10~15ノット)で行くと10時間から15時間,巡視船(巡航速度20ノット)で行くと7~8時間かかるだろう。戦前にはカツオ漁を生業とする一家が,糸満から移り住んでいた。原図は海洋保安庁発行の「沖縄の海洋情報」から転写し,描き直した。

 トカラ列島の島々の配置で大きな特徴は,奄美大島より南の島々の弧状の連なりと,屋久島から横当島に至る弧状の連なりでは,少し位置がずれていることである(図8)。屋久島と横当島を結ぶ弧状のつながり(つまりトカラ列島)は,奄美大島から台湾に至る島々の弧状の連なりと比較して,大陸棚の外縁よりやや内側にある。

 図9は,アリューシャン列島の火山群の模式図を示している。アリューシャン列島の火山群は,太平洋プレートが北アメリカプレートの下に潜り込み,潜り込みの隙間に地球内部のマグマが上昇することによって生じている。一方,トカラ列島の火山群(図8)の場合には,ユーラシア・プレートの下にフィリッピン・プレートが潜り込み,プレート間の隙間からマグマが噴出することによって生じている。

図9.アリューシャン列島の火山島と海底でせめぎあう2つのプレート。潜り込むプレートの表面にマグマが上がってきて,それが真上に噴出して火山島を作る。琉球弧は,フィリッピン・プレート(Philippine Plate)がユーラシア・プレート(Eurasian Plate)の下に潜り込んだ反動により,ユーラシア大陸の東端がわずかに盛り上がってできたと思われる。(P. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biologyより転載。)

<まとめ>
日本列島の九州南部では,活火山は,熊本県では阿蘇山,鹿児島県では桜島,薩摩硫黄島,口永良部島がある。トカラ列島では,噴煙を上げているのは諏訪之瀬島の御岳のみ。噴火口が明確に残っているのは,中之島の御岳,臥蛇島,横当島。それ以外の4つの島々(口之島,平島,悪石島,小宝島,宝島)では,顕著な噴火口跡は見当たらない。何千年も前に噴火したかもしれないが,それ以降長らくお休み中なのだろう。

<文献>

  • Castro, P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology (fifth edition), McGraw Hill.
  • 瀬尾 央(1992)「吐噶喇‒トカラの遠い空から」山と渓谷社。

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