令和3年(2021)8月4日(水)
E-17の巣箱で巣立ちが始まった。
8月に入ってから回るところは少なくなった。昼頃に岡山を出て13時前後に峰ピョン谷について華にエサをやり,それから巣箱まわりになる。8月3日は北回りで,上有漢にあるI-01ではヒナが5匹全部巣立った。H-39はまだヒナ2匹が残るが,親の巣立ちコールが始まっている。明日(8月4日)かあさって(8月5日)には巣立つだろう。
南回りコースは8月2日現在で,P-06(藤田)とF-05(大和)にヒナが残っているが,こちらも親の元気な巣立ちコールが聞こえるので,8月5日までには全部巣立ちを終えるだろう。
南回りにしても北回りにしても,最後に見るのは一番心配なE-17である。ブッポウソウの子育てに人の手を加えた場合には,親は巣箱を放棄して逃げてしまうのか,あるいは逆に歓迎されるのか,ぜひ知っておきたかった。
E-17では,3匹ふ化した中の1匹(助一)が親から十分にえさをもらえなかったのだろう。体は小さく,兄弟2人(賢一と彦一)に比べて発育が遅れた。電柱に登って助一にエサをやってみよう。ということで,7月19日から毎日北回り,南回りの最後にE-17に寄って令和3兄弟にエサを与えた。
一番心配していたのは,エサを与えるという人の行為によって,親が子育てを放棄してしまうかもしれないという危惧であった。事実,何日間かは巣箱の近くに親の姿は見られず,これは危ないと思ったこともあった。(私が行ったときには,たまたまいなかった可能性が高い。)
ところが8月2日には,メス親が巣箱のすぐ近くの電線にとまっていた。また,8月3日は電線の上にはいなかった。私が(自分で勝手に思い込んでいる)「巣立ちコール」(ケッ・ケッという大きな声)を発すると,何と林の中から巣立ちコールの返事が返ってきた。急いで巣箱の中を見ると巣箱には2匹のヒナが残っていて,賢一の姿はなかった(図1)。賢一は無事に巣立ったのである。CASIOだとはっきりとわからないので,電柱に登って巣箱のふたを開けた。やはり残っているヒナは2匹であった(図2)。
残っている2匹のヒナには,今日(8月4日)からエサはやらない。助一の成長も進んで,彦一とあまり変わらなくなっているのがわかるだろうか。2匹とも今日か明日(8月5日)にはで巣立つだろう。
この実験でわかるように,ブッポウソウの場合には育ちが悪いヒナがいたら,人の手を加えてやれば全部のヒナを巣立たせることができる。もちろん,それをするかどうかは,保護の方針による。放っておいて弱いヒナは死んでもよいとする保護団体もある。どういう方針だったとしても,体の弱いヒナは遺伝的に劣っているから成長が遅れた訳ではない。ここは強調しておきたい。
ブッポウソウの研究をしていると,親の巣立ちコールに導かれて無事に巣立ってゆくヒナを見ると気持ちが楽になる。逆に,アオダイショウにやられて一家全滅になった巣箱をみると, 無念の気持ちがわいてくる。この気持ちのギャップは体験して始めてわかる。
生物の行動や生態について地道に観察したり実験したりすると,だんだん生物に対する理解が深まってくる。生物に対する理解のあいまいさを減らしてゆくことができる。逆に,机に向かってreviewを書いたり,本を書いたりする生活が続くと,新しい実験結果や観察結果のフィードバックがなくなる。そして頭に思い描く生物の姿は,いつしか現実から遊離し,想像の世界の生物,つまり一種のモンスターに変身する。話は面白くなるかもしれないが,科学の世界からは離れてゆく。そのような世界に入り込んだ科学者は,科学の世界から去ってゆけばよいのだが,カリスマ性を利用していつまでも科学の世界に居座り続けている者もいる。
科学を続けてゆこうと思えば,地道な実験や観察を続けて行くのもひとつの方法である。この方法を採用すれば,いつまでも学生や新米社員の気持ちで生きてゆくことになる。かっこ悪い仕事にはなるけど,自分の頭の中に妄想化したブッポウソウを生み出してしまったら,その時自分の人生は実質的に終焉を迎える。自分の科学がカリスマ性,宗教性を帯びて行かぬように常に新しい観察結果,新しい実験結果によってフィードバックをかけながら,動物の行動の研究を続けてゆきたい。その点で,私は総説など書くより,原著論文を書き続けることが,一番長生きする秘訣ではないかと思っている。
原著論文には,戦闘能力がある。たくさん生産すれば,批判も増すが,全体としての攻撃力は飛躍的に高まる。読まれる,読まれない,など気にする必要はない。一方,総説はどこの飛行場にどれだけ戦闘機や爆撃機がいるか,あるいは配置できるかをアセスする図上演習的な側面が強い。
しかも,総説には敵対者のメンツにどう配慮するかが求められる。権威者がこんな仮説で満足したらダメでしょ,と心の中では思っても,文書にするのは難しい。