サンゴ礁とサンゴ礁原プロジェクト No. 5:アクティブ・マージン(active margin)とパッシブ・マージン(passive margin)

 西表島では,海岸の景観が島の東側と西側で大きく異なる。東側の海岸は,遠浅が延々と続き,サンゴ礁縁は陸上から2 kmから4 kmも離れている。東側の海岸は,上空から見るとサンゴ礁の美しい景観を見ることができるが,上空からの景観とは裏腹に,サンゴ礁原(reef flat)には泥干潟が広がる。自然にできた泥干潟は,マングローブ林内のように富栄養化している(eutrophicated)場所があるが,いわゆる「環境汚染」とは区別しておきたい。

図1.祖納岳にある電波中継所から見た干立(星立)の海岸。満潮(high tide)時。目の前のススキやシマグワは目障りだが,わざわざ切り払うのは面倒だったので,そのまま撮影した。西表島では,草刈りや林道の小道の整備を頻繁に行わないと,すぐに林になって道も分からなくなる。平成28年(2016)4月6日撮影。

図2.西表島の地形と海岸。西表島の東側は,豊原から高那までの海岸沿いは割に平坦なところが多く,水田もかなり多く残っている。農業では,サトウキビの栽培が中心になっている。赤離(アカパナリ)から西の船浦,ヒナイ湾,浦内川河口,祖納から白浜にかけては,海岸沿いに崖が多くみられる。ソトパナリ,ウチパナリを始めとして,舟浮,網取,クイラ川河口にも崖が目立つ。南海岸は,全域急斜面の山腹になる。

 図1の海岸の風景(図2に記号Bで示す)は,祖納岳中腹の電波中継所(図2の記号A)から撮影された。なお,この中継所に行くには,レンタカーで15分ほど山を登ると,火の見やぐら(鉄塔)に着くので,そこの空き地に車を止め,後は山道を20分も歩けば到着する。草を刈ってあれば,地点Aからは,祖納と干立方面がよく見える。鉄塔を戻ると,すぐにリュウキュウマツの大木に囲まれた公園(すべり台は置いてあるが,公園内は草ぼうぼう)からは,内離島(ウチパナリ),網取,崎山方面がよく見える。

 西側の海岸は,陸上からサンゴ礁縁(reef edge)まで1 kmもない海岸が多い(図3)。白波の立つ礁縁は,大潮の干潮時には干出する。干出したサンゴ礁縁に沿って歩けば,礁原に打ち上げられた大小さまざまのサンゴ塊(ノッチ)を見ることができる。造礁サンゴ(reef-building corals)は,最初は小さい集団から出発し,祖先の死骸の上に新しいサンゴ虫(coral polypという英訳がよいのではないか?)が石灰岩を蓄積して,サンゴ塊が成長する。だから,巨大なサンゴ塊があったとしても,生きているのは表面のポリプだけで,塊の中身はとっくの昔に死んでいる。琉球石灰岩の起源は,死んだサンゴ塊だろう。

 海岸に突き出した崖(図2のB)のある海岸の底質(substratum)は,干立集落側は全域リーフにある死んだサンゴ塊(琉球石灰岩になりつつある。)外洋側(裏側)は,砂地である。砂地は,背の低いアマモ(被子植物)が生えていて,受粉の季節になると,潮が上げ始めると干潟に落ちた大量の小さな白い花が,潮の流れに沿って漂っている。礁原には礁池(礁原の規模は小さいのでlagoonよりもtide poolという方がよさそう。)ができ,生きているサンゴ塊(patch reef)が形成される。

 海岸沿いの崖には一部窪んだところがある。何百年か前には,窪んだところに川があったのだろう。河口閉塞を起こして,現在は川が消滅しているが,ここに小道があって裏内側のマングローブに入ることができる。しかし,裏内側のマングローブ(ヒルギ林)は広大な面積があり,迷い込むと出てくるまでに時間がかかる。

 大潮の日は,干潮になるのが正午と真夜中だ。昼頃はシオマネキやミナミコメツキガニのように昼行性の(diurnal)十脚甲殻類を観察するのにはよいが,海岸の崖や河口の土手にいる多くのカニ類(カクレイワガニ,アカカクレイワガニ,ベンケイガニ類,ノコギリガザミ)やヤシガニ(異尾類)は夜行性(nocturnal)である。夜中に出てくる十脚甲殻類の観察のため,真夜中に干立裏の海岸に行ったことがある。帰りに少しは近道ができるかと思ってこの小道に入ったが,やはりマングローブの中で道に迷った。まだ干潮は続いていたので,干潟のヒルギ林内にある小川を,水の流れる方向に歩いていたら,運よく浦内橋のたもとについた。すでに夜が明けていた。

図3.西表島西部の現在の地形(Google map proから転載)。礁縁は陸上から近くにある。これは,サンゴ礁が海岸沿いにでき始めてから,長く時間がたっていないことを意味している。西表島のサンゴ礁は,もっとも古いものでも,でき始めてからから7,500年(万年ではない)しか経っていないという記事を読んだことがある。その記事が本当かどうか,ここではまだ断定できる根拠がない。いずれにせよ,1万年前は,西表島西部の地形は現在とは大幅に異なっていただろう。浦内川と干立を結ぶ県道から北側(図の下側)は,小さな島になっていたかもしれない。干立集落の前の海岸には,泥が流れ込んでいるのがわかる。

 西表島の西部の地形(図3)は,航空写真だと割に平坦に見えるが,実際に行ってみると崖や急斜面の場所が多い。図3に示した「入れる。」と書いた小道は,もうないと思う。ここに行ったのは50年前になるがその時にはしっかりした小道があり,ヒルギ林の中も所々に目印となる白や赤のリボンが巻いてあった。林を抜けると湿地帯のあたりは60~70年ぐらい前までは,小規模な水田があったのかもしれない。干立裏の海岸沿いは,その後何度も往復しているが,この小道を探してマングローブに出ようと考えたことはない。

 西表島の西側の海岸では,白波の立つ礁縁は陸上から近いところにある。干立の海岸の特徴は,海岸に突き出ている崖の手前と裏側の海岸では生物相が大きく変わることである。つまり,外洋に面する海岸は砂地だが,干立の集落に近い方の海岸には淡水と泥が流入するため,泥干潟に近い状態になっている。例えば,秋の夜間には,浅瀬の石や岩にシマイセエビの幼個体がたくさん付着しているが,すべて裏側の海岸に限られる。一方,泥干潟の砂泥岩に穴を掘るイシアナジャコ(Upogebia spp.)は,干立集落側に集中している。   

 干立の裏側の海岸は裏内川まで崖が続いている(図3)。裏内川まで海岸沿いに歩いて行けるが,浦内川の西側は500m以上にわたって崖が続く。裏内川に出ると目の前に県道が見えるが,対岸に行くためには,泳いでいかなくてはならない。しかし,干潮時になると川の流れが速くなるので,泳いで渡るのは大変危険である。つまり,無理ということ・・・。こういうケースはよくあるが,面倒でも元来た道をトボトボと引き返すのが一番安全である。

 なお,夜間にヒルギ林(マングローブ)に入るのは注意が必要である。5メートルも進めば,全く方向がわからなくなる。(これは誇張ではない。)しかし,ヒルギ林の場合には,潮が上げてきたら最悪,ヒルギの木に登って朝を待つことができるだろう。もっと悪いのは,山の中で道に迷うことである。西表島は崖が多く,夜に歩くと転落の危険が大幅に増す。山の中で道に迷うと,知らず知らずにイノシシ道に入り込む。イノシシ道は崖の手前で消えてしまうので,それ以上先には進まずに,引き返して道を探す。しかし,何度引き返しても同じイノシシ道に入ってしまうので,だんだん焦りが増してくると魔が差す。魔が差したことに気づかず,先に進むと大変なことになる。

 山道で道に迷う人は多い。立ち止まってよく見れば道は曲がっているのに,小川の跡やイノシシ道を歩道と勘違いして行ってしまうのであろう。道はしばらくして消える。しかし,もっと前に歩けば元の道があると思ってしまうと魔がさす。その時には,命の危険が伴うことがある。魔がさすのを懸命にこらえて引き返す。これを辛抱強く何度か繰り返すと,必ず元の道は見つかる。  

 残念ながら夜になってしまったら,動かずに朝を待つ方がよい。また,西表島では山道で迷ったときには木に結ばれたリボンを探せばよい。逆に言えば,周囲にリボンがなくなったときには,道に迷った可能性を疑う方がよいだろう。ただし,古いものは土砂崩れで,リボンが結ばれた木とともにとんでもない方向に移動していることがあるので注意すべきである。

 「魔がさす」とは,間違えたことでパニックになり,誤った判断を下す瞬間のことである。ヒトの方向感覚や識別能力は,野生の動物に比べて著しく低いのだろう。だから,森の中で道に迷うと魔が差すことが多いかもしれない。また,間違いに気づく判断力のレベルには性別や年令もかかわっている。早く「おかしい・・・」と気づくかどうかで,生死が分かれることがある。

 「魔が差す」ことは,山で道に迷った時だけでなく,日常のあちこちで見られる。例えば,過剰な精神的ストレスがかかると,偶然入った店で万引をしてしまう人がいる。(故意にやる人もいるが,そういうのとは全く異なる。)突然自分の意に沿わないことを直言されると,言わずもがなのことをつい口にしてしまうこともある。(これは自分も・・・。)

 人間は,日常どんなに気を付けていても間違えるものである。間違えないように強い意志を持って生きていこうとすれば,ちょっとしたことでも他人にガミガミ怒鳴るようになる。一時でも間違いを犯さないように気を配れば,気苦労の多い人生を送ることになる。その気苦労に耐えられないで,ちょっとおかしくなってしまった人はたくさんいる。そういう方々は,自分自身では異常について気づいていない。

 ごく大ざっぱな推測だが,新しい試みを10回やったとしよう。8回は失敗だったとしても,残り2回が成功すれば,人は必ず生き残ることができると思う。気を付けて行動するが,間違えたらやり直せばよいという気持ちで生きる方が,かえって良い人生だったりするのではないか。また,何が失敗で何が成功かの評価は,世間のうわさで判断しない方がよい。

 話をもとに戻せば,西表島では森の中に入る道は少ない。よく知られているのは,東部の大富と西部の軍艦岩(今は遊覧船がつく)を結ぶ横断道である。横断道と言えば,聞こえはよいが,大半は森の中を右に左に曲がる小道である。横断道以外には,古見と美原のちょうど中間から入り,古見岳に行く林道がある。4月から6月には,ベニボシカミキリを採集する人たちが毎日レンタカーを止めているので,入り口はすぐわかる。および,北側のユツン川沿いから古見岳に登る道。入り口は知っている人でないと見つけにくい。それにピナイサラの滝の少し前から滝を迂回し,テドウ山に登る小道がある。古見岳に行く道も,テドウ山に行く道も,うっそうとした林内をひたすら歩くだけの小道である。よそ見をすると,すぐに迷う危険がある。私を含めて,実際に道に迷った人は多いと思う。

 白浜からウシクムル(ウシク森)を越えてハテルマムル(波照間森)に入り,島の真ん中あたりで横断道に合流する小道もあると思うが,今はどれほど歩かれているか不明。車の通れる横断道として切り開かれていたころ(1970年過ぎ)には,道沿いの景観は素晴らしかった。真夏に山の上からとんでもなく多数のナミエシロチョウが,それこそ無数の紙吹雪のように降ってきたことはよく覚えている。しかし,この道はウシクムルの入り口から数キロメートル入ったあたりで開発が中止されたと思う。いい判断だったと思う。

 古見の集落のすぐ北側にも,横断道につながる小道があったが,今はどうなっているか不明。西表島で山に入るには,面倒でも営林署に尋ねることをお勧めする。

  戦後,琉球は30年近くアメリカの統治下にあり,昭和47年(1972)に日本に返還された。琉球が返還された年に書かれた西表島の記事(自然環境,歴史,人々の生活)がある。「南海の秘境,西表島」と入力すれば,その記事を見られると思う。琉球大学ワンダーフォーゲル部OB会の作となっている。「復刻版」と記してインターネットに掲載されているので,その記事の著者にとっては,よほど強く思い出に残る旅だったのだろう。なお,私はこの記事の著者(名前は知らない)に,実際に1972年に西表島の大原でお会いしていると思う。もちろん,会話を交わすことはなく,すれ違った程度のことだったかもしれない。

 私は,西表島に行ったときには,もう山の中の道を歩くことはない。横断することもないだろう。今は,山には登らず,開けた空間のある林道を歩くことが多い。

図4.大富林道の脇にあるヒカゲヘゴの群落。すぐ近くに取水所がある。大富林道は,林内の開けたところにはチョウが多く集まる。採集者も多いが,西表島が自然遺産に登録されてからは,大富林道での昆虫類の採集は禁止になっているかもしれない。平成31年(2019)5月22日撮影。かつては(1972年)作りかけの白浜林道も素晴らしい景色だったが,今は細く薄暗い一本道になっているだろう。

 図4は,大富林道の途中の取水所の脇にあるヒカゲヘゴ(シダ植物)の群落を示している。レンタカーで,車止めのある所まで行き,そこから日が差し込む道(幅3~4mぐらいあるだろうか)を20分ほど歩けば着く。道沿いのやや開けた空間には,亜熱帯域に生息する多くのチョウや甲虫類がたくさん降りてくる。

 だいぶ脱線してしまった。本題に移ろう。大学の授業では教えられていないことが2つある。ともに西表島の地形(自然環境)と深く関係している。ひとつはアクティブ・マージンとパッシブ・マージン,もうひとつは泥干潟(mud tidal flats)である。これらは,環境問題を考察するときに重要な基礎資料となる。

図5.大陸プレート(南アメリカ・プレート)の前面で見られるActive marginと,後ろ側で広がるPassive margin。移動する大陸の前面では,海岸は急勾配になり,海溝(trench)ができる。一方,移動する大陸の後ろ側の海岸は緩斜面(2度以内)になり,浅く広大な大陸棚が形成される。問題は,琉球弧の東側と西側の海岸の地形も同じように説明できるかという点。P. Castro and M.E. Huber (2005) Marine Biologyから転写。

 西表島や石垣島は,ユーラシア・プレートの東の端にある。琉球弧の内側には,琉球トラフと呼ぶ海溝(trench)が南北に延びている。ユーラシア・プレートが西に動けば,琉球弧の西側はアクティブ・マージンとして急斜面の海岸になり,東側はパッシブ・マージンとして広く遠浅の泥干潟が広がるだろう(図5)。私は最初そのように考えていたが,今は石垣島と西表島に関する限り,島全体が西に(正確には北西側)に傾斜する(沈降する)ことによって,海岸の景観が西と東で異なったという考え方も捨てきれないと考えている(図6)。

 沖縄トラフの海底地形がどう変化しているかわかれば,どちらの考え方が正しいか,ある程度判断できるかもしれない。いずれにせよ,Active marginとPassive marginが日本の大学の講義では紹介されない理由があるのだろう。

図6.西表島の西海岸。祖納岳中腹にある休憩所より網取と崎山方面を望む。正面に見える鉄塔は,火の見やぐらと思われる。(もちろん,私はこんな高いところまで登ることはできない。)鉄塔のてっぺんには避雷針しか置いていない。鉄塔の向こうに見えるのは内離島(ウチパナリ)。その奥にゴリラ岩が見え,さらにその奥に網取(廃村)のある半島が見えている。一番西にある崎山(廃村)がある半島は見えていない。西表島では,雨が降り出す前はこんな感じになることが多い。自分は,西表島のこんな景色が大好きである。なお,カメラ(PENTAX K-r)はだいぶ使い古したので,内部に溜ったごみが写ってしまった。このカメラは壊れてすでに現役を引退している。平成28年(2016)4月7日(図1の写真を撮った次の日)に撮影。

 もうひとつの懸案である泥干潟の方は,土中に含まれる酸素濃度の説明が必要なので,これは別の機会に譲ろう。日本では,泥干潟と聞くとすぐに環境汚染を連想しがちだ。確かに,陸上から流れ出た土砂の中の微粒子がサンゴ塊に降りかかれば,サンゴは全滅する。だから畑の造成や道路の拡張で海岸に流失した大量の土砂は,環境汚染を引き起こすことは間違いない。しかし,大量の土砂は河川を通じて常に海に流れ込んでいる。泥干潟もその一環で生じている。環境汚染と断言する前に,泥干潟とはどんなところなのか,またどのようにして形成されるかを知っておくことも,環境保護を進める上で大事なプロセスではないだろうか。

<参考文献>

  • Castro, P., and M.E. Huber (2005) Marine Biology (fifth edition), McGraw Hill.

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